ぼそぼそと。

はじめに、このブロマガはあくまでも一般論であり実際のなんたらかんたらとは関係ないのです。そういうことになっているのです。

 さて、Aという目標があるとします。それは今の自分にとっては、とても高い目標だとします。その高みにたどり着くためにはどうすればいいでしょうか。
 それが例えば「1kmをX分以内で走る」だとします。それを実現するためには、日々のトレーニングが必要不可欠です。しかしトレーニングだけで上手くなる場合もありますが、大抵の場合、どこかでつまづきます。しかしある程度の実力が認められれば、トレーナーが付いて指導してくれたりしますね。そのトレーナーは自らの経験に基づいてアドバイスし、能力を伸ばしてくれます。

 それは知識の分野についても同じですね。例えばそうですね、「ベストセラーの小説家になる」って目標だとしましょう。それを実現するには幾つもの作品を書いて推敲を重ね、「評価される小説」へと高めていきます。そして「小説賞」などで実力が認められれば、編集者がついてアドバイスし「読者がつく小説」へと高めていきます。そうすれば、やがてベストセラーの小説も生まれてくるでしょう。

 しかし、スポーツの分野では結局自分に力がついていなければどうしようもありません。しかし、知識の分野では「ズル」が出来ます。剽窃、つまりパクりですね。一時期話題になった──いや、これは一般論を書くブロマガでした、しかしそれは、高度な目標を手にいれるにはもっとも簡単な手段です。しかしそれが発覚すれば、強く非難されます。「簡単」の代償として、その人の信用を地に落としかねないわけです。「前科」として、つきまとう訳です。

 するとやはり、自らの力だけで全部やらなきゃいけないのでしょうか。いえ、先ほども述べた通り、高度な部分を目指すためには協力を仰ぐ必要がある訳です。それはつまり他人の力を使っている訳です。「二十四の瞳」の著者、壺井栄はもともと他の小説家の文章を写す作業を通じ、文章を学び小説家への道を進んでいったと聞きます。他人の真似事も、力になるということです。
 でも、時代はデジタル。デジタルは、剽窃を容易にしました。データとして扱われ、複製が容易になりました。コピー・ペーストを繰り返し、ちょっといじるだけで多少の文章なら問題なく作れるようになりました。

 だが、それは自分のものに、自分の能力になるでしょうか。それは「否」と、確信を持って言えます。たとえ単純な文章でも、ワープロ打ちであっても、1文字1文字打つのとコピー・ペーストでは集中する部分が異なってくるでしょう。その内容をしっかり頭に入れることができるのは、前者で間違いはありません。同時に推敲しているわけです。

 さて、推敲ということで話を脱線させてみます。

 文章を打つSNSは「リアルタイム型」と「推敲型」に大きく性格が分かれるのではないでしょうか。しかしその性格は、同じプラットフォームでも場合によって変化します。

 Twitterを例に考えてみましょう。「〜なう」っていうのはいささか古いかもしれませんが、そういった「その場のことを逐次報告する」という性格を持つツイートが一つの大きな領域を占めます。その一方、文章をしっかり1文字1文字練り上げて作ったツイート、つまり「推敲型」の性格を持っているツイートもあるわけです。それは特に、リプライの時に見て取れるのではないでしょうか。

 最初のリプ、これはじっくりと文章を練る時間があります。1対1の関係になっていない分、推敲を重ねられる訳で「推敲型」の典型例です。「伝言メモ」といった役割といえ、内容をまとめておいた方が無駄が少ないでしょう。しかし、いざ1対1の関係(あるいはもっと多いかもしれません)となると、リプライは短いワードでの瞬発的なやりとり、つまり「リアルタイム型」を重視したものになります。つまりそれは、言葉による会話と同じです。相槌も必場合によって必要となるでしょう。

 より「リアルタイム型」を意識した例が「ニコニコ動画・ニコニコ生放送」のコメントでしょう。特にニコニコ生放送は「リアルタイム型」に特化しているといっていいかもしれません。その対極、「推敲型」に近いのは「YouTube」のコメントです。動画全体を一通り見終わってからチェックする点では、推敲型に近いといえます。

 逆に推敲型に特化した例が「フォーラム形式掲示板」ではないでしょうか。「情報交換の場」という目的上、様式に沿った文章による書き込みが求められます。そしてリアルタイムの情報よりも、検証された、推敲型の情報が求められます。その方が無駄が少ないからです。当然、リアルタイム型に極端に偏った情報は無駄が多いと判断され、嫌われます。

 「Yahoo!知恵袋」など質問系サイトは「フォーラム形式掲示板」と同じようで、「リアルタイム型」を相当拡大させたシステムとなっています。その要因は、回答ポイントです。質問者から見れば、迅速に出された回答が「実際役立つ」とされ、回答ポイントが割り振られる場合も多いように感じます(実際に質問者・回答者の立場で利用したことはないので、はたから見た印象ですが)。

 つまりSNSでは、たとえ同じSNSでも「リアルタイム型」「推敲型」を使い分ける必要すらある訳です。これは大きな特徴といってよいでしょう。

 この「推敲」を上手く行うためには、前提知識が必要となってきます。前提知識を得るためには時間をかけ、基礎を学んでいく必要があるわけです。そもそも、基礎がなければ応用なんて本来は無理なはずです。

 しかし、デジタルの落とし穴はここにあります。「基礎」をコピー・ペーストでなおざりにして、応用へ突入することが可能になってしまうのです。そして「理解した気」になってしまう恐れすら出てきます。これは大きな問題です。本人は「基礎を理解したつもり」で応用に挑み、その過程で基礎が不足している分さえも、経験を持った先人を頼ろうとします。だが、あくまで「つもり」で「理解した」ではなく、その基礎の不備を指摘される結果と成り得ます。本人は「基礎は理解した」という認識なので、そこで思考のすれ違いが生じることになります。

 まず土台を組み立て、推敲可能な技量を整える。先人を頼るのはそれからでも遅くはないでしょう。「急がば回れ」とは言いえて妙なのではないかと思います。

 繰り返しますが、あくまで一般論による記事です。しかし、なんでこんな深夜にこんなこと書いているんだろう……。