カエルコトノデキナイモノ。

 少女は坂道の途中を歩いていた。名古屋市千種区の星ヶ丘テラス。星ヶ丘高校二年生の志村 秋奈は部活を終えて真っ直ぐ星ヶ丘駅に向かう。しかしそれを邪魔するように、頭の中で誰かが呼び掛けてきた。
『この世界は、あるモノ達によって創造し直され続けている。しかしそのモノも年老い、世代交代を迎える。お前はそんな役割を担う、いわゆる「神」と呼ばれる候補の一人だ。今日から七日間暫定的にその能力を与え、適正があるかどうかテストをする』
「何よ、これ……」
 秋奈は混乱する。この男の声は果たして、どこから来ているのか。しかし人間というものは特に、目の前にあるものが現実に起こり得ないと思える時それを幻聴・幻覚として処理する傾向がある。秋奈も例外ではなく
「うん、別にただの聞き間違い、空耳よね」
そう結論を出して、再び歩き始めた。しかしそれもむなしく
『お前が創造し直したことが人間を含む生物の寿命を伸ばしたのなら、その分だけ評価が上昇する。反対に縮める結果になったならその分だけお前自身の寿命を伸ばすことになる。実際はその原則をもとに、差し引きされることになるがな』
脳へと直接呼び掛ける言葉が、秋奈を襲う。現実逃避も限界だ、と思いその言葉を振り返ると
「あれ? どっちにしろ私に得なんじゃ」
と気づいた。“声”は
『果たして、そうと言い切れるか?』
と疑問を投げ掛けてくる。
「だって、そうでしょ? 評価が上がるか、私の寿命が延びるか。どっちにしろ得になると思うけど」
 秋奈は反論するが“声”は
『そうか、そう思うならそれでよい』
最終的な答えを出してこなかった。それが気になりつつも
「それでさ、つまり願えば全て、私の思う通りになるの?」
と秋奈は尋ねる。
『いや、本当に個人的なことについては対象外だ』
「なら、試しに一個願ってもいい?」
『構わないが、評価には反映されるぞ。あと取り消しは出来ない』
「じゃあ……高校の屋上に出られるようになる、とか」
『了解した』
 それきり声は、聞こえなかった。周りの人が不審がっているが、秋奈はあまり気にしないことにする。そのまま坂を下り、星ヶ丘駅へと向かった。

 翌日秋奈が学校に来ると、朝のSTで担任が
「補強工事が終わり、今日から屋上に出られるようになりました」
と一言言う。秋奈は当然驚いた。というより補強工事なんかやっていたっけ? その疑問の方が先だった。友達に聞くと
「え、何言ってるの、秋奈。一ヶ月前からずっとやっていたじゃない」
と、まるで秋奈がおかしいような目で見てくる。秋奈は
「……う、うん、そうだったね」
と言ってごまかし、
(おじさん、おじさん!)
向こうが頭の中に呼び掛けてくるならこちらからも可能だと考え脳内で呼び掛けると
『……誰がおじさんだ』
不満そうな男の声が返ってきた。
(ねえ、どういうこと?)
主語がない文だったが“声”は
『違和感が出ないように、世界は調整されたのだ。今回屋上に出られるようになる、そのためには補強が必要だ。だから工事がされていたことになるし、その費用も名古屋市の予算から支出されたことになっている』
と秋奈の疑問に答えた。
(ちなみに、私の評価は?)
『屋上を開放したことによる生徒達の幸福度上昇率、工務店の雇用、予算支出に伴う他分野の減額を考えると、お前の評価は三プラスされる』
(三? いくつ取れば神として認められるの?)
『明確な基準は存在しない。こちらの判断次第だ』
(なんて曖昧な──)
『それでも今まで困らなかったからな。それだけだ』
「ふーん」
 そして秋奈は、次に何を願おうか考える。
(じゃあトイレの改装とか、できる?)
 思い付きで提案すると“声”は
『了解した。しかし、矛盾を極力抑えるため明日の朝に実施される。また、とりあえず普通教室棟側だけになるが』
と言う。秋奈が
(どうして?)
と聞くと
『例え屋上のように偽装の記憶を与えたとしても、一気に全てのトイレがきれいになったらその工事期間中トイレというものがないという矛盾に気づくものもあるだろう。まだ見習いゆえ、そういった部分において制限されるのだ』
(まあ大体解ったわ)
『因みに、これでお前の評価は五プラスされる見込みだ』
(さっきよりも多いのは、どうして?)
『これが他の学校にも波及するからだ』
(でも、比例する訳じゃないんだ)
『ああ、その分福祉費が名古屋市の予算から減額されているからな。費用が大きいゆえ、そういった影響も看過できなくなる』
 難しい計算をするんだな、と秋奈は思った。

 さすが有名進学校の生徒だけあって、秋奈はこつこつと評価をプラスしていった。高校北側の交差点が安全に渡れるようにしたり、校舎の階段や廊下を滑りにくくしたり。そのかいあって
『今の評価は三十七、今まで私が見てきた中では最高の評価だ』
と「神選定人」(と秋奈が呼ぶことにした男の声)に言わせるほどになった。
「でも、まだまだ認定には届かないでしょ?」
 夕方の教室なので人目をはばかることなく、秋奈は声を出して神選定人に聞いた。
『さあな。明確な基準はない。それに評価はひとつの指標、絶対的な価値は持たない』
「えー、ずるいよ」
『それを言うのはお前で二十九人目だ。これはあくまでも試験、必要以上のことは教えられない。評定方法に関しても、だ』
「ふうん。でも、上げられるものは上げとくべきよね。次は……カーディガンの色の自由化、とか」
『了解。ただ、これによってお前の評価は上がらず、代わりに寿命が一年延びた』
「え、何で?」
 てっきり小幅でも評価が上がると思っていた秋奈は拍子抜けする。
『今までのように、評価上昇要素が低下要素を上回っている訳ではないのだ。これが実行されると生徒達の幸福度、特に女子生徒達のものに関しては上昇するが、同時に今度はリボンの件、男子のカーディガン着用など規則がなし崩し的に破壊されていく。つまりモラルの低下へと繋がる訳だ。一人一人の寿命に与える影響は小さいが、それが集まればトータルでマイナス、お前の寿命延長へと繋がるのだ』
「今までためた分から差し引きされた結果?」
『いや、評価は個々に算出している。評価を加算することはあっても、今までの分から差し引くことはない』
「加算方式って訳ね」
 それからは秋奈も、真剣に影響を考えてから実行に移すようになった。しかし思ったほど評価は上がらず、だんだんと最終日は近づいていく。秋奈は焦った。他に神候補がいるなら負けるかもしれない、と。
(大きい事、大きい事……台風をなくす、だと犠牲者自体は少なくなるけど、実際来なかった時マスコミが渇水の危機だと騒ぎ立てていたしな……うーん……)
 授業中である事も関係なしに考えていると、突然体が全体的に揺さぶられた。はっとして振り返るが誰かが肩を叩いたわけでもない。ただ、教室全体がざわめきに包まれ、授業をしていた男性教師も一言
「ん~、地震か」
と言った。何気ない一言だったが、それが秋奈にヒントを与える。
(そう、それだ! この世から地震なんてものがなくなってしまえばいい! そうすれば地震による死者がいなくなるし、日々怯えないで済む)
『了解した。では少しの間、目をつぶれ』
 秋奈は「神選定人」に言われた通り、まぶたを閉じた。とたんに右手で持っていたシャープペンや左肘をついていた机の感触、男性教師が授業する声や周りの生徒たちがペンを走らせる音やちょっとした小話の声など、全てが消え始める。秋奈ははっとして目を開けた。真っ先に目に入るのは真っ黒の星。秋奈の背後から降り注ぐ光に照らされているから辛うじて見えるが、そうではなかったら宇宙の闇に紛れてしまうだろう。
(何よ、これ……)
『これがお前の望んだ、結果だ。地球から地震がなくなる、それは大陸を終始動かしているプレート・テクニクスの停止をも意味する。日本という国で危惧されていた東海地震のようなプレート型大地震に限らず、全ての地震の原動力がそれだからな。プレート・テクニクスはマントル対流と互いに作用・反作用の関係だからそれも停止する。そうなるとまた作用・反作用の関係である地球の自転すら、ブレーキがかかる。月は地球の衛星軌道を逸脱し衝突、この時点で人類を含め地球生物はほぼ死滅するがその衝突がきっかけで地球における万有引力も消失、大気や地球表層部は宇宙空間へと拡散した。それがこの結果だ』
(と、取り消し!)
『最初に言っただろう? それは出来ないと』
(て事はつまり、私の寿命は……)
『五千八百二十一億九千七百二十四万八千六百十三年追加された。因みに、人類だけを加算したが』
(ってことは、今までの宇宙の歴史より長く生きる事になるの……)
『人類はそれをビッグバンと言ったよな? それが世界の最初である証拠が何処にある。実際に有った事すら、言い切れないというのに』
(て事は、あなたはすべてを知ってるの……)
『ああ一応な。でもそれを教える必要はない。暇潰しに、これ以前の世界で何かを願った時のシミュレーションでもしてやるが』
(じゃあ……魔法が使えるようになったら?)
『最初に使い始めた者達は迫害され、抹殺される。その現状を知った彼らはひっそりと世界の影に潜み、日々を送っていく。因みに、その能力を与えるものは別にいて、「ランタ」と呼ばれる地球を正常化しようとする決まった姿を持たない生命体だが。無論現代社会もその影響、不確定要素を排除しようとする』
(何か、具体的ね)
『異相同位世界にそういうものがあるからな。他にも色々なバージョンがある。どれもシミュレーションではなく現実だ』
(そっか……じゃあ何か、面白いものはあった?)
『現実世界の他に第二世界があって、第二世界のモノが現実世界に押し寄せてくる。しかしその結果両方の世界が崩壊してしまうのではないかという危機を唱えるモノが現れ、その世界での人間と結託して世界を守るというのは興味深かったな』
(でも、この世界ではもう……出来ないよね)
『何なら異星人、まあそれは地球から見た言い方ではあるが、そういうものを願えばどうだ?』
(でも、そんなのごまかしにしかならない。友達も家族もみんないなくなってしまった、私のせいで。だからその罪悪感を背負って、生きなくちゃいけない……)
『元に戻したいか?』
(当然よ。私には、神になる資格なんてない事がはっきりと判ったから)
『そうか、なら──』

 気がつくと秋奈は、初めて“声”を聞いた星が丘テラスへと戻ってきていた。迷惑そうに横を通りすぎる、秋奈と同じ制服を着た女子生徒達のグループ。秋奈はとりあえず坂を下り、星ヶ丘三越の吹き抜けに設けられたベンチに腰掛ける。とりあえず頭の中で状況を整理してみる事にしたのだった。
(私は、あの世界から戻ってきたの? 世界は私によって壊されたはずなのに)
 その後しばらく考えて出した結論は
(たぶん、夢だったと思う。でも夢にしてはその中の時間が立ちすぎてるけど、まあ夢だし何でもありでしょ)
という、普通の人間が行き着くようなものに過ぎなかった。しかし一応の結論が出て、秋奈はベンチから立ち上がる。三越連絡通路と名前のついた星ヶ丘駅出入口の階段を、秋奈は下りていった。

「今回も失敗でしたね、マスター」
「ああ。いわゆる『地球』に生息する『人類』というものは、最初はよくてもそのうち欲が出てきてしまい結局は自らの身を滅ぼしてしまう。次は『人類』の番だというのに、どうしたものか……」
「その力を与えても知らせない、というのはどうでしょう。形式にさえ与えておけばルールは守られます」
「しかしそれはある意味において危険だ」
「なら、監視の者を配置しましょう。万が一の際の暴走を止められるような」
「……承知した。現実世界を複製、進行中の世界を凍結させ複製世界を展開する」
「この、『放棄された世界』はどうしますか?」
「保存しておくのが規則だ。凍結して解析に回す」
「了解です。ところで、」「何だ?」
「私達という存在がいるのに、何故世界の改変者というものを設けるのでしょうか」
「私達は世界を可能な限り維持する、それだけの存在だからだ」
「もし私が世界を改変しようとしたら、どうなるのですか?」
「客観的には何も変わらない。広義には『改変』と呼ぶ事は出来るだろうが、大抵は世界の維持活動として認識される。つまり世界が移り変わる、それだけに過ぎない。積極的な改変は私達に認められていないという事だ」
「じゃあこの仕組みを作ったのは、誰なのでしょうか」
「判らない。もしかしたら、私達が世界を管理しているように私達も管理されているのかもな」