ウワサ

1「はじまり」

「あ、雨降ってるしー」
「大丈夫だよ。私、傘持ってるから」
 雨の日、放課後の教室。天気予報によれば「くもり」のはずだったが、実際に時間が経つと授業が終わる頃になって雨が降り出してきていた。
「じゃああいちゃん、途中まで入れてって♪」
 髪を腰の辺りまで長く伸ばした少女が、ショートの少女に手を合わせて頼み込む。拝まれた方はもちろん承諾のつもりで
「了解りょうか──」
 と鼻唄交じりで自分のカバンを漁りだすが、
「──ごめん、忘れた!」
 なかったようで、頼んできた方と同じようなポーズで謝る。
「え、ないの?」
「うん。ごめんね、しーちゃん」
「オッケーオッケー。てか私が持ってないのがそもそもダメだし♪」
 ふと「しーちゃん」は窓の外を見る。西方向の空も雲に覆われてはいるが、真上の空よりはずいぶん明るい。
「もうちょっと経ったら止むかもだし、待ってよ?」
「うん、そうしよっか」
 二人は適当な机に座る。帰りのホームルームが終わってしばらく経ってしまい、残っているのはこの少女達しかいない。そう、今の所は。
「そういえばしーちゃん、そのブローチ可愛いね」
 長髪少女の右手側についている、薄いピンク色のアクセサリー。付いているのはアジサイの花(正確には葉だが)。大きい半球状の、全体を表現したものではなく、その中から数輪をピックアップした感じの、部分を表現したものである。
「これ? うん、頑張って買っちゃった♪」
「このキラキラした滴のような部分とかいい感じかも。いくらくらい?」
「えっとね、×××円だったかな」
 一瞬雨足が強くなり、会話の声が聞こえなくなる。しかし値段についてはお互い重視していなかったので、聞き返して確かめたり、繰り返し言ったりするようなことはしない。それが、事件のきっかけだったのだが。
「確かに、透明のが上手くアクセントになってていいよね」
「この時期にピッタリでしょ?」
 所々の花びらに、雨粒が乗っかっているデザイン。雨粒は透明の樹脂らしきもので、いかにも本物が付いていているかのように作られている。それは梅雨らしい風情をかもし出す、この季節ならではのもの。他の時期に着けていたら、ちょっとおかしい。
「色違いで何個かあったんだけどね、やっぱりピンクが一番だよ♪」
「え、私だったら水色にするよ?」
「ベタだよ?」
「いいって、ベタでも」
 ここで一旦、会話が途切れる。「しーちゃん」は机の上に腰掛け、足をブラブラさせた。といっても何も起こらない。ただ、雨の降る音だけが聞こえてくるだけ。
「……雨、止まないねー」
 そんな無言状態にも飽き、「しーちゃん」は独り言のように呟く。
「そうだね」
 「あいちゃん」は窓の外をじっと眺め、ただ暇を持て余す。何か話題はないか、と思い長髪の少女に浮かんだのは、
「あいちゃんはカレシとかいる?」
 耳にタコが出来るくらい、ありふれた話題。
「いないけど?」
 しかし暇を持て余していたので拒否する理由もなく、「あいちゃん」は律儀に答えていた。
「私もいないよ」
「へぇ、意外。ちゃっかり作ってると思ってた」
 「しーちゃん」が聞いた噂によれば、意外と男子に人気がある「らしい」。ただ人気がある一番の理由は「大きな胸」だそうで、やっぱり男子は男子だなぁと感じた情報でもある。まったく、大きな胸のどこがいいんだか。邪魔じゃない。長髪少女はそう思った。
「それだったらこんな所にいないよ?」
「いや、彼氏いないっていう偽装工作かと」
「私はそんなに策士じゃないよ?」
「それは納得だね」
 長い付き合いの中で、彼女が嘘をつけないことを「しーちゃん」は知っている。
「納得すんなー。ところで、作る予定は?」
「大学入ってからかな」
「私は高校で一人は作りたいなって♪」
「そう言いつつ、二〜三人並行して──」
「私は小悪魔系目指してません!」
「いや、それ『小悪魔』っていうのかな?」
「男の子が無理なら女の子でもいいです!」
「何か頭のネジが外れかけてるよ?」
 確かに、暴走気味である。
「女の子同士の恋愛とか、ありっぽいだし♪」
「いわゆる『百合』ってのだけどね」
「むしろ男の娘ならバッチこい!」
「現実セカイに戻って来よ?」
 男の娘、簡単に言えば「女装していて、かつそれが異常な程に似合っている男の子」のこと。一部では「こんな可愛い子が女の子のはずがない!(=その子は男の娘)」だと言われたりも。無論、そのような人間が実際にいるかは定かではない。
「──で、あいちゃんの方は作る予定ないの?」
 あいちゃんと呼ばれた少女は少し考えてから言う。
「……私は趣味が特殊だから、この学校じゃ無理だと思う」
「何、その間はー」
「いや、いきなりこっちに振られたからびっくりしただけで他意とかは」
「ホント?」
「しーちゃんに嘘はつかないよ」
 それだけ二人は古くからの、親友ともいえる程の関係だった。
「まあ信じて差し上げよう♪」
 ふと、いい話の種を思い出すロングヘアーの少女。
「そういえばこの学校、七不思議ってあるんだって♪」
「七不思議?」
 まあ学校には定番のアイテムである。七つ以上になっていることもよくあるが。
「視聴覚教室に出る幽霊とか──」
「どういう話?」
 早速食い付くのは、彼女がオカルト好きだから。通称「オカルト研究会会長」。この学校に該当の部活動がないことからのネーミングだった。しかし噂話を集めるのは外部からが中心で(未知のオカルト話が校内で見つかるとは思っていなかったから)、この学校の七不思議は初耳である。
「何かね、視聴覚教室の机に詩をたくさん書いていた女の子がいたんだって。でも病気で死んじゃって、未練があったから幽霊になって時折訪ねて来るっていう」
「そんな小説は文化祭で配られてた気がするんだけど?」
「じゃあそれが元ネタなのかも♪」
 ショートの少女の内心はがっかりである。
「他に何かある?」
「そうだね、木にずっと引っ掛かってるYシャツの謎とか?」
「それも文化祭で、生徒会が調べてなかった?」
 ちなみにオチは、何かの拍子に引っ掛かったものの木の状態が悪く、梯子が掛けられないだけという中途半端なものだった。
「あとは花が咲かない桜の木とか。──聞いた中で一番印象が強いのは、『しずく』って名前の生徒は入学させてくれないってのだね♪」
「個人情報がなんたらっていう世の中だよ? 入学試験の成績は求められたら開示しないといけないんだよ?」
 個人情報保護法で自己の情報をコントロールする権利が与えられた関係で、入学試験の成績も本人の希望があれば開示される。裏口入学はともかく、逆の場合は怪しまれる結果になる可能性があるのだ。
「まああくまでも噂ってことで。それでね、実は昔この学校で行方不明になった子がいてね、」
「きゃあ!」
 突然悲鳴があがる。悲鳴を上げたのは髪を後ろで纏め上げて垂らした(要はポニーテール)、眼鏡をかけ小動物みたいにおどおどした女の子。
「どうしたの? 私達の話が怖かったの?」
「いえ、上から雫が落ちてきて……」
「雨漏り?」
 今日は雨、そして天井から水が落ちてきたならば、とりあえず連想することである。
「いやいや、鉄筋コンクリート製の建物だから。確かに上は屋上だけどさ」
 ふと、ショートの少女は違和感を覚える。しかしその原因は、よく解らない。
「あ、梅雨でじめじめしてるからかな?」
 一方、長髪の少女の方はまったく気に掛けない。
「上に水滴が付いてたりするからね。それが落ちてきたんだと思うよ」
「あ、気にせずどうぞ……」
「オッケー。それでね、色々その子の行動を探ってみると、この学校の何処かでいなくなったとしか考えられないんだって。それで校舎の中を魂がさまよってるーって感じ。髪は長くて、コンタクトをしてたって噂だよ♪」
「でもそれじゃあ何で、その『しずく』って名前の子が入学できないって話に繋がるの?」
「それが、この話の核心部分」
 ロングの少女は声のトーンを落とす。釣られて聞き手も、顔を近付ける。「しーちゃん」は意外と、話し上手なようだ。
「実は『しずく』って名前を呼ぶと、意識する意識しないに関わらずその行方不明になった少女も出て来ちゃうんだって。だから『しずく』って言うのをなるべく控えるため、学内のあらゆることに使用しないよう配慮しているらしいよ」
「……なら今ここで話しててもいいの?」
 それが本当なら、ここで話しているだけでも大問題である。
「あくまでも噂だし大丈夫だよ。多分。それにあいちゃんの言った通り、情報公開の時に困ったりするから『名前がしずく』というだけで弾くのは無理じゃないかな。だとすると、この話も冗談の可能性の方が高いんじゃない?」
「あ、あのー」
「なあに、くみちゃん」
 ここでまた、違和感を感じるショートの少女。確かにこの少女は「くみちゃん」だ。しかし、会ったことがない気もする。じゃあ何故「くみちゃん」と解るのか、それはやはり、何処かで会っているからだろうか。考えるが、解らない。
「私、『雫』ですよ?」
 考えている間に話は展開していく。
「えっと、どういうこと?」
「私、|久美 雫《くみ しずく》っていいます」
「じゃああれはガセネタってことかー」
 それより重要なことを見落としている、と感じる一人の少女。
「いつも『くみちゃん』って呼んでるから、それが名前だと思ってた♪」
「よく言われます」
「名前で呼んだ方がいい?」
「いえ、『くみ』って呼ばれることの方が多いので、そのままで」
「でも名字で呼ぶのは何か違和感あるなぁ」
 彼女の呼び名もまた、名字由来なのだが。
「しーちゃん、」
と言いかけて、そのあだ名で反応し得る人物が二人いることに気付き止める。代わりに、
「恵美ちゃん、ちょっといい?」
 と言い直した。長髪少女の本名は|新谷 恵美《しんたに えみ》。「しんたに」から「しーちゃん」。一方、短髪少女の方は|厨子 愛紀《ずし あき》といい、「あき」から「あいちゃん」。
「えっと、なに、あいちゃ──愛紀ちゃん?」
 愛紀は恵美に耳打ちで聞く。
「雫ちゃんって、何処で知り合ったっけ?」
「えっとね、──覚えてないけど、名前を知ってるから知り合いだよ?」
「じゃあなんで知ってるんだろう?」
「そんなの気にしたって何も変わらないよ? それより今ある機会を大切にしなきゃ♪」
「まあ、そうだけど……」
「ほら、何かの班決めとかで一緒になったんじゃない? 言い方悪いけど、友達が少ない子だったりさ」
 筋は通っていると感じるが何だか腑に落ちない。少女の心の中は何故か、モヤモヤしている。
「あとさっき気付いたんですけど、なんか落ちてくる雫が、赤いです」
 そんな噂話的なことをしていると、当の本人がこちらに話し掛けてきていた。雫は手のひらに乗っている滴を見せる。彼女の手のひらに乗っている一粒の滴は、確かに赤みがかかっていた。
「ま、まさか血?」
「そ、そんな訳──」
「──コンクリの中の鉄筋の錆とかじゃない?」
 もちろんこれは、愛紀がその場で思いついただけである。でも二人はそれで、とりあえず納得した様子。
「そういえば、この学校の屋上って立ち入り禁止だよね?」
 連想するように、また話題が切り替わる。
「天文部は入れるみたいだけど?」
 愛紀自身は天文部ではなく女子サッカー部であるが、友達に天文部の部長がいる。いろいろ伝説も作り、特に
「天文部って、入学式の時に星形に切った勧誘チラシをバラ撒いたって噂の?」
 という事件はここに通う全ての生徒の誰もが知っている。危うく停学処分になりそうだったのを、色々弁解を重ねお咎めなしになったという奇跡も学内のみならず伝わっている。天文部部長が教師側の「何か」を掴んで脅迫したというのは、関係者以外では愛紀しか知らないが。
「うん、そう。『万が一のため』合い鍵も作ったらしいから、自由に出入りしてるみたいだよ?」
 もちろん施設管理を行う事務側は知らない。
「でも使うのは、せいぜい特殊教室棟の上だけでしょ? こっちの『一般教室棟』の屋上までは来る理由がない」
「まあ、機材の出し入れだけで時間がかかるらしいし」
「だからだよ、人の出入りしない『この教室の真上の屋上』に、行方不明の彼女の遺体が──ってありそうじゃない?」
「でも『昔』なんでしょ? それが事実だとしても血液が残っているとかはないし、ましてやそれが染み込んで来るなら雨水ももっと入ってきているはず。辻褄が合わない気がするんだけど」
「その超常現象を信じるってのが、オカルト好きじゃないの?」
「そこで論理を飛躍させるのってどうなの?」
 いくらオカルト系の話でもまずは科学的に攻めていくのが愛紀のモットーである。
「じゃあ今度確かめてみようよ。天文部に人脈があるんだし、問題はないでしょ?」
「いや、あの部長だから条件に何を出されるか……」
「あ、そっか。天文部のテリトリーは侵させないって感じ?」
「いや、あ、まあ、うん」
 愛紀の心配はそうではなく「見返りに何を求められるか」だったが(友達だからといって容赦はされない)、もちろん恵美は知らない。だから曖昧に頷く。
「雫ちゃんも来る?」
「え、私ですか?」
「そう。気にならない?」
「いえ、私は……」
「まあ、乗りかかった船でさ♪」
「……はい」
 雨は、いつの間にか止んでいた。