海へ向かう人間、陸へ向かうウナギ

 世界一深い湾、駿河湾での調査は困難を極めていた。
 海洋調査船「なついろ」。独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の持つ大型調査研究船であり、ハイビジョンカメラ搭載の無人探査機を使うことで、水深三〇〇〇メートル級の探査を行うことが可能である。そんな高性能な船舶である「なついろ」は現在、NHKや在京キー局の東京セブンの取材クルーも乗せ、急遽組み込まれた調査活動を行っていた。
 今回の調査に投入された船舶は「なついろ」だけに留まらず、深海調査研究船「かいぼん」など日本の海洋調査の最前線を担う船体が多数投入されている。潜水調査だけでなくソナーによる探査なども併用し、目的である「あるもの」の発見を急ぐ。しかし、その「あるもの」は、未だに見つからない。
これほどまでに大規模な調査が行われているのは、約一ヶ月前に起こったある災害がきっかけだった。

 愛知県豊橋市沖、深さ二十四キロメートル。一ヶ月前の八時二十分四十秒、プレート境界面に当たるこの場所で大規模な断層面破壊が生じた。大陸側プレートに蓄積されていた地盤の歪みをも解放するその現象は、東は富士川河口・西は伊良湖沖へ一分三十九秒間に渡り連鎖的に拡大し、巨大な揺れとなって東海道地域を襲った。数日後「二〇☓☓年愛知県沖東海地震」と名づけられることになった巨大地震である。モーメントマグニチュード八・二、気象庁マグニチュード八・〇となったこの地震は豊橋市や静岡県湖西市などで震度七を計測する非常に強い揺れを生み出し、一方で巨大津波をも引き起こす。特に浜名湖では遠州灘の津波が逆流し、沿岸の広い範囲がそのエネルギーで破壊・浸水した。その他の地域でも地震の揺れや津波で物的被害は甚大なものとなっている。しかし人的被害は奇跡的と言えるほど、少なかった。もちろんそれにはカラクリがある。
 東海地震に対する観測体制。「いつ起きてもおかしくない」と言われていた地震を予知するために設けられた二十四時間体制の観測網である。予想震源域の周辺に体積歪み計などを設置してデータを気象庁に電送し、前兆現象(スロースリップ。プレート境界面がゆっくりとずれる現象)の発生を監視している。この観測網が地盤の変化を捉え、東海地震注意情報から東海地震予知情報、予知情報に伴い大規模地震対策特別措置法に基づく「地震災害に関する警戒宣言」、いわゆる「東海地震警戒宣言」の発表と、警戒態勢はシフトアップされていった。経済活動の制限も伴う警戒宣言発表により災害弱者や海沿いの地区・耐震性の低い建物に住む住民などが事前に避難したり、行政が避難させたり、あるいは名古屋港の堀川河口のように水門を閉鎖したりすることで、犠牲者を減らせたという側面が大きい。
 だが、この地震により予想外の災害が起こった。なお震源域の真上に位置する中日本電力御前崎原子力発電所では外部電源三系統のうち一系統が失われたが、電源自体は確保できており大きな問題もなく停止している。予想外だったのは防災計画にも想定されていなかった事態、巨大ウナギ来襲である。
 駿河湾を飛行中の東京セブン報道ヘリから目撃された巨大ウナギは遠州灘を西進し、交通の要所である伊良湖水道を経由、伊勢湾へ入った。その一番奥、名古屋港を目指して。津波と同時に名古屋へ来襲した生物群は防潮堤を乗り越え、津波の海水で浸水した地区や堀川・中川運河を経由して都心へと向かう。たまたま金山駅に展開していた愛知県警機動隊第二中隊の一部が尾頭橋付近にて対処するものの決定的な攻撃とはならず、何とか北上を抑え込むに留まった。近隣・大規模警察による応援も受け(南海地震も遅れて発生したため、規模は縮小したが)、膠着状態となる。
 その後事態が動くのは、陸上自衛隊が出動してからである。与党間の方針相違があったため出動決定は遅れ、結局は県知事要請による治安出動で出ている。もちろん前例はない。堀川を渡る桜通の橋「桜橋」の南に仮設された人工地盤を前線基地にしつつ、銃火器を使用し堀川を北上していた個体群は全て射殺。中川運河を北上してきた群はその一番奥、開発途上のささしまライブ24地区において大阪府警の応援指揮部隊の下、愛知県警・大阪府警の特殊急襲部隊(SAT)や中部方面機動隊の活躍により全個体が撃破された。名古屋港港湾区域や伊勢湾上に留まっていた個体群については第四管区海上保安部や海上自衛隊により伊勢湾外へ誘導され、行政は通常の災害対応体制へと戻ったのだった。