これはまるで、SFの世界に迷い込んだかのようですね。

 総理大臣の登場と同時に、新聞各社による怒濤の量のフラッシュが焚かれた。総理大臣は緊張した面持ちで、中央の会見席へ。
「内閣総理大臣、浜岡武郎です。すでにテレビ等で報道された通り、世界各地で飛翔体が確認されています。日本では今の所確認されていませんが、今後日本に出現することも予想されます」
 総理大臣はここで一枚紙をめくり、しばらく間をあける。記者会見場の空気が一気に固まる。
「これからお伝えする情報は、おそらく国民に混乱をもたらすでしょう。しかし、伝えておくべき情報でもあります。──ニューヨークは、飛翔体からの攻撃により壊滅しました。現在アメリカ軍が交戦中ですが、都市の中核となっているマンハッタン島は、その半分以上の地域を失ったとの報告が入っています。現在の所、飛翔体に対する有効手段は明らかになっていませんが、内閣総理大臣としては統合幕僚監部を通じ、国内の自衛隊員全員に出動待機を指示しました。日本政府としては最大限、国民と日本に滞在中の外国人の方々を守る所存です。今後も新しい情報が入り次第、国民の皆様にお伝えします」
 内閣府庁舎内に拠点を構える「内閣情報調査室」。公然情報の収集・分析が主な業務内容であるが、日本の商社等を経由して集まってくる情報は、総理大臣が発表したよりも絶望的な状況を示していた。
「モスクワに対する全ての通信が途絶。当局の情報操作の一環という可能性もありますが、詳細は不明です」
「アメリカ西海岸においても出現した模様。ロサンゼルスからの情報です。なお現在、情報提供元の日本領事館との連絡は取れません」
「中国は香港に出現したという現地情報を確認。高層ビル群が軒並み消失しています。本土については情報統制が掛かっていて全容把握は出来ていませんが、上海には襲来した模様です」
 ニューヨークだけでなく、世界各地の都市が飛翔体の攻撃を受けていた。日本が今の所襲来を受けていないのは僥倖といっても過言ではない。
「ニューヨークの飛翔体は南南西へと移動中。このままだと、ワシントンも」
 室内に付いていたテレビの画面が、突然切り替わる。NHK総合テレビの特別報道。
『パリと中継がつながりました。パリ総局の遠藤記者です』
 長い髪の女性記者の後ろに映る、エッフェル塔。NHKの海外における最重要拠点の一つがフランスの首都、パリである。そのため東京・パリ間には何系統もの回線が準備されており、そのため奇跡的につながっていた。
『パリ総局です。現在、パリは正体不明の飛翔体による攻撃を受けています』
 その後ろの画面が、強い光に包まれた。画面が少し乱れた後、復旧する。しかしそこに、既に鉄塔の姿はない。エッフェル塔が一瞬に、消滅していた。
『パリ中心部に対する攻撃は現在も続いています。フランス軍と思われる戦闘機が時折見られますが、飛翔体に近付くと瞬時に撃ち落とされています。そしてパリの象徴、凱旋門も飛翔体の攻撃で崩壊しました』
「これは、歴史に残る報道になるな……」
 一人が呟く。
「そもそも人類の歴史が危うい状況なんですが。世界最強とされるアメリカ軍でさえ、あの状況ですよ?」
「では何故、日本だけがまだ無事なのか? 東京が何故、無事なのか?」
「小さな島国ですから、こんな大きな都市があるとは思われていないかもしれないですね。現にロンドンが襲来を受けたという情報も、今の所ありませんし」

***

「護衛艦『ちょうこう』より緊急連絡がありました。対馬海峡西海峡に複数の飛翔体を確認した模様です。おそらくは、韓国を襲ったものかと」
 総理官邸地下の危機管理センターに設けられた、大規模未確認飛翔体群対策本部。自衛隊幹部が浜岡総理大臣に耳打ちをした。
「ついに来たか」
 既にアメリカやヨーロッパの各地の都市は飛翔体の攻撃で壊滅状態に陥っている。ロンドンにも攻撃の目は向けられ、初期の攻撃目標の傾向から安全と思い込んでいたロンドン市民は大パニックになり、その混乱による圧死者も少なくないとされた。中国は未だに正式発表がないが、日本各地の放射線観測ポストの測定値が急激に上昇していること、長野県松代町にある気象庁精密地震観測室の波形データなどから、自国の国土内で飛翔体に対して核攻撃を行ったことが推測されていた。ただその後の現地外交官からの情報を総合するに、大きな成果は上げられていないという。大国の中で日本だけが、これまで無傷で生き残っていた。しかしこれから、その襲来を受けることになる。
「内閣総理大臣、浜岡武郎より全自衛隊へ。只今をもって、防衛出動を命じる」
「防衛大臣・安藤昭光、九州周辺の部隊に出動を許可します」
 航空自衛隊築城基地。九州北部における、北と西に対する航空防衛の要となる飛行場である。防衛大臣の命令を受け、F-15J戦闘機やF-2戦闘機などが編制を組み、続々と離陸していく。
 飛翔体の姿を視認するのに、そう時間はかからなかった。飛翔体は、正八面体状をした黒色物体。現在人類が持つテクロノジーでは当然、これをコントロールするのは困難である。
『これは、どう手をつけましょうね』
 パイロットの一人が呟く。その数、二十はあった。
『うちのセオリー通り、まずは警告だな。そうだな、俺が行く』
 F-2側のキャプテン機パイロット。
『しかし、元々は「支援戦闘機」の我々よりイーグルに任せた方が……』
『確かに西側最強だが、型が違うとはいえ他国でも使用されてるだろ? 嫌な予感がする』
『韓国でも使用されていますしね。機種で判断されたら攻撃される可能性も』
 F-15シリーズの一つ、F-15EをベースにしたF-15Kは韓国空軍で採用されている。当然ながら今回の事態にも出撃しているはずなので、攻撃対象と判断される可能性は高い。一方F-2戦闘機はベースこそF-16C戦闘機に準じているが、ほとんどの部分で再設計が加わっており、日本独自の戦闘機ということも出来る。
『それならそれでこちらが攻撃出来ることにもなるが、犠牲者は少ない方がいい』
『そうですけど』
『浅間! 万が一の際は指揮を任せる』
『了解、長坂キャプテン。御武運を』
『築城タワーとイーグル隊の渡辺キャプテン! これより飛翔体に接触する。許可を』
『築城基地、了解』
『渡辺了解』
 F-2戦闘機のうちの一機が飛翔体に近付き、考えられる帯域で無線を飛ばす。
『警告、対馬海峡の国籍不明機に告ぐ。こちらは日本国航空自衛隊である。あなた方は日本国の領空を侵犯している。直ちに退去願いたい』
 英語、日本語、韓国朝鮮語、中国語、ロシア語で呼び掛けるが反応はなく、そのまま直進していく。それに並走しながら、データを収集。
『飛翔体からの反応なし。参考情報、現在北緯三四度二九、東経一二九度三一付近を南南東に向かって飛行中』
 その方向の先には対馬、そして福岡がある。だが自衛隊はその性格上、先制攻撃が出来ない。
『間もなく対馬北部を通過』
 飛翔体による地上攻撃があるのではないか。この空域を飛んでいる全ての自衛隊員が極度の緊張を持って状況を観察する。しかし何事もなく、飛翔体群は対馬上空を通過していく。
 その頃とある防衛省幹部が、アメリカ合衆国から送られてきた最新の交戦データを見て、気付く。
「これ、もしかしたら、攻撃しなければ攻撃されないんじゃないですかねぇ?」
 それを対策本部の場で発言したので、本部長代理に任じられていた官房長官を驚かせる。
「どういうことだ?」
「アメリカ空軍の交戦データによると、飛翔体の出現時刻と出撃時刻の間には十分ほどの開きがあります。しかしこの間、ニューヨークでの破壊活動は確認されていません。あくまでこれまでの情報、でですが」
 現地日本総領事館と、内閣情報調査室経由の商社情報による報告が根拠となっている。
「とにかく、国民保護法の規定に基づき、福岡県内に避難区域を設定することが第一です」
「うむ、内閣総理大臣として了承する。福岡市を始めとする関係自治体に連絡、調整を進めろ。飛翔体に対しての先制攻撃禁止も、理由を合わせて関係部隊に通達。徹底させるように」

***

 飛翔体は九州本土に確実に近付く。
『至急、各隊へ。国籍不明の飛翔体は九州を起点とする日本領空へ入った模様。繰り返す、飛翔体は領空へ入った模様』
『渡辺より、イーグル隊全機・攻撃準備! 長坂キャプテン、離脱して下さい』
 飛翔体から攻撃は受けていないものの、みすみす本土へ侵入を許してしまうのは自衛隊の沽券に関わる。世論を考えても攻撃した方が大きな問題にはならないという、計算もある。
 主に対艦戦闘用に設計されたF-2の前にF-15Jが出ようとした、その時。
『こちら築城基地! 戦闘行動を停止せよ!』
 F-15J集団は反射的に機体を大きく傾け、急旋回。再びF-2集団の後ろへ回り込む、
『──みすみすと敵を迎え入れよと!?』
 命がけで飛翔体に臨み、今まさに戦闘を開始しようとしていたので、当然、現場は反発する。こうしている間にも着々と近付いてきているのだから、尚更。
『内閣総理大臣からの通達です』
『……判った』
 内閣総理大臣。自衛隊に対して最高指揮権を握り、それが文民統制の根拠となる。それに逆らうということは、クーデターの意味をも有しかねない。
 福岡市博多区、JR博多駅。日本の大動脈・東海道・山陽新幹線の終着駅であり、近年開業した九州新幹線との接続駅でもある。九州新幹線全通を機に大規模改築が行われ、駅舎も現代的な複合ビルに建て直されている。
 その駅に、独特のサイレンが鳴り響く。有事の際に使用されることになっている、聞き慣れたパトカーなどのものよりゆっくりと音が上がっていくサイレンである。
『博多駅駅長室よりお伝えします。博多駅周辺は国民保護法に基づき避難命令が発令されました。繰り返します、博多駅周辺地区は避難区域に指定されました。──』
 ざわめきが、放送をかき消す。『駅員の指示に従って冷静に行動して下さい』の部分は乗客に伝わらず、一人が走り出したのをきっかけに、周りも一斉に逃げ始める。
「皆さん、冷静に!」
 駅員の制止も虚しく、四方八方に乗客は散る。それが逆効果になるのも知らずに。
 有事による避難はただ、指定された場所に逃げればいいというものではない。敵はそれに構わず、襲ってくる。当然だ。よってバス等の移動手段で安全な地区へと集団避難する必要がある訳で、駅の管理を行うJR九州とJR西日本は福岡市交通局などとも協力し、既に大型バスの確保を行っていた。しかし人々が一カ所に集まらなければ効率はぐんと悪くなり、避難の遅れにもつながりかねない。
 JRから連絡を受けた鉄道警察隊や周辺交番、自動車警ら隊などもパニックの沈静化を図り、拡声器を使って人々に呼び掛ける。徐々に、混乱状態は収まりつつあった。
 しかし、遠くからドーン、と、何かが破壊されるような音が響く。その音に反応した乗客の一部が、再びパニック状態になりつつあった。