キミの隣にある組織。

第二章

「──警棒は振り下げると三段分伸びる。これは特別仕様で、一般警察官は少し長い二段式。隠しやすいように考えられてるらしい。被疑者が暴れた時手などを打って怯ませる、子ども警察官にとって唯一の武器だ」
 藤枝が実演を交えながら渉に説明する。八時前の一年D組教室。昨夜県警本部に泊まった藤枝と森岡は、一時的に子ども警察官の仕事をすることになった渉と静用の装備品が入ったスーツケースをも持ってきていた。今朝はそれを使っての簡単な実技練習。と言っても装備品の使い方講座の域だった。必要以上の負担になりかねないため、教える方もそれで十分だと判断している。本気で力量が問われる事件なんて高校では滅多に起こらない、起こっても自分達だけで対処できる、それが藤枝・森岡二人の統一見解となっていた。
 静が、渉もCPになった事を知ったのも今朝である。「私の誘いを一旦断っておきながら……」と静がふくれ渉が弁明するという当たり前の展開に、藤枝と森岡は二人して微笑んでいた。そしてそのまま、カップルモードに移行しようとしていた二人を静が止め、練習に入ったのだった。
 八時になり、藤枝は練習を切り上げるよう渉に指示する。何故、と問う渉に対し藤枝は
「一応部外秘って事になっているからね。この時間になると直接教室に来る一年生もいるだろうし、念を入れてって事で」
と答える。もちろん、渉にも納得できる回答でもあった。

『愛知本部より名東、千種へ』
 十三時十七分、一年A組で四時間目の授業を受けていた藤枝・森岡の警察無線が鳴る。二人は目を合わせ、僅かに頷いた。二人の耳にはイヤホン、そして左袖にはマイク。全く動揺する事なく無線の音声に神経を集中させた。
『こちら千種』
『千種区星が丘元町、星ヶ丘交差点付近にて職質(職務質問)中の女が逃走。当該活動を行っていた自ら(地域部自動車警ら隊)PM(警察官)が追跡したが見失った。人着、身長百六十くらいで年齢二十から三十前後。髪は黒のロングストレート、黒っぽいズボンに赤のTシャツを着用。千種・名東の両署にまたがる一キロ圏に緊急配備を発令』
「現場は近い、か……」
「うん、要警戒ね」
 二人だけで交信できるチャンネルを使い、行動方針を確認する。さらに切り替えて渉・静の二人にも連絡を取ろうとするが、応答はない。
「確か、無線は常に聴くようにとは──」
「言ってなかったわ」
「──訓練始めたその日に来るなんて、運が悪いにも程があるよ」

『愛知本部より千種・名東管内各局へ。千種のPMが人着の似ている女を発見。職質をかけようとしたところ拳銃を発泡、スカイタワー方面に逃走した。場所は同町内、東山公園星ヶ丘門付近。PMに怪我はなし』
「これはさすがに──まずいな」
「ええ」
 二人は立ち上がり、授業担任に向け左手の指三本を立てて応じる。「緊急事態発生」のサインを見て授業担任が頷くと早速とばかりにスーツケースを持ち教室を出ていった。

「まずは職員室で状況確認ね」
「ああ」
 会話を交えながら中庭を走り、東階段に設けられ授業中の現在も開いている鉄扉から校舎内へ入る。階段を上がり管理棟三階(普通教室棟二階)、職員室へ駆け込んだ。
「本部CPの藤枝です。星ヶ丘地区を中心とした半径一キロ圏内に緊急配備がかけられました」
「本校の近くであるため、CPも警戒体制に入ります。まず北門、南門、及び西門の封鎖をお願いします。警察車両の出入りがあるかもしれないので正門は開けておいてください」
「解った」
 年度当初と夏休み中に訓練が行われていた事もあり、違和感なく受け入れられる。授業がなくて職員室に残っていた先生達は正門を閉める作業に向かったり、
「数研の先生、南門の戸締まりをお願いします」
と、学校内に散らばる各教科準備室と連絡を取ったりしている。その間もCPの二人は無線に耳を傾けた。
『千種五より本部、これより星ヶ丘駅の雑踏警戒に当たります』
『自ら一二一、BT(バスターミナル)到着』
『千種七、星ヶ丘西小学校到着』
『名古屋指令より、本部CP』
 別の交信チャンネルに入感し、二人はマイクに付けられているスイッチで応答する。捜査センター無線での交信に切り替わり、本部・車載機間の通信は入ってこなくなった。
「はいこちら藤枝」
『名古屋指令より連絡、当校に不審者が入っていったとの目撃情報を一一〇番受理中』
「校舎閉鎖! 教室から一人も生徒を出さないで!」
 藤枝と一緒に傍受していた森岡が大声で叫んだ。藤枝も
「特別教室棟の一階、ピロティー棟の二階、管理棟の一階と二階、音楽棟及び演奏ホール、運動施設を閉鎖。もし授業中なら校舎二階以上に避難を。普通教室棟一階も閉鎖準備段階に入ってください。会議室は警察用に確保願います」
と指示。再びマイクのスイッチを入れ
「了解、校舎の封鎖かけます」
名古屋地域指令センターに伝え通信を一旦切った。
 スーツケースを開け、中から「本部CP」と文字が入った黄色地の腕章、子ども警官の階級章、そして
「一応、付けておくか」
「まあ、安全の為にね」
CPでは二人だけに許可されている拳銃、制服警察官の一般式であるM37エアウエイトを拳銃ホルスターに収めたまま腰に付ける。「では、一旦検索(不審者捜索)に入ります」

「一年D組の皆さん、視聴覚教室に移動します」
 渉と静が異変に気づいたのは、教頭先生が教室前扉を開けた段階になってからだった。
「これって……」
「うん、事件だよね」
 お互いに確認して、しかし
「でもどうやって動くんだろう……」
「判んないから、とりあえず外に出ちゃおうか」
なんとも曖昧な判断で、二人は混乱に乗じて教室後ろ扉から出る。そんな二人を運良く
「水樹くん、静ちゃん!」
と、検索をしていた藤枝・森岡ペアが捕まえた。
「授業担任には合図を出し──いや、そのやり方はまだ教えてなかったな」
「活動開始日に事件発生って、さすがに予想外だしね」
 必然的に生まれたミスをカバーするように、二人を追いかけて出てきた授業担任に向かって藤枝は、左手の指を三本立て「緊急事態」のサインを示す。それを確認するとすぐに授業担任は教室内に引っ込んだ。
「それ、何ですか?」と聞く渉には「今度教えてあげる」とだけ答え、
「私達は敷地内で不審者の検索に当たるから、二人は正門で警備に当たってもらっていい?」
と森岡は指示した。しかし
「不審者が侵入、ですか」
「警備って、何をすればいいの?」
判っていたが、渉と静のその反応に藤枝と森岡は深くため息をついた。

 無線機と腕章・階級章等を身に付け、渉と静は管理棟二階南・正面玄関前に立つよう藤枝らから指示を受けた。ガラス部分の面積が大きい所から不審者が校舎に入らないようにするのが第一の目的だが、もちろん正門の出入りに対する管理業務も兼ねている。しばらくは二人とも集中して警備に当たっていたのだが、十分ぐらいすると
「あーあ、何かつまんない」
とじれてしまったのは、子ども警察官という仕事に憧れを持っていた静の方が先だった。
「翔子ちゃん達って、ずるい事ない?」
「そうは思わないけど、何で?」
「だって、自分達は不審者を捜索するっていう目立つ方の仕事をしてるのに私達にはこんな地味な仕事を押し付けたのよ?」
「でもそれはしょうがないんじゃ──」
「しょうがないで済む事じゃない!」
 渉の言葉を遮り、怒るように静は叫んだ。
「子ども警察官が活躍する報道を見て、私はこの仕事がやってみたいと思ってた。でも、その時──去年は中三で、中学生を対象としたこの仕事は無理だったし、そもそも八白在学じゃなきゃなれなかったから諦めた。けどこうして期間限定の子ども警察官に任命されて、この差は何? こんなしょうもない仕事を押し付けられて。せめて付いていくだけでも──」
『二人とも伏せて!』
静の台詞に割り込んだのは警察無線につながった左耳のイヤホンから入ってきた、森岡の声。その直後、二人の真後ろからガラスが割れる音。渉が振り返ろうとしたが
『目を背けちゃダメ!』
再びの森岡による注意が入り、とりあえず前を見る。グリーンの塗装がされた地面の一階分上、特別教室棟との間にある空間を何者かが走っていくのが渉には見えた。その後を追うように、この高校の制服を着た一組の男女が走る。きっとあの二人だ、と確信した。そして「何者か」がこちらに来るのではないかと、直感が走る。
 渉は茫然としている静の手を掴み、正門方向へ走り出そうとした。その時、右手に拳銃を持った女がピロティー棟横の階段から降りてくる。どちらに来るか。中庭方向に向かうなら問題ないが、こちらに来たら確実に危ない。正面玄関のガラスは先程の被弾でひびさえ入っているが、割れてはいない。今の状態の静を連れては逃げられなかった。
 だがその時、赤色灯をつけたパトカーが正門を塞ぐ。そのサイレンの音を聴いたのか、女は中庭方向へと足を向ける。渉は静の手を引き、

中庭へと向かった。子ども警察官として。

「こちらは本部CPです。今すぐに銃を置き、投降してください」
 中庭の真ん中にある菱形の池を挟み、特別教室棟側に女、普通教室棟側に藤枝ら四人のCPが向かい合う形になる。その中の一人、森岡が女に対し投降するよう呼び掛けるが、女は何も口にせず、それどころか右手で銃を構え森岡へと向ける。しかし、向けられた当人は怯まなかった。まるでそんな状況には慣れていると言わんばかりの表情をしながらゆっくりと腰に手を当て、拳銃を掴む。藤枝も同様に拳銃を持ち、銃口を女の足元に向ける。
「あら、指がトリガーにかかってないけど大丈夫? どうせ初めて使うんでしょ」
 女が初めて声を発した。しかし藤枝は微笑み
「いや、これで正しいんですよ」
と返す。その答えは、女だけでなく銃を扱わない渉達新人CPにとっても不思議だった。
「何故正しいのかしら? それじゃあ銃が撃てないじゃない」
 嘲笑うかのように女が言うと森岡は
「そう、トリガーを引けば弾が出る。でも意図せずに引いたら、それは暴発になるわ。警察官、いや銃を扱う者にとって、直前までトリガーに指をかけないというのは基本のルールよ」
と答えた。女は呟くように「そう……」と小声で言った後、トリガーを引いた。火薬に着火され勢いよく発射された銃弾は森岡の左胸に向かって進み、触れる。その弾はセーラー服の生地を破き、しかしそこで弾かれた。途端に勢いを失い銃弾は地面へと落ちる。同時に藤枝は池を回り込み、何が起きているか解らず怯む女の右手を、拳銃と持ち替えた特殊警棒で打つ。激痛で銃を落とし武器を無くした女の手に、森岡によって手錠がかけられた。
「銃刀法違反、殺人未遂、公務執行妨害、あとは現住建造物侵入の現行犯で逮捕するわ」
と女に告げた後、軽く微笑んで言う。
「残念だけど、私達の制服には防弾生地が縫い込まれているの。だから体を狙ってもあまり意味は無かったのよ」
 遅れて駆けつけて来た刑事達に、女は連れていかれる。それを見送り、
「まさかこんな早く事件が発生するとは思わなかったけど、これが子ども警察官の第二の役割。撃ってくるのは予想外だったけど」
「そうね。静ちゃんは完全にビビっちゃったかな?」
藤枝・森岡の順で、二人が渉達に話しかけた。静は銃で狙われた事・実際に森岡が撃たれた事で完全に怖じ気付いてしまい、渉の右腕にしがみついている。
「これで解ったでしょ。基礎から固めていかないとこの仕事は無理なの。しっかりと訓練して、今後同じような事件が起きた時に対処できるようになってればいい。警備は地味な仕事だから嫌、とか言ってないで、ね」
「……バレてましたか」
静が恥ずかしそうに言って、藤枝達は微笑んだ。

fin