机上詩同好会

第三章・後悔

 授業が始まっても、少年は憂鬱だった。無論授業に集中できるはずもなく、ただ少女につきつけられた現実を回避した、そのことを少年は後悔してやまない。友達は「別に、付き合ってた訳じゃないだろ? なら早く忘れろよ」と励ましているのかよく判らない言葉をかけてくるが、少年はそれを曖昧にうなずいて聞き流す。それだけ、現実が重すぎるのだった。そんな中でも授業は少年の知らぬまま進み、昼休みがあっという間に来る。
 少年は友達が誘ってくるのを断り、独りで黙々と弁当を食べる。悲しみは尽きることなく少年を襲い、憂鬱な気分にさせていった。そんな中担任がやって来て、少年を呼ぶ。なんのことか解らぬまま少年はついていき、辿り着いたのは校長室。中に入ってもそこに部屋の主はおらず、執務机の前に置かれた応接セットの革張りのソファーに一組の男女が代わりに座っていた。中年ぐらいの夫婦と思われる容貌で、女性の方は少年が入ってきても終始俯いている。
「君が、藤田くんだね?」
 男性の方は顔をあげ、少年に確認を取った。少年は頷き対面のソファーへと座る。見たところ、少年に面識はない。
「私は、平川 琴美の父親だ。この度はこんな悲しい目に遭わせてしまい、申し訳ない」
 そう切り出すと男性──少女の父親は少し俯き、話を続ける。
「娘は、病気だったんだ。自覚症状がほとんどない、しかも治療法も確立されていない。小さい頃にはもう判っていたんだけども、娘には普通の生活をさせてやりたかったし病気も落ち着いていたから、このまま大人になると思っていた。けれども病気自体は確実に進んでいて、冬休みに体調を崩した時医師に、余命はあと数ヵ月だと告げられた。娘にも結局話せずじまい。運命っていうものは何て残酷なんだろうね」
「彼女は──彼女なりに、気付いていたみたいですよ」
 少年が言うと二人はハッ、となり少年を見る。少年は続けた。
「『私、そろそろ寿命かな』って、最後に会った日に、言っていたんです……」
 それを聞き、少女の両親はついに泣き崩れた。何も知らされず死んでいった少女が自分で死を予期していた、その事実はあまりに残酷である。両親にとってそれは、さらなる後悔を呼んだ。少年も、その言葉を真剣に聞いてあげるべきだったと改めて思う。永遠の別れなんて、そんな不吉なことはあえて考えずにいた。考えるだけでそうなってしまうかも、とも思った。皆が皆、後悔の気持ちでいっぱいだった。

 予鈴が鳴ると少女の父親が顔をあげ
「ありがとう、藤田くん」
泣き顔で一言お礼を言った。そして床に置いてあったスーツケースから、はがきくらいの大きさをした四角い洋封筒を取り出す。「藤田くんへ」とペンで書かれ、しっかりとのり付けされていた。
「娘の机に、これが置いてあった。本当、最後の手紙と言ってもいいと思う。君の言葉通りなら、死を覚悟して書いたものかもしれない。だから、家に帰ってからでいいから、読んでほし──」
 もう限界のようで、言葉の途中で再び顔を伏せ少女の父親は声を出して泣く。少年はその右手から手紙を受け取り、
「解りました。──では失礼します」
といって校長室を出た。教室に戻って、じきに授業が始まっても少年はただ、少女のことを思い続けている。頭では解っているはずなのに、なぜ彼女のことが離れないのか。少年は、ただただ苦しむ。

 午後の授業が終わると、少年は担任に頼み視聴覚教室の鍵を借りた。担任は何も言わず、鍵を差し出す。その鍵を使って視聴覚教室を開け、適当な席に座ってしばらく何もせず過ごした。こうして待っていれば彼女はまた戻ってくるのではないか、ありえない期待も少しだけ抱く。裏切られることが解っていても、なお。
 そういえば最後の日に彼女は一編の詩を書き残していたな、と少年は思い出した。相変わらず落書きが多いこの部屋の机。そんな中でも少年は、消えかかってしまっていた「あの詩」を見つけ出す。

私は、そう私は生かされている
いつ 絶えるか分からない生命《いのち》だけれども
精一杯がんばって 生きてやる!
私は、そう私は クラリネットを吹く
いつ 吹けなくなるか分からないけども
精一杯がんばって 吹いてやる!

私は、そう私は
今のうちにやりたいことを できるだけたくさん
精一杯がんばって やってやる!

 このまま彼女の居た痕跡がなくなってしまうのは嫌だ。少年はそう思い、この詩を書き写そうとルーズリーフの挟まれたバインダーを取り出した。一緒に、洋封筒も出てくる。少女が書き残した、最初で最後の手紙。少年は手に取り、封筒を開け、そして中に入っていた便箋を出して広げた。そこには今まで「机上詩同好会」として集めた、たくさんの詩がまとめられていた。少女なりに、題名も付けられている。「我慢して~」で始まる、少年が書いた詩には「均衡」、最後の日に少年と少女が共同で創ったのには「別れなんて、」などと。そして最後の便箋には、少女のメッセージが。

藤田くんへ。

私の言葉、本気にはしてくれなかったと思う。
そうだよね、信じてくれなくて当たり前だよね。
けど、あなたにだから言えたんだよ。

机上詩同好会を作ったのも、最後にあなたと一緒にいたかったから。
きっとこの手紙を読んでいる時には、私はもう死んでると思うけど
最後に言うよ。私はあなたが好きです。

だから私のクラリネットの音色を聴いて、
いつまでも、覚えていて。

平川 琴美

 少年は封筒に入っていたもう一つのもの──一枚のMDを出し机に置く。かばんからポータブルMDプレーヤーも取り出し、それをセットして聴くと、そこには彼女が吹くクラリネットの音色が。最後の日に聴いた「だんご大家族」、ついに少年は涙を流した。少女は自分が好きだった、改めて考えてみればそれは行き着く結論ではあるけれども、彼女のそばにいる間そんなことは考えてもみなかった。さて、自分はどうなのか。彼女をどう、想っていたのか。少年は考え、結論が出たところで彼女の詩の横にもう一つ、詩を書く。

人を失うことは 何故つらいのだろう
つらくなくても別にいい と
小さい頃は思っていた
けど今 かけがえのない人を失って
その意味が 分かった気がした。

人を失うとつらい理由 それは
その人を忘れないため
今まで受けたことのなかった、この今の痛み

それは
彼女が好きだった からかもしれない

 そしてそのまま、少女を失った悲しみへと、少女の言葉を信じなかった後悔へと、うち伏せた。

エピローグ

 しばらくすると、下校十分前のメロディーが流れ始めた。悲しみの留まる所は知らない、しかし少年は少女の最後の詩を写した後席を立ち、部屋を出て鍵を閉める。廊下では彼女が演奏した楽器、クラリネットを練習する音が聴こえてきて少年を立ち止まらせ、悲しみの底へと引きずり込もうとしてくるが、それに打ち勝ち歩き始めた。彼女がかつて所属していた吹奏楽部が合奏の練習をしている大ゼミを避けるように西階段から一階分降り、特別教室棟二階の廊下を歩く。一応形式的に所属している理科部が活動する物理実験室の前も通ったが、何も声をかけずにそのまま、ピロティー棟三階へ。
 ここでぶつかったことがそもそものきっかけだったのかな、と少年は回想する。窓から夕日が差し込み、真っ赤になった空間。あの時は昼下がりで、向こうから自分が来て、彼女がこっちから来て。先生に呼び止められた自分の背中に、少女がぶつかって。そんな光景が絵に描いたかのように目の前へと浮かぶ。いつまでもここにいたいという気持ちを振り切り、少年はその廊下を一歩一歩、歩き始めた。少女がいた光景が消えていくのが惜しくはあるけれど、自分は生きている以上前に進み出さなければならない。頭では解っているが、それでも少年の足は立ち止まりそうになる。
 学校を出て、少年は坂を下る。坂道に沿って造られたショッピングモールには多くの人がいて賑わっているが、少年は寄り道することなく坂を下りきった先、地下鉄の駅に着いた。階段を下り、券売機で切符を買う。二区、二百三十円分の切符。その切符で改札を通ると少年はいつも帰る方向とは逆、少女が帰っていた方面の電車へと乗った。無機質で規則的な音を発しながら、あの時と同じように電車は地上へと出て少女と最後に別れた駅へと向かう。少年はだんだんと、隣に彼女がいる気がしてならなかった。ごまかすように学生服のポケットに入った携帯電話を取り出すが、それはかえって少年の心を憂鬱にするのみ。自分達はお互いのメルアドさえ交換しておらず、直接会って話す、それだけの関係だったと少年は思い返す。そもそも彼女はケータイを持っていた? それすら、知らなかった。あまりにも自分は彼女のことを知らなかったのだ。少年は何度目か判らないが、後悔する。

 終点から一つ前の駅に着き、少年は電車から降りた。一歩目、二歩目、三歩目……。だんだんと悲しさが込み上げていく。下り階段でそれはピークに達し、少年は涙を流しながら一段、また一段と降りていく。
 そして改札口。少年と少女が最後に別れた場所。少年はただ、泣き崩れた。どうしてもっと一緒にいてあげなかったんだろう。わずか二百三十円ばかりをケチってここで別れてしまったんだろう、と。
「大丈夫ですか、どうかしましたか?」
 改札口から駅員が出てきて少年に話しかけるが、少年はただ泣き声をあげるばかり。
「何かあったんですか? 何か、盗まれたんですか?」
 駅員が話しかけ続けるとやっと少年は顔をあげ
「いえ、大丈夫です……。ただこの場所に来て、悲しくなっただけです」
それだけ答え、再び泣きじゃくる。駅員も悲しそうな顔になって
「そうですか」
とだけ言い、深入りせずに改札へと戻っていった。しばらくして少年は立ち上がり、一旦改札を出る。階段を降り道路に出ると、駅の裏口だからか寂れた住宅街のような街並みが少年の目に映った。ここから先はどう行くか判らない。バスターミナルは別の改札口にあるのだから、きっと歩きか自転車でここまで通っていたのだろうなと少年は思った。切符を買って再び改札を通り、先程とは別の階段を上る。心残りはあった、しかしそれを振り切り少年は自分の本来帰る方面に行く電車に乗った。予告ベルが鳴って扉が閉まる。ただ、悲しくてしょうがなかった。

 少年は家に帰るとすぐ自分の部屋に籠った。そして声をあげて泣く。改めてMDを聴いて、さらに泣いた。

fin