Five People

**三ヶ月前**

 東京に来たのは一年ぶりだっただろうか。一年という間隔でも街の姿は変わる。特に変わったのは──巨大な卵状の物体が現れたこと。高層ビルが立ち並ぶなかでも、それは邪魔されることなく視認できる。
 流れゆく人々は皆、この異様な物体を気にすることはない。それはもう、この光景に慣れてしまったからだろう。しかし自分はそれでも不安を覚える。それは多分、自分が名古屋から来たから。
 八ヶ月前の記憶は鮮明に残っている。想定されていた東海地震の発生。その大きな揺れが、魔物を目覚めさせてしまった。震源域の一部・駿河湾に出現した巨大な「ウナギ」は西へ進み、名古屋へ。津波と一緒に押し寄せた。まだウナギだったから被害は最小限に住んだものの、もしも人喰いザメだったらなどと考えると恐ろしい。東京のそれは卵形をしているゆえ、そこから何かが生まれるのではないかとの恐怖が必然的に生まれてしまうのだろう。
 東海道新幹線を品川で降りる。山手線で新宿へ。向かうは西新宿にある某出版社。半年後に出す予定の新刊について打ち合わせを行うためである。
「あ、お待ちしていました。ではこちらで」
 エレベーターで上がると担当編集が立っていた。編集部入り口近くに設置された机に、向かい合わせに座る。
「えっと、沼田さんは一年振りになりますか」
「そうですね、前回分は全て電話打ち合わせでしたし」
 東京・名古屋間の新幹線が復活したのはつい先日のこと。仮復旧の区間も多く震災以前の速度や本数はまだ出せないが、東海復活の象徴として認識されている。
「名古屋の方はどうですか」
「自分の住んでいるのは地盤の固い所なので、正直被害を実感する機会はないですね。ただ都心に出ると、やはり戦いがあったんだなと実感できるような痕があります。笹島の方は特に」
 主戦場のひとつとなった名古屋駅南・ささしまライブ地区の建物には弾痕が多数残っている。そこにキャンパスを構える大学から講演依頼があり行ったのだが、一部の教室の復旧は間に合っておらず、講演した教室では直前まで講義が行われ直前に会場設営が行われるような有様だった。
「東京にも不気味な物体が現れていますよね」
「ああ、あれですか。確かに不気味ですけど、もう慣れてしまいましたね」
「慣れますか?」
「ただそこにある、それだけですからね」
 名古屋は実際に巨大生物襲来を経験したが、ほかの都市にとってはまだ、映画の中の世界なのだろう。
「沼田さんはウナギで小説とか書かないんですか?」
「まだまだ書けないですよ」
 今書いている「ハイパー・クライシス」シリーズは自然災害や人工的要因が次々に起こっていく地域を舞台に、ロボットに搭乗して対処していく主人公たちの話を書いている。巨大ウナギを出すのには絶好だが、名古屋市民の心の傷はまだ、完全には癒えていない。その状態で傷口を深くする可能性のあることは、自分には出来ない。
「東京のそれは、そこから何かが生まれるような、そんな感じがどうしてもしてしまいます」
「ああ、卵の形に見えますからね。三巻が怪獣ものでしたっけ?」
 さすがに担当編集なら、一緒に作ったものを覚えている。そしてその楽観的な態度は東京に住む人々のそれとも共通するのだ。
「もし怪獣が生まれたとしたら、政府はどう動くんでしょうか」
「自衛隊はすぐ出てきますよ、前例があるので」
 前例とはつまり、名古屋の件である。事前に予想していたよりは早かったものの、やはりタイミング的には遅れたと言わざるを得ない。
「それより気になるのは、今回はどうやって自衛隊が出てくるかですね。巨大ウナギの件では警察の機動隊が出動してからだったので『治安出動』という業が使えましたが……」
 警察の能力を超えた、という県知事判断で治安出動がなされた。その例をなぞるとすれば一度機動隊が出動しなければならないことになる。それは、余計な犠牲を生じさせることにもつながるのだ。
「沼田さんらしい視点ですね。──さて時間も限られていることですし、本題の方に入りたいと思います。次巻なんですが、編集部としては三ヶ月後に入校が出来るようなペースで、と考えています」
 確かに、このことばかり話していては来た意味がない。
「となると、一ヶ月前倒しですか」
 若干、発売までの期間に余裕を見るのが慣例とはいえ、少し余裕がありすぎるように感じる。となると可能性はそちらに絞られる。
「下条さんが最新巻を出す予定なので、読者層を考えると当ててくるのは難しいという判断です」
 下条翔。この出版社の中で一、二位を争う売り上げを誇る作家だ。同業のよしみで立川にある彼の自宅を訪ねたことがあるが、小説本とゲームソフトが延々と並ぶ異様な空間だったことだけが記憶にある。奇才、というべきか。
「次はどのような形で話を進めて行く予定ですか?」
「六巻で示した『冷えきった機関室』という伏線を使っていこうかと。大翔たちを単純に邪魔する訳ではなく、陰では一部ながら支援しているという構図を明確にしていくため、構成員として──」
 東京の首都機能は巨大な卵に揺らぐことなく、ほぼ正常に機能していた。