キミの隣にある組織。

第一章

 九月四日、八時二十分。名古屋市営地下鉄東山線星ヶ丘駅・三越連絡通路から一斉に人の波が地上へと押し寄せてくる。星ヶ丘三越の吹き抜け部分にあるこの出入口から出てきた流れは左へとUターンし、さらに右へと曲がり坂を上っていく。大多数は白の開襟又はカッターシャツに真っ黒の長ズボン、あるいは白襟のセーラー服と横に白線の入った紺色ひだスカートを着た星ヶ丘高校の生徒達。星ヶ丘テラスに面する坂を上がった所に校舎はある。
 そんな中、一人の男子生徒が持っていたプラスチック製の、取っ手がついた書類入れの留め具が外れ中に入っていた教科書やらプリントやらが散乱した。しかもそこは動線上。迷惑そうに皆が避けていく中、手を貸す一組の男女が。
「あ、ありがとうごさいます」
右目を前髪で隠した、当の本人がそうお礼を言うと
「いいのいいの、助け合いじゃん」
髪を肩まで伸ばし、その髪先をカールさせた少女と
「そうだよ、森岡さんもそう言ってるんだし」
少し前髪の長い少年が拾ったプリント類を渡し、去っていく。
(あの二人、やっぱりカップルだよね。まあ、珍しくはないけど。女の子の方は、森岡さんって言うんだ)
そんな事を思いながらもとりあえず立ち上がり、坂を上って学校に向かうことにした。

 一方、そのカップル──藤枝 勝と森岡 翔子は坂を上りながら考え事をしていた。
「臨時にCPを雇うって言われても……。経験者が校内にいるならともかく、高橋も田上さんも、他の中学校のCPも渋川や清水とかに行っちゃって、この学校にいるのは僕達だけだし……。岩作市内二校は今年から、他の警察署も来年度から順次開始って事になっていて、適材がいないんだよな……」
 藤枝が呟くと森岡もそれに応えるように、
「そうよね……私達だけでやった方が早いってのに」
愚痴混じりに言う。
「形だけ揃えておいて、最低限教え込んでおけば何とかなるでしょ」
「うん、そうだね」
「それで、誰にお願いする?」
「そうだな……男子はこの際、さっきの子でもいいや。女子は──どうする、森岡さん?」
「じゃあ……私の友達にCPに憧れてる子がいるから、その子に頼んでみるわ」
「うん、判った」
「……可愛い子だけど、私を置いて浮気なんかしないでね?」
「しない、しないよ」
「私達が別れたら、困るのは愛知県警の方だからね?」
「だから、僕は森岡さん一本だって」
「まあ、何て嬉しい言葉」

#

 一年D組、そこが右目を前髪で隠した少年──水樹 渉の所属するホームルームだった。普通教室棟一階の真ん中辺りにある教室に入り、教室のちょうど真ん中辺りの席へと座る。さて今日はどんな時間割だったかなと考えていると後ろから、何か棒のようなもので突っついてくる感触が。渉が振り返るとそこには一人の女子生徒の姿があった。入野 静、ツインテールの髪型、あと眼鏡を掛けている事が特徴で、渉とはこの高校に来て以来親しくなりちょこちょこ話している。
「入野さん、今日は何の用?」
渉が聞くと
「友達からメールをもらったんだけど、CPの仕事を期間限定でやらないかって。私はやりたいんだけど、水樹くんも一緒にやらない?」
ケータイの画面を見せながら、静は目をキラキラさせている。
「CP、って?」
渉が聞くと静はすぐに答えた。
「『子ども警察官』の略。学校の治安を守ったりするのが仕事だって。私、一年くらい前ニュースを見て、それから憧れだったんだ。まさか、翔子ちゃんがそうだったとは思わなかったけど」
「お金とか、かからないのか?」
「うん、お金もかからないし、時給とかももらえない。部活も今まで通り出来るし、結構好条件だと思うけど?」
「で、なんで俺なんだ?」
「ん~、何となく。一緒にやりたい男子が特にいなければ向こうで探すって言ってたけど、出来るなら知り合いがいいな~って」
「男子限定なのか?」
「うん。そう決まってるんだって」
そういう制度にする理由は解らないが、する以上は何らかの利点はあるのだろう。そう結論付けてから渉は少し考えた後、
「やっぱり俺には荷が重すぎるな。他を当たってくれ」
と断る。静は残念そうな顔を見せ
「そう……なら、仕方ないか」
そう言うとメールを返すのに集中し始めた。会話も自然に終わり、渉は向き直る。
(CP、か……。どんなのかは知らないけど「君子危うきに近寄らず」だもんな……)
そう渉が思っていると、八時半のチャイムが鳴ったのだった。

#

 三限目の授業が終わり、渉は早めに弁当を食べ終わって廊下をブラブラと歩いていた。そこに
「水樹、渉くんだよね?」
と声をかけてきたのは
「あ、今朝はありがとうございました」
藤枝と森岡。
「で、何で俺の名を?」
と渉が聞くと藤枝が
「僕達の情報網を甘く見るんじゃないよ。で、お願いがあるんだけど、いいかな?」
少し微笑んで言い、森岡も
「助け合いで、ね」
とほんのわずか首をかしげ、髪を揺らす。自身が意識せずともそれは、誘惑。その魅力が彼女が子ども警察官である事を覆い隠し、さらには実力も兼ね備えていれば当然成績は上がるだろう。
「あ、はい、請けられるものならいいですけど……」
これに魅了され、今朝のお礼も兼ねて出来るものならば請けようと渉は考えていた。この場では何だからと特別教室棟の二階西端、化学講義室の向こうの非常階段で話す事になったが
「でお願いというのは臨時のCPになってくれないかっていう事なんだけど、いいかな?」
「……はい?」
さすがに耳を疑った。静が頼んできた事と丸っきり同じだったから。
「えっとですね、それは……ちょっと……」
渉は躊躇い、言葉を濁す。それに反応して森岡が
「出来ないの?」
反射的に聞くと
「同じ事を入野さんにお願いされて、断ったんですけど……」
渉は申し訳なさそうに、切り出す。しかし二人は諦めない。
「なら、余計やって欲しいわ! 私達の担当する事件が終わるまで、大体二週間くらいの事だから」
かえって逆効果だったな、と思うが後の祭り。二人は自分が請けるまで引くつもりはないんだ、と渉は悟った。しかも、少しだけならやってみてもいいかな、という気持ちが湧いてくる。静には一旦断ったので申し訳なかったが。
「じゃあ、やります」
その一言で、後戻りはできないんだという覚悟も芽生えつつ。
「なら、部活が終わったら普通教室棟の北側にあるベンチで。出来るだけ口外はなしね」
「解りました」
「ではその時に」
 そう言って二人は非常階段を上がっていった。渉は静に言うか迷いながら教室に戻ったが、当の本人はまだ友達と弁当を食べている途中だった。そんな中わざわざ話しかける勇気は渉にない。次の授業の予習やらを済ましているうちに予鈴──十二時五十五分のチャイムが鳴り静は自分の席に戻ったが、渉は何かを言わなくてはいけない事さえ忘れていた。四限の授業中でやっと思い出すが、まあ後で判る事だしと楽観的に考え結局渉は静に話しかけることはなかった。

 四限、五限と授業は進み帰りのHR。体育大会で行うマスゲームの連絡などが中心で、それが済むと一応解散となり文化祭の準備へ入る。渉のクラスがやるのは劇。大道具は夏休みにほぼ製作が完了していたので、セリフのやり取りの細かい詰めを中心に行っていく。それに音楽を合わせるのが渉の仕事だった。幸い台本の作者が参考用にと曲名を書いてくれており、むしろそのCDを見つける方が大変な作業。近所の店では売っておらず、インターネットで取り扱っている店を調べそれでも何軒か回ってやっと見つけた。幸いなのはなるべくそのCDの曲だけを使って構成されていた事。
 少女役が、少年役が座る机にやって来て
「ねぇ、藤田くん」
と声をかけたタイミングに合うよう、渉はスピーカーに接続されたiPodで「同じ高みへ」という曲を選曲する。タイミングはバッチリで、演出役からOKとのサイン。
「なんというか、きれいごとはきれいに、暗いことは暗く、正直に書いてある所かな」
 少年役は一度机を眺めた後、少女役の方を見る。
「まあ言われてみれば、そうだな」
「でしょ! ここの教室って落書きの宝庫だよね! でもきょんないい詩も──」
「カット! そこ噛まない!」
 演出役は少女役が噛んだのを見逃さなかった。少女役は
「す、すみません!」
と平謝り。役柄に合わせた長い髪が垂れ下がり、顔を隠す。慌てて前髪を直した、少女役の可愛いげなしぐさに皆の頬も緩まる。
「ではもう一回場面の最初から!」
「ええ!?」
と言いながらも渉は音楽を止め、リモコンで「チャイム」まで曲を戻す操作をした。
「──でもきょんな、こんな……」
「カット!」

 文化祭の準備が一段落つき、渉は待ち合わせの場所へと向かう。そこには藤枝と森岡がベンチに座って待っていた。
「じゃあ水樹くん、この書類に書いて」
 森岡が差し出したバインダー付きの書類を、渉は受け取った。「子ども警察官任命申請書」に名前・住所を記入し森岡に渡すと、すぐに捜査情報端末で打ち込まれ県警データベースへと送信、住民基本台帳ネットワークとの連携で本人および近親者の簡易的な照会作業が自動で行われその結果が端末へと戻ってくる。
「OK、とりあえず大丈夫。明日からよろしくね」
 渉の結果に問題はなく、森岡は笑みを浮かべ言った。つられて渉も微笑む。
「明日はなるべく早く来て、装備の指導を受ける事。判った?」
「はい、ところで、お二人はこれからどうするんですか?」
「入野さんの方の手続きは終わってるから、本部で今日も泊まりだな」
 藤枝がそれとなく言う。渉も一旦は聞き流すが
「え、教科書とかはどうするんですか! しかも『今日も』って!」
その言い回しがとても気になり、聞き返した。森岡が
「教科書類は全部持ち込んであるから大丈夫よ。ここ最近私達だけである事件を追ってて、家に帰る時間ももったいないからこういう有り様な訳」
と説明し、渉はやっと納得する。
「じゃあ、また明日」
そう言い、藤枝と森岡は去っていった。