トクホウ

α5「警察回り」その2

 初日のように受付へと取材申請書を出し、副署長室へ通される。生活安全課少年係とともに刑事課にも申請したのは、単独で取材先を指定しては不審に思われるから、だけではない。事件の全容が何となく掴めてきたところで話を聞けば、より深くまで聞き込めるという期待もあってのことだった。
 今回は先に、少年係に取材を行えることになった。聞くことはただ、一つ。
 取調室の一つに通され、宇治刑事を待つ。紙の束を持って彼は数分経ってからやってきた。
「妙見さん、いい情報が昨日見つかりましたよ」
 たくさんの書類はそれについて、らしい。
「これは薬物対策係の捜査書類です。対象は、殺人事件の被害者だったあの少女。いわゆる『合法ドラッグ』の転売先として彼女が関わった人物とみられるリストです。彼女の顧客はあくまで、元々のバイヤーから指示された人物だったようなので」
 そう言いながら、彼は表の一行を指さす。
「ここに、自殺した校長の名前がありますね。彼女は彼と会っていた。ここから何かつながっていくかもしれません」
「でも大分前の話ですよね。最近までつながっていたとは考えにくいと思います」
 何故こんなに冷静でいられるのだろう。「あのこと」を知っていなければ、おそらく歓喜していたところだが。
「意外に、落ち着いておられるのですね」
 向こうもそれは感じたらしい。でもその原因が自身にあることは気付いていないだろう。
「それで、聞きたいことがあると電話を差し上げましたが、その件についてよろしいでしょうか」
「ええ、何でしょう?」
 思い切って、言う。
「宇治刑事は、自殺した男子生徒の父親なんですよね?」
 彼は驚いた表情を一瞬だけ見せて、でもすぐに元の穏やかな表情に戻る。それはかなりわざとらしくて。
「どこから聞いたのかは判らないですけど、事実です。はい、確かに僕は弘道の父親でした。長嶺さんと一緒に亡くなる、その時まで」
 本人の口から聞くと現実味がある。その現実感が、私にさらなる不信感を与えてくる。なら何故、最初から言ってくれなかったと。
「言わなかったことに言い訳はしません。可能ならば言いたくなかったというのは事実ですし。ただいつか知られるということもまた、解ってはいました」
「では何故、取材に応じてくれたのですか」
 こちらは当初、正式なルートを通じて取材を申し込んでいる。拒否することも出来たはずだ。
「自分も、もっと情報が欲しかったのです。息子と少女が付き合い始めたということは知っていました。しかし、彼女と出会ったきっかけなどは教えてくれないまま亡くなってしまいました。──僕が彼女との接触を頼んだ訳ではないです。それは偶然でした」
 偶然というのは怖い。偶然によって事態は加速もするし、収束もする。
「息子に彼女との接触を依頼したのは、誘拐の主犯になった男だったそうです。自分達の代わりに人生を壊された少女に恩返しをするために。そのために、彼女の状況を知るために。大学への進学資金を貯めていたりしていたようです。しかし彼女はなくなりました。結果は、この前話した通りです。自殺が報道された直後、電話をもらいました」
「……記事がまとまってきたら、また取材させてもらっても構いませんか?」
「ええ、お待ちしています」
 私は取調室を出る。高校間での関連より、この少女についての単独記事を書きたい。そういう欲すら出てきてしまう。それは記事を書く材料に圧倒的な差があることもあるが。
 刑事課での取材は、これまで集めた材料の確認が主となった。担当は最初の取材と変わらず、強行犯係の本山刑事。それらの材料は彼女の知る限り真実だったし、新たな事実も飛び出さない。ただ最後に、刑事はボソっと言った。
「ああ、これは個人的な呟きとして聞いて欲しいんですが、宇治警部補と接触するのは控えた方がいいですよ。そろそろ動き出す頃です」
「はい?」
「では書類を書かなければならないので失礼します」
 意味深な台詞を残し、彼女は取材を行っていた課内の応接室を出ていく。何が動き出すのだろうか。
 新聞社に戻ると早速特報部長に、記事のテーマが変わる可能性を申告する。
「なるほど、彼女の方に絞る可能性があると……」
「はい、こちらは様々な情報が集まりましたし」
「元々のテーマで核になるのも薄いしな。とりあえず両方書いてみろ。それで決める」
 両方書くとはまたハードな。まあ記事を書く練習にもなるし、テーマを変えるのなら負担がそれだけ割り増しになってしまうのも納得できる。
 新聞記事となると変に七不思議を強調する訳にもいかず、元のテーマで書くには、圧倒的に情報源が不足していた。どうにか形にはして、変更後の記事を書き始める。こちらは構成に少し時間を掛けたものの、記事自体の執筆は楽々と進んでいく。終業時刻ギリギリに何とか間に合わせ、データを部長へ渡した。専用パソコンでさっと目を通した後、
「確かにこの段階では単独の方がいいな」
 そう一言言い残した後、自分用のUSBメモリーにデータを移し帰っていった。自宅でじっくり読み込むのだろう。
 翌日は取材会議。新たな取材の予定は最近のニュースを見る限りないので、メインは既存の取材体制のチェックとなる。
 現在の取材構成は、原子力問題を取り扱う班が七人・冤罪事件を取り扱う班が四人・地震班が同じく四人・所得格差を取り扱う班が三人・オリンピック誘致取材が二人、そして自分となっている。大きな事件は起こっていないので特別班は編成されていない。新聞社として脱原発を押し出しているので、原子力取材班が手厚くなっているのが特色だ。
 現在の流れで記事を書くことになるなら冤罪班の記者も借りられるかもしれない。記者が増えたからって集められる情報量が二倍になる訳ではないが、負担が減るのは事実だ。
「では始めるぞ。まず各班から、取材状況の報告」
 人数の多い班から順に進むため、まずは原子力班から。
「原発再稼働後、大阪電力が一部の火力発電所を停止させたそうです。その辺りについての取材を進めています」
 要するに、停止させる火力発電所があるくらいなら原子炉を再起動しなくても良かったのではないかと問う記事にしたいらしい。おそらく一部の有識者からは「供給義務がある以上、火力をフル稼働状態にしたままだと故障のリスクが高まるのを避ける必要がある」という意見が出るだろうが、それよりも世間へ与えるインパクトの方が大きい。一面記事に回される可能性もある。もっとも、そうなると特報面が空くので自分達の記事が載る可能性が上がるのでむしろ歓迎すべきことだが。
「んー、いつまでに仕上がりそうだ?」
「月曜には何とか」
「一面に回すかもしれないから、それを念頭に仕上げていくよう」
「了解です」
 冤罪班は四日市市内で起こった傷害事件に関する調書捏造疑惑、地震班は名古屋港を東西に走る天白川河口断層についての報告。格差班は生活保護を受けている人々への継続取材、誘致班は現行計画の問題点指摘。
「志段味地区に選手村を作るという現行計画は、交通インフラや治安の点からして現実的ではないということを書きたいと思います」
 東名高速守山パーキングエリアに出入り口を併設、鉄道インフラはゆとりーとラインを活用すると基本計画にある。必要なら新交通システムに改造するとも。ただ貧弱な感は否めないし、警察署も遠い。
「なるほど、なら出すか。明後日いけるか?」
「はい」
 二人班ではあるものの両方ともベテラン。ヒット率は高い。
「最後に妙見記者の取材報告だが」
「はい」
 私は立ち上がって説明する。
「警察及び両校への取材を行いました。校長の自殺については目撃者の証言から、少なくとも一人、その時屋上にいたことが判明しました。生徒の間で七不思議が回っていたのでそちらについても事件の調査になると思い調べましたが、有力な手がかりにはなりませんでした」
「まあ、噂を調べるのは鉄板だからな。結果に結びつかなくても文句はない」
「次に生徒の自殺についてですが、最初に自殺した少女については主に警察関係者から情報を頂きました。彼女が殺人事件の被害者で、直後は犯人だと疑われていた人物です」
 これは愛東新聞を含めたマスコミの汚点だ。果たして取り上げることは叶うのか。
「そして彼女が誘拐事件の被害者だということも明らかになりました。情報元は警察官で、自殺した男子生徒の父親です」
「そういえば『男子生徒の関係者にだけは当たれないんだよ』と社会部が言っていたけど、そういうことだったのか」
 これは先輩である山里記者の発言。山里記者は原子力班に属しているが、特報部に来る前は社会部の記者だった。ゆえに知り合いも多く、そういった情報は信頼に値する。
「話を戻します。殺人事件が起こった時に、彼女は別の犯行グループによって拉致・誘拐されていました。連絡がつかなかったことから何もされず解放されたようですが、戻ってみると家族が殺されていた、そういう状況です」
「でも、それなら『誘拐されていた』と正直に言えば良かったのでは? そうすれば彼女が疑われることもなかったはずだ」
 山里記者の発言は、「疑われる状況を作った本人が悪い」といった、これまでの報道体制とあまり変わらない考え方に基づいている。だから報道被害は無くならないのだと、そう感じた。
 そんな批判は口に出さず、説明を続ける。
「誘拐されていたから助かった、その思いがおそらく強かったのでしょう。だから彼女は犯行時刻の所在を黙秘しました。その情報を聞いた我々メディアは彼女を犯人と決めつけるような報道を行います。真犯人が見つかるまでは」
「しかし警察も疑っていたのでは?」
「あくまで可能性として、です。現場の状況が、明らかに違和感を与えていましたから」
 凶器となったのはナイフだが、そのナイフはしっかりと身体に突き刺さっていた。しかも一人だけに。他の二人には凶器はなかったが、傷の形状から致命傷は同じく刃物による刺し傷ということが明らかになっている。突き刺すのにも一苦労なのに、それを引き抜くことを二回も行っているのだ。それだけでも中学生女子の犯行を否定する材料である。しかもその情報を容疑者が逮捕される以前から、マスコミは知ることが出来た。彼女の所在云々はごく初期のリークである。
 警察サイドはもっと悲惨な状況を知っていた。特に彼女の妹の遺体へ加えられたは常軌を逸していたのだ。少女の所在以前に、彼女の犯行の可能性は二の次とされていた。疑いを向けるのはマスコミが中心だったということになる。
「この記事を書くとなると必然的にマスコミ批判となりますよ、部長。しかもマスコミがマスコミを批判するという。そんな記事が可能ですか?」
「それは後で判断する。妙見くんは当初の予定通り書くか、それともこれを中心に書くか迷っていたな。ということは自殺同士を結びつける材料もあるということだ。時間も限られていることだし、それについて簡潔に説明できるか」
「解りました。──自殺した少女には事件が起こった後、支援してくれる人はいませんでした。マスコミの報道が大きな理由です。困窮する生活の中でいわゆる『合法ドラッグ』の売買の話が持ちかけられたようです。そういう訳で彼女はバイヤーとなっていた訳ですが、彼女の活動は転売元から指示された顧客に対して売り、マージンを稼ぐという形式でした。そしてその顧客リストに、自殺した校長の名前があったという情報を得ました」
「それはどこから?」
「生活安全課からです。あくまで捜査情報であり決め手にも欠けるのでさらなる情報の補強は必要とは思いますが」
 捜査情報漏洩は公務員の守秘義務違反である。なるべくならこの手の情報は取材のトリガーに留め、表には出さない形にしたい。そうしなければ協力してくれた宇治刑事に迷惑がかかる。
「んー、決定的なつながりではないか。となるとこの時点でたくさんの情報が集まっている少女の境遇の方が記事にしやすいし、読者の興味も誘える」
「しかし、自己を含むマスコミ批判になります」
 愛東新聞は東海地域と首都圏を中心にカバーするブロック紙だが、もちろんマス・メディアの例外ではない。
「構わない。上は俺が説得する。──誘拐について他のソースは?」
「警察は認知していませんし、誘拐の主犯は自殺してしまっているようです」
「しかし誘拐という大がかりなことを一人で出来るわけがない。探せば見つかるはずだな。他の班から人員も出す」
 記事にゴーサインが出たところで、誘拐犯の身元について知るため私は宇治刑事に電話をかけることにした。
 社内の電話から彼の携帯電話へ。しかし、呼び出し音が鳴るばかりでなかなか出ない。十回ほど続いた後で呼び出し音が途切れた。
「もしもし?」
『ただいま電話に出ることが出来ません。電子音の後にお名前とご用件をお話し下さい』
 仕事が立て込んでいるのだろうか。何が原因かよく判らないが、とりあえず吹き込んでおく。
「愛東新聞の妙見です。誘拐について調べることになりました。誘拐犯の身元について教えて下さい」
 これで解るだろう。そう判断して私は電話を切る。
 しかし折り返しの電話はなかなか返って来なかった。取材担当として他班から駆り出された記者達はいらだっている。その空気はどうしても伝わってきて、私は何回か電話をかけた。そのどれもが、あの無機質なメッセージ。吹き込むのを止めたのはいつからだったか。