クロスフィア・第一部

「総理、こちらへ」
「うむ」
 東京都千代田区永田町、総理大臣官邸。総理秘書官の案内で、地下の官邸危機管理センター内に設けられた非常時閣議室に佐藤吉雄内閣総理大臣が入る。
 室内にはすでに、官房長官を始めとする政府首脳が集められていた。官房長官が口を開く。
「では、これより臨時の国家安全保障会議を執り行います。まず、外務省よりどうぞ」
「押野くん、頼む」
 外務大臣に指名された、押野北米局長が手元の書類を確認して、言う。
「それでは申し上げます。アメリカ合衆国大統領より同盟国各国宛に、最高機密として次の情報が通達されました」
「なんだなんだ、戦争か?」
 総理大臣が軽い口調で聞く。
「いえ、違います」
 事前に内容を精査している官房長官は即座に否定する。
「じゃあ、UFOとかか?」
「まあ、方向性としては、そちらです」
 総理大臣は手元の書類をパラパラとめくり、一枚の写真に目を留める。
「この写真は? 単に二人の人物が写っているようにしか見えないが」
「総理、順を追って説明しますから。──北米局長、続きを」
 官房長官に促され、押野局長は説明を再開する。
「はい。結論から言えば、合衆国政府と『異世界人』が接触したという話です。写真はその『異世界人』と名乗る男性のもので、ワシントンの国防総省で彼と面会した際、隠し撮った映像の一部とのことです」
「異世界人? この世の人間ではない、と?」
 総理大臣は再び、写真を凝視する。コピー用紙にカラーで印刷されたその姿は、映像であるゆえの粗さはあるもののこの世に繁栄する人類と変わりない。
「あくまで本人の話、ということですが。しかしここまで大掛かりに扱われている以上は、決め手がなにか、あるのでしょう」
「合衆国は何か、決定的な証拠を掴んでいると?」
「そうでなければ、こういう形で情報を流すことはないと思われます」
 単なる「自己申告」だけで、政府がこのような動きを見せるということは有り得ない。するとそれなりの根拠を持っていると考えて間違いはないだろう。
「そして、各同盟国の情報提供を期待するということです」
「うむ、つまり提供できる情報もそれだけ、ということだな。──では内閣情報監、追加情報はあるか?」
 総理大臣が発言すると、閣議室の陰からすっと、一人の男が姿を現した。内閣情報局の長、日本のインテリジェンスの中核の一つを担う人物。
「ええ、ありますとも」
 男はポツリと、独り言のように言葉を発する。
「さすが、昇格させたことだけはある」
 官房長官の弁。もともとは内閣情報調査室だった機関であり、カウンターインテリジェンスと公然情報の収集が以前の役割であった。しかし局への昇格に伴い、本来の情報機関としての活動も徐々にだが担い始めている。
「合衆国とその異世界人、の交渉は失敗したようです。だから情報を吸い上げるために、各国に最低限の情報を提供したというからくりですね」
「なるほど、世界一の経済・軍事大国としては、地球代表としてのポジションを奪われたくないのは当然か」
 外務大臣が納得したように言う。
「で、次の交渉相手はどこだ? 国連か?」
「国際連合は対象から外したようです。事務総長への接触をはじめとして、ニューヨークで活動している様子も見られません」
「まあ、あそこでまとまるはずはないからな」
「総理、その発言は問題になります」
 政権公約として国連中心主義を掲げているので、それを反故にするような言動がマスメディアに伝われば問題になる。
「ここにいる者が、漏らさなければいいだけの話だろう?」
「まあ、そうですが」
「国連じゃなければ、中国か? インドか? もしくはEUあたりか?」
「色々と調べて相手を厳選しているようです。今のところは、新たに交渉を始めている様子はなさそうです」
「うむ、つまり日本国政府も交渉相手になる可能性はあるということだな」
「そういうことになります」
 総理大臣はそれを聞き、少し考えてから言う。
「解った、日本も情報収集の強化が必要となるな。内閣情報局で当たれるか?」
「ええ、すでに始めております」
「外務省も関連情報は極力回すように出来るか」
「はい、ルートはありますので。在米大使館にも調査の指示を出します」
 押野局長の回答。
「それではよろしく頼む」
「了解いたしました」
 すっと、姿が消える。
「以上だな」
「はい。ではこれで会議は終了とさせていただきます。なお、今回の会議の内容はくれぐれも内密にお願いします」
 官房長官が、場を締めた。

    * * *

「……なるほど、『カレ』が接触してきた、と」
 少女がスマートフォンを耳に当て、呟くように言う。
「いいわ、セッティングして。来ることは判ってたから。──そうね、少し、緊張するかしら」
 日本人形のように艶やかな黒髪を揺らし、少女はただ、夜空を見る。月のない、星が輝く空。
「この世界を、救わないとね」
 その呟きは、誰の耳にも届かない。