たからもの

 先輩が、焦っている。
「な──ない。なんで、ないんだ!」
 何度も何度も、かばんの中身を確認している。
「何が無くなったんです、先輩?」
「手紙が、大切な手紙がなくなったんだ」
 ドキッとした。犯人は──私だ。
 理科部の先輩、藤田洸先輩。私が密かに、恋心を寄せている先輩。
 今日集まった部員は私と先輩の二人だけだった。しかもふと、先輩はどこかに行ってしまって残ったのは私と、先輩のかばん。そして何の因果か、手紙がかばんから少しだけはみ出しているのが見えたのだ。
 それはまるでラブレターみたいな封筒で、つい手を伸ばしてしまった。「藤田くんへ」と、それだけ書かれた洋封筒。開けた形跡はある。何枚も便箋が入っている感触がする。
 そこに先輩が帰ってきたのだ。つい、隠してしまった。
「そんなに大切な、ものなんですか?」
 私は聞く。
「もちろん。大切な、思い出なんだよ」
 私の知らない、思い出。知りたい、という気持ちが勝ってしまったのはやはり恋心が原因か。「落ちてましたよ」とでも誤魔化して返せばよかったのに。
「家に忘れてきた、のかな……。いや、入れっぱなしのはずだったんだけど」
「それなら早く帰って確認したほうがいいじゃないですか? この部屋は私が確認しておきます」
「……じゃあそうするかな。はやいけど、また明日」
「はい、また明日です」
 先輩は、帰っていった。さて、この手紙、どうしよう。そのまま明日返すべきか、それとも──中身を読んでしまうか。
 天使と悪魔の囁き。勝ったのは、悪魔。

***

 封筒を開けると、たくさんの詩が便箋の中に収められていた。初めて読むものばかりだったからオリジナルのものだろう、どこか優しさを感じる詩。誰が、作ったんだろう。
 最後の一枚の便箋は、詩ではなく手紙だった。

藤田くんへ。
私の言葉、本気にはしてくれなかったと思う。
そうだよね、信じてくれなくて当たり前だよね。
けど、あなたにだから言えたんだよ。
机上詩同好会を作ったのも、最後にあなたと一緒にいたかったから。
きっとこの手紙を読んでいる時には、私はもう死んでると思うけど
最後に言うよ。私はあなたが好きです。
だから私のクラリネットの音色を聴いて、
いつまでも、覚えていて。

平川 琴美  

 コトミ。聞き覚えのある名前。それは先輩が「恋し恋された少女」として前、話してくれた名前。亡くなってしまった一人の少女の名前。
 見てはいけないものを見てしまった気がした。この、おそらく最後であろう手紙を持ち歩くくらい、先輩はまだ、彼女への想いを持ち続けているってことではないか。
 つまり──失恋。
「いや、本人に直接聞いたわけじゃないし! たまたま持ち歩いているだけかもしれないし!」
 ひとりごと。誤魔化し? もちろん、自覚している。
「それでも好きって、ダメかなぁ……。それでも好きになってくれないかなぁ……」
 贅沢だってことは解ってる。けども、諦めたくはない。
「そっか、クラリネットかぁ……」
 途中で辞めた中学の吹奏楽部以来吹いていなかったそれをもう一回練習してみようかな、と思ったのは気の迷いだろうか。

***

「先輩、これですよね」
 翌日の放課後、先輩に手紙を返した。
「ありがとう、柳橋さん。どこにあったの?」
「えっと……それは」
 私が持ってたなんて、言い出しづらい。そんなこと言って、どう先輩が反応するか怖い。
「まあ、戻ってきたのならいいけどね」
 そんな私の様子を見て、先輩はどうやら気遣ってくれたようだった。……バレてるのかな。
「ごめんなさい、勝手に中身読みました……」
 読んだことだけは、正直に言うことにした。
「無くなるようなものじゃないし、構わないよ」
「先輩は、まだ好きなんですか? コトミさんのこと」
 なに直球で聞いてるんだ、私。
「……はっきりと断言は出来ないけど、好きで居続けたいとは思ってる」
 先輩は、律儀だ。だから好きなんだ。
「そんなの、一生恋なんて出来なくなっちゃうじゃないですか。いのち短し恋せよ少女ですよ」
「女の子じゃないよ、少なくとも」
「そうでした」
 動揺して何言ってんだ、私。
「恋愛って、複数していいと思うかい?」
 突然先輩が聞いて来た。
「そんなの、ダメに決まってるじゃないですか。浮気なんて」
「心から愛していた伴侶が亡くなった後、再婚する。するとその気持ちはどうなるだろうか」
 ああ、好きな気持ちのまま、別の人を好きになる。それは複数の恋愛で、それは浮気と簡単に片付けられるものなのだろうか。
「それは例外です例外。最初の恋は続けたくても一方的なものですから」
「琴美さんも、亡くなってる。状況は同じじゃないかな。だから、琴美さんへの恋心を持ったまま新たな恋愛をするってことも出来るかもしれない」
「相手がそれを許すかどうかですよね」
「柳橋さんだったら、どう思う?」
 え、そんな不意打ち聞いてない。それは私の恋心に真正面から当たらないといけないわけで、でも考えるとこんがらがっちゃって、でも……。
「どうしたの、体調悪いのかい」
「先輩がとんでもないこと聞くからです、もう……」
 よし、真正面から当たっていこう。
「……先輩は律儀です。尊敬できる先輩です。だから、たとえコトミさんのことを好きで居続けても、相手にはちゃんと向き合ってくれると思います」
「……なんか恥ずかしいな、これ」
「こっちだって恥ずかしいんですから……。直接こんなこと言うなんて」
 思ったことを、はっきりと。
「だから、そんな先輩が好きだから、そんな先輩の全部が大好きだから、許す許さないの問題じゃなく受け入れると思います」
 勝負なんて出来ないから。好きになったからには大事にしてほしいから。
「なるほど、よくわかった」
「あと、前にも言いましたけど、忘れてるかもしれないですけど、喜久花って呼んでくださいね」
 コトミという名前を初めて聞いたあの日。視聴覚室に一人いた先輩に、対抗心からか喜久花と呼んでとお願いした。
「そうだったね、喜久花さん。ところで──」
 あれ、何かマズいこと言った……?
「──好きっていうのは、先輩として、ということだよね?」
 あああああ!
「も、もちろん先輩としてですよもちろん!」
「本当に?」
「本当にです!」
「……本当に?」
「本当ですったら!」
 どうして、こんなにくどく聞いてくるんだろう。
「後悔だけは、して欲しくないからね。いのち短し恋せよ少女、とは君が言っただろ? 琴美さんは、まさにそうだったから」
「……お墓参りいきましょう!」
 思いつきは突然に。
「ま、まあ平和公園だからここのすぐ近くではあるけど、いきなり過ぎやしないかい?」
「行きましょう! いのち短し、思い立ったが吉日ですよ!」
 先輩が好き。だからコトミさんのところにお参りするべきなんだ。そして、力を借りるんだ。

 あなたのことを想い続ける藤田先輩が好きなので、どうかこの恋、応援してください、

 と。

おわり