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第一章

『──番組の途中ですが、ここでニュースをお伝えします』
 名古屋市・栄地区。東海地方最大の繁華街の一つであり、平日ではあるがそれでも人々で賑わっている。
 もう一つの繁華街・名駅(名古屋駅前)から東山公園へ向かう広小路通と名古屋の景観を代表する百メートル道路・久屋大通がクロスする交差点の北西角に立地する街頭ビジョンが、CMから突然地元のラジオ・テレビ兼営局、AMB(愛知無線放送)の臨時ニュースに切り替わった。とはいっても東京キー局からネットされたものだが。偶然歩いていた人達も、ふと立ち止まって注目する。
『本日午後三時、気象庁は東海地域に設置した地盤観測点のうち二ヶ所で異常な値の変化が示されたとして、東海地震注意情報を発表しました』
 そうアナウンサーが伝えるのと前後しあちらこちらで、「同じ」着信音で携帯電話が鳴り始める。一定範囲の対応端末に同報メールを送ることが出来る「エリアメール」というサービスを使用し、名古屋市が早期帰宅を呼び掛けるメッセージを配信したのだ。
 名駅と異なり、栄の鉄道機関は全て地下に存在する。しかも市営地下鉄二本と私鉄線一本のみ。地下街や周辺のビル街から人が殺到し、安全のため間も無くホームへの入場制限がかけられた。溢れた利用者は接続する地下街にまで列を生じ始める。対照的に、地上からは人が消えた。
 午後八時を過ぎた時点で異常値を示す観測点は五ヶ所を超え、次のフェーズに移行する基準を上回った。注意情報発表と前後して招集された判定会でも関連が認められ、午後八時四十六分、気象庁は「東海地震予知情報」を発表。公的機関としては世界初の「地震予知」である。
 午後九時、東京都千代田区永田町・総理大臣官邸。その中にある記者会見場に一人の男性が入ってきて、一斉にフラッシュが焚かれた。「内閣府」という文字が入った作業着姿、時の内閣総理大臣・浜岡 武郎である。彼は中央の会見台に立ち、メディアを通し国民へ呼び掛ける。
「本日午後九時、『東海地震に対する警戒宣言』を発します。これは大規模地震特別措置法に基づくもので、東海地震の対策強化地域における経済活動を制限するものです。先ほど気象庁長官より『東海地震及び東南海地震の想定震源域付近で異常な値が検出されている。これは前兆現象とされるスロースリップが拡大しつつあると考えられる』と報告を受けました。地震発生により東海地方周辺の広い範囲で震度六弱以上の強い揺れを観測する可能性があります。また、太平洋岸では津波が到達すると考えられます。日本全国の皆さん、不要な外出は控えこれから数日のうちに起こり得る巨大地震に警戒して下さい。──」
 愛知県の北西部、一宮市。JR東海道線や名神高速道路という日本の大動脈が市内を境にストップさせられたため、平常の倍以上の人々が溢れかえった。より名古屋に近い所まで運行する名鉄線からの乗り換えも続出したためなおさらである。一宮警察署は交通課や地域課のみならず警備課までも総動員して交通整理に当たり、またJRと名鉄の間でも振替輸送の区間を岐阜まで延長して混雑の解消に努めたが、混乱は深夜まで続いた。
 翌日午前八時二十分、中日本電力御前崎原子力発電所。静岡県の西部、駿河湾と遠州灘を分ける御前崎の、遠州灘側の付け根にある大規模発電施設となる。前々から耐震・津波対策として会社から多額の費用を投じられていたが、繰り返してはならない前例を重く見た政府判断により停止措置が実施されている。ただ作業は慎重に行われているため、出力は落ちきっていなかった。
「現在五万キロワットまで出力が低下しています。タービンに異常なし」
 三号機中央制御室。一・二号機が廃炉されたため発電所内で最古参の原子炉を管理する部屋である。
「了解、そのまま──」
 その時、警報音が鳴り出す。海底地震計が強いP波を感知、気象庁が緊急地震速報を発表したのだ。直後に突き上げるような激しい揺れが襲い、状況監視モニターの画面が途切れる。
 強い縦揺れが襲う中、さらに激しい水平方向の横揺れが加わる。原子炉建屋内で緊急停止基準を越える加速度を観測したことを知らせるアラーム音も重なった。照明さえ何度か点滅し、係員が座る椅子はあらゆる所にぶつかり、ひっくり返る。地震動は、いっこうに止む気配を見せない。
 一方名古屋市中区・中日本電力千代田ビルにある中央給電指令センター。送電支障による需要急落対応のため、揺れが続く中でも懸命な対応が行われている。電力供給が過剰もしくは不足状態に陥ると発電機が送電網から切り離され、大停電の要因となるからだ。少しでも影響を少なくするため、地域バランスを取りながらの人為的な切り離しが瞬時の判断で行われていた。
「愛知県東部、静岡県西部、震度七観測だそうです!」
 気象庁から自動で送られるデータを、近くにいた人間が声に出して伝える。あくまで速報値だが、上がることはあっても下がることはない。
「御前崎、出力二万まで落ちました!」
「ECCS(緊急炉心冷却装置)作動だろう、外部(電源)は?」
「──御前崎系は、一系統以外大丈夫です」
「なら佐久間をバックアップにして、モニタリング継続」
「──需要対供給、一時的に安定したようです」
「そのまま監視、問題なければ順次復旧させる」

***

 東京・市ヶ谷の防衛省地下。災害に乗じた侵攻に備え、中央指揮所はここに置かれている。統合幕僚幹部もここに集められていた。
 先程までは名古屋市内や浜名湖上空からの映像を基に、全国から集める自衛隊員の規模などについて詰めの協議を行っていた。だが情報本部からの緊急用件とのことで、一時中断となっている。
「実は某テレビ局より、駿河湾の海面上に確認されたものが何なのか、確認を求める照会がありました」
「その付近で潜水艦が航行する予定は聞いていないが?」
 海上自衛隊のトップ、海上幕僚長の発言。情報本部ももちろん既知である。
「なので至急解析を実施しました。──こちらをご覧ください」
 説明を行う研究員の背後に設けられたスクリーンに、CGの画像が映された。同様の画像は各々の手元にあるモニターにも表示される。
「これは提供された映像より、海面を特殊な効果で除去したものです。わずかではありますが、海面下の様子が判ります」
「これは、兵器か?」
 幹部の一人が聞くと、研究員は首を横に振る。
「情報本部でこのような形の兵器は把握してませんし、非公式ルートでアメリカ側にも当たってみましたがやはり知らないと。次の3D再現を見ていただければそれも納得だと思います」
 画像が切り替わると、出席者は皆唖然となった。スクリューなど何もなく、ただ細長く、蛇行している。ウミヘビか、と誰かが呟いた。
「ケーブルでは?」
 再び研究員に質問が飛ぶ。研究員はそれも否定。
「いえ、ケーブルなら浮くとしても全体が浮かぶはずです。それに大きさが合いません。この物体、太さは二メートル、長さは百メートルだと推定されます。ちょうど山手線電車のイメージを持ってもらえれば」
「それは巨大だな……」
 まさに未知の物体だといえる。
「これは一つの説なのですが、研究員の間では『ウナギ』ではないかと」
「ウナギ……?」
 それこそあり得ない、と幹部達は思った。
「実家が魚屋という原市研究員の意見です。ウナギの生態には謎の部分も多くあるので、巨大化も考えられなくはないと」
 そこに、連絡員が割り込む。
「清水港に津波到達、防潮堤を乗り越え市街地に浸入している模様です」
「それは後で対策を立てる。──引き続き検証を進めるように。現地調査は?」
「研究員は行ってませんが──」
「なら、しなければ話にならない」
 そう言うのは陸上幕僚長。研究員は発言の途中で黙らされる。
「潜水艦は出せるか?」
「まさか、不可能に決まっている! もし沈没でもしたらどうするんだ!」
「となると、航空機ですねぇ」
「なら対潜哨戒機を出せば」
「厚木だと、米軍との調整が……」
「未確定事項では伝えられないか……」
「でも海保に頼むのも」
「……救難ヘリを出すとか」
 一瞬室内が静まった。そして
「それだ」
と皆が同意。
「救難なら館山、いや浜松から飛べる!」
「民間で視認可能だったなら、こちらで無理なはずがない!」
「漂流者捜索という名目も付く!」
 早速、航空自衛隊浜松基地と回線が繋がれた。専用ネットワークを利用したテレビ会議方式である。
「統幕より、救難機の出動を命令する。目的地は駿河湾、本来業務じゃなく検索して欲しいものがある」
「あ、巨大生命体ですか? なら既に出してます」
「……話が違うじゃないか」
 非難の視線が研究員に集まる。
「いや、研究員が出てないだけで、航空浜松基地に調査要請は出してます」
「それならそうと──」
 研究員を問い詰める様子を回線越しに見て、対応していた浜松基地副司令・木嶋 憲幸はため息をつく。
「それより、別件の対応をお願いします。特に静岡の由比より西など」
「……解った、善処する。──誰か、安全保障会議の要請を」
(第4回)
 名古屋市中区三の丸、愛知県警察本部。愛知県庁に置かれた災害対策本部と並行して、県警独自に指揮を取る災害警備本部が置かれていた。その最高決定権が委ねられた会議に集まったのは、無論幹部陣である。
「では各部より状況報告を」
 県警本部長が切り出し、まずは災害対策課のある警備部の部長が口を開く。
「東三河を中心に甚大な被害が発生している。豊橋署もかなり損傷が激しいそうだ」
「地域部はとりあえず各署の判断で動くよう指示してます。警戒宣言発令で事前対策が取れたこともあり、津波からの避難もほとんど完了しているそうです」
「交通部、通行規制を継続。東名高速の損傷が激しいため静岡方面の物資輸送は新東名を使うよう誘導をかけている。鉄道は軒並みダウンのようだ」
「刑事部は機動捜査隊を中心に、避難対象地域の見回りを随時行っています。今のところ目立った事件は──」
 続いて地域部・交通部・刑事部と報告があった所に、県警本部長がふと疑問を提示する。
「そういえば機動隊の展開状況は?」
「待機中、だそうですが……」
 警備部長の口は重い。
「出さないと不味いだろ、これは。後から批判を喰らうことになる」
「特車は救助に回すとして、とりあえず庄内川で土のう積みでもさせますか?」
「何だ、堤防でも切れたのか?」
「いえ、そうでもありませんが……」
 そこに、通信指令室から連絡が入る。
『中区金山駅周辺にて、ショーウインドウを荒らす外国人グループがいるとのこと。至急対処策立案をお願いします』
「これだな、機動隊派遣は」
「……ええ」
 この通報によって、遅れた対応が迅速な対応という高評価に覆い被さられることを、彼らはまだ知らない。

***

 午前十時、東京都千代田区永田町、総理大臣官邸地下会議室。日本政府の中枢でありもちろん地震津波対策でも拠点の一つだが、浜岡総理大臣をはじめとする閣僚達は自衛隊からの要請により安全保障会議に招集されることになった。
「実は某マスコミの映像データ照会により、巨大生命体が静岡沖に出現したということが明らかになりました」
 報告するのは勿論、統合幕僚会議でも説明したあの研究員(自衛隊情報本部所属)である。
「となるとここは、ゴジラで言うと巨大生物審議会かな?」
「総理、それはガメラです」
 浜岡総理は特に取り乱した様子はなく、官房長官に訂正を入れられている。ただそれは例外で、多くの閣僚達は驚いて言葉が出ない。
「出現が確認されたのは『民法ヘリの映像』からです。映像の撮影は九時過ぎ、自衛隊でもヘリを飛ばしましたが未確認です。恐らく海に潜ったのかと」
「……その生命体はどんな容貌なのでしょうか」
 そう声をひねり出したのは女性だった。国家公安委員長であり、連立政権の片翼を担う党の党首である。
「軍事用システムも使った画像分析の結果、巨大なウナギではないかと推定されています」
「カメじゃないのか?」
「総理、それはSFの世界です」
「でも巨大なウナギも、SF的じゃないか」
「確かにそうですが……。でも某怪獣映画みたいにハ虫類ではないですから、上陸の心配は考えなくていいですね」
 総理の発言と官房長官の指摘で場が和んだ。しかしそれも一瞬のこと。
「いや、そうとも限らないぞ?」
 だがそんな空気を引き締めさせたのも、総理だった。
「ウナギは皮膚呼吸で陸上を這うことも出来る。それで異なる川まで移動すると、NHKで観たことがあるぞ」
「ええ、その通りです」
 研究員も肯定。
「あとこんな状況だから、津波で流されてる可能性も考えないとな」
「しかし、震源は豊橋沖では?」
 官房長官の指摘通り、駿河湾は震源の東側。ならその行き着く先は、最悪の場合は伊豆半島や伊豆諸島、そうでなければ太平洋に抜けると考えることも出来る。
「引き波とかも考えれば、決めつけちゃいかんと思うが?」
 しかし総理の方が正論だった。この時点で提供されている気象庁の暫定津波モデルでは震源域を東海・東南海地震想定震源域(富士川河口~熊野灘沖の駿河・南海トラフ周辺)と想定しており、決して津波が一点で起こるわけではない。さらに引き波を考えればどの方向に動いてもおかしくはなかった。
 そしてその推測が正しかったことが、すぐに明らかにされる。
「海上保安庁より緊急連絡、伊良湖水道周辺に黒い物体が多数浮遊しているのが確認されました! 現在北へ向かっています!」
 総理補佐官が駆け込んできて言った。伊良湖水道は伊勢湾の入り口、つまりそれは、
「愛知県と三重県、名古屋市に緊急連絡!」
 伊勢湾の奥、名古屋港へ襲来する可能性を意味した。
「東海統合(運用本部)にも連絡、体制を整えさせろ!」
 陸上幕僚長の発言には、ただ一人顔を歪ませる閣僚もいたが。

***

 午前十時、東京都千代田区永田町、総理大臣官邸地下会議室。日本政府の中枢でありもちろん地震津波対策でも拠点の一つだが、浜岡総理大臣をはじめとする閣僚達は自衛隊からの要請により安全保障会議に招集されることになった。
「実は某マスコミの映像データ照会により、巨大生命体が静岡沖に出現したということが明らかになりました」
 報告するのは勿論、統合幕僚会議でも説明したあの研究員(自衛隊情報本部所属)である。
「となるとここは、ゴジラで言うと巨大生物審議会かな?」
「総理、それはガメラです」
 浜岡総理は特に取り乱した様子はなく、官房長官に訂正を入れられている。ただそれは例外で、多くの閣僚達は驚いて言葉が出ない。
「出現が確認されたのは『民法ヘリの映像』からです。映像の撮影は九時過ぎ、自衛隊でもヘリを飛ばしましたが未確認です。恐らく海に潜ったのかと」
「……その生命体はどんな容貌なのでしょうか」
 そう声をひねり出したのは女性だった。国家公安委員長であり、連立政権の片翼を担う党の党首である。
「軍事用システムも使った画像分析の結果、巨大なウナギではないかと推定されています」
「カメじゃないのか?」
「総理、それはSFの世界です」
「でも巨大なウナギも、SF的じゃないか」
「確かにそうですが……。でも某怪獣映画みたいにハ虫類ではないですから、上陸の心配は考えなくていいですね」
 総理の発言と官房長官の指摘で場が和んだ。しかしそれも一瞬のこと。
「いや、そうとも限らないぞ?」
 だがそんな空気を引き締めさせたのも、総理だった。
「ウナギは皮膚呼吸で陸上を這うことも出来る。それで異なる川まで移動すると、NHKで観たことがあるぞ」
「ええ、その通りです」
 研究員も肯定。
「あとこんな状況だから、津波で流されてる可能性も考えないとな」
「しかし、震源は豊橋沖では?」
 官房長官の指摘通り、駿河湾は震源の東側。ならその行き着く先は、最悪の場合は伊豆半島や伊豆諸島、そうでなければ太平洋に抜けると考えることも出来る。
「引き波とかも考えれば、決めつけちゃいかんと思うが?」
 しかし総理の方が正論だった。この時点で提供されている気象庁の暫定津波モデルでは震源域を東海・東南海地震想定震源域(富士川河口~熊野灘沖の駿河・南海トラフ周辺)と想定しており、決して津波が一点で起こるわけではない。さらに引き波を考えればどの方向に動いてもおかしくはなかった。
 そしてその推測が正しかったことが、すぐに明らかにされる。
「海上保安庁より緊急連絡、伊良湖水道周辺に黒い物体が多数浮遊しているのが確認されました! 現在北へ向かっています!」
 総理補佐官が駆け込んできて言った。伊良湖水道は伊勢湾の入り口、つまりそれは、
「愛知県と三重県、名古屋市に緊急連絡!」
 伊勢湾の奥、名古屋港へ襲来する可能性を意味した。
「東海統合(運用本部)にも連絡、体制を整えさせろ!」
 陸上幕僚長の発言には、ただ一人顔を歪ませる閣僚もいたが。

***

『こちら第二班、公妨と窃盗の現行犯で五名拘束』
 名古屋市中区金山、金山駅。名古屋デザイン博を機に総合駅として整備されたこの駅にはJR東海道線・中央線、名鉄名古屋本線(常滑線・河知線の実質的な始発駅でもある)、地下鉄名城・名港線が乗り入れている。北口にはバスターミナルがあることはもちろん、二〇〇五年の万博に合わせてアスナル金山という商業施設がオープンしたこともあり質素なイメージの南口とは性格を異にしている。ただ昨日の夜から全路線が運転を見合わせていることもあり、人の姿はほとんど見られない。さらに地震の影響でショーウインドウの一部は破損してしまっていた。しかも中は無人である。日本語が解らず支援を得ることが出来ない外国人達にとって、「食糧を得るための現金」を得る絶好の狩り場となってしまった。
 それも愛知県警機動隊第二中隊・刑事部国際捜査課の合同チームが投入されることで収まる。窃盗グループは小隊単位に分かれた機動隊に制止され抵抗するが、透明ポリカーボネート製の盾(日韓ワールドカップを機に導入されたもの)を使い押さえ込まれ、同行する刑事に逮捕された。
「状況終了、各班は撤収準備に入れ。伝令、本部に連絡」
 室伏中隊長が部隊運用無線を使い各小隊に指示を出す。傍にいた隊員が走っていき、輸送車に積まれた無線機(県内系)で警備本部に連絡。その返答を室伏に伝える段取りとなっていた。
「報告します! 県警本部より、機動隊は再展開せよとの命令!」
 ただ伝令は、不可解な答えを報告した。
「理由は!」
 人命救助と警備では比重を置くベクトルが異なる。理由が判らなければ、装備も決められないのだ。
「不明です! ただ、再展開せよと」
「だったらその辺りを問いただせ!」
「はい!」
 伝令は再び走っていく。その間にも室伏は考えた。人命救助でただ再展開するよう求めるのは考えづらく、災害に乗じたテロならここで起こっていない以上移動命令になるはず。考えられる可能性は二つ。金山で何かが起こるか、何かが来るか。──いや、展開だから何かが来る方だ。そこまで行き着いた所で無線の発信ボタンを押す。
「全隊、金山駅に再展開! 駅は堀割式だ、駅コンコースと周辺の跨線橋をメインに抑える。装備は警備モード、何が来ても耐えろ!」
 無茶な命令だったが、詳細が判らない以上仕方がないことでもある。「了解」という返答が各小隊から一通り返ってきた所で伝令が戻ってきた。
「本部も上からの命令だそうで、理由は判らないそうです!」
「そうか、なら──」
 室伏は駅の反対側に聳えるビルを指差して言う。
「状況確認のためあのビルに上がるぞ!」
「しかしそうなると調整が……」
「市の関係機関が入ってる、展望台もあるはずだ! お前は移動無線機を持ってこい!」
「──はい!」
 そして室伏は金山南ビルへ向かった。そこには財団法人名古屋都市基盤公社の運営する、名古屋都市センターが入っている。

***

 同じ頃、愛知県長本庁舎(戦前の建物だが、免震工事を実施していたため被害軽微)。災害対策本部の置かれた会議室は「巨大ウナギが伊勢湾に出現」の一報で、大混乱に陥っていた。
「これは自衛隊に……」
「陸上か海上、どっちだ担当!」
「えっとそれは……」
「海保は!?」
 一因としてマニュアル外だったことが挙げられるが、このような事態を想定して作るのは酷である。
「とりあえず、情報を整理する! 皆落ち着け」
 だが愛知県知事・永田 清史は冷静だった。皆を黙らせ所定の位置に着かせる。
「まず情報ソースは警察サイドのようだが、詳細をお願いしたい」
「こちらも警察庁から流れてきた情報なのですが、どうやら発信元は安全保障会議に出席していた警備局長のようです」
 県警警備部警備課長代理・成瀬 浩が答える。災害対策本部の県警連絡員として派遣された彼、本職は警備指揮だったが「とある事情」でこのポジションに押し込まれていた。しかし着々と任務に励んでいる。
「では内閣府に確認する。誰か、東京事務所に連絡」
 その場にいた県職員の一人が会議室を出ていった。
「次に自衛隊、対応状況は?」
 これには陸上自衛隊守山駐屯地から派遣された、迷彩服の女性が答える。
「今のところ防衛大臣より命令は出ていませんが、進行中の作業が済み次第撤収するよう運用本部長が指示を出しました。ただ、現段階では災害派遣の範囲の出動に留まります」
「すると、もし上陸したとして重火器は使えないと?」
「はい」
「警察は?」
「金山にいた機動隊中隊一隊を緊急展開しています。方面機動隊を除く他の隊にも出動命令が下りました。中部管区(警察局)を通じて他県にも広域緊急援助隊とは別の枠で応援を要請しています」
 県警本部にいる部下を通じ、成瀬は情報をしっかりと把握していた。
「機動隊全部派遣となると、地震災害対応は?」
「所轄が対応しています。なので第二機動隊・管区機動隊の要請は見合わせました」
 第二機動隊や中部管区機動隊の構成員は愛知県警の地域警察所属である。地震災害のなかそれを動かすのは現場にさらなる酷を強いることになるのだ。動かせる人数が少ないので警備サイドも酷だが。
「いや、地震対応は消防に任せておけ。巨大ウナギ対応は今のところ機動隊しか動けないんだ」
「解りました、連絡します」
 成瀬は携帯電話を取り出し、県警本部に連絡する。県知事に直接の指揮権はないが、機動隊の全力運用がしやすくなったことについては事実である。
「牛田副知事、自治センターに災害緊急援助隊の受け入れ本部を設置し指揮を取れ」
「了解しました」
「さて海保、それ以外に情報は?」
「名古屋・常滑・鳥羽からそれぞれ巡視艇を出しています。ただ津波の心配もあるので活動は小規模に留めています」
「解った。ならすぐに動けるのは警察だけだ、精一杯善処してくれ」
「まあ、自衛隊が出てくるまでは耐えられるよう調整しますよ」
 成瀬は言った。この段階において実際に指揮を取る立場ではないが、しっかり自信をもって。

***

 名古屋市港区、愛知県警港警察署分庁舎(旧水上警察署)。名古屋港水族館や南極観測船ふじ・名古屋港ポートビルなどのレジャー施設が集まるガーデン埠頭の防潮堤沿いに位置しており、高潮被害防止のため高床式庁舎でもある。この庁舎に入っている船舶課の課長、桐野 英忠はただ海をじっと眺めていた。
 港署と水上署が統合されたことにより、こちらに課本体を置くのは船舶課だけである。他の課は分室さえ置いているものの、現在は本庁舎へ出払っていた。船舶課も県警保有の警備艇を使い、海上保安部と合同で避難の呼び掛け及び「例の件」の調査に当たっている。
 すると部屋に置いてある電話機が鳴り、桐野はそれを取った。
「はい船舶課」
『こちら港署災害対策本部、県警ヘリが伊勢湾シーバース(知多市沖合にあるLNGの陸揚げ施設)付近で第一波を視認した。高さは施設が水を被る以上。──名古屋港高潮防波堤の地震被害は見た目からして軽微と推定される』
「……了解」
 高潮と津波ではそのエネルギー量が大きく異なるため、伊勢湾台風を機に作られ老朽化が激しく、さらに地震による影響を受けた高潮防波堤で被害を防ぐのは困難である。だがしかし、多少なりとも被害軽減には効果がある。
 しばらくして名港トリトンの一つ、名港中央大橋に派遣されていた課員から無線が入った。
『──津波はポートアイランドを飲み込みました。巨大ウナギの一部個体も打ち上げられています。残りの個体は……津波に乗り北北西に移動中』
「それは──まっすぐこちら、ガーデン埠頭に向かっているってことだな」
『はい……』
 県警の戦いが、ここに始まる。

***

 愛知県警本部のとある一室。災害警備本部とは別に、警備部単独で会議が設けられている。議題は「今回の指揮を誰が執るか」。下らないことかもしれないが、責任の所在を明らかにするため当事者にとっては重要である。
「渕野くん、君はどうだね?」
 警備部長が警備部長補佐に向かって言う。警備部はその名の通り「警備」部門と共に、要注意団体の監視を行う「公安」部門も擁している(警視庁については規模が大きいため、公安部として独立しているが)。警備部長は公安畑出身のため、他部門の責任を直接は取りたくないのだ。
「私は、現場から退いて久しいので。公安一課長、誰か適当な人物は?」
 公安第一課は警備部全般の総務も司っている。人事について聞くには適任だった。
「私としては、成瀬警備課長代理に任せるのがよいと思いますが」
「成瀬? 佐田警備課長の方が優秀な結果を出しているはずだが?」
 警備部長が顔をしかめる。実際、成瀬警備課長代理は「マニュアル通りに動かさないため」内部評価は決して良くなかった。
「私も、同意です」
 好評価を受けた警備課長も、成瀬案を支持する。
「確かにマニュアルに沿った訓練では決してよいとは言えませんが、ブラインド方式の訓練では、対応だけ見ればかなり優秀です」
「……なるほど。つまり『マニュアル外』の今回は──」
「成瀬くんにうってつけ、という訳です」
「うむ、解った。じゃあ彼を呼んでこい」
 警備部長が指示したが、公安一課長は顔を逸らす。
「何だ?」
「実は……県庁に派遣中です」
「なら今すぐ呼び戻せ」
「はい」
 公安一課長は部下に指示を出すため、一旦部屋を出ていった。
「でも、本当によろしいのですか?」
 渕野警備部長補佐が警備部長に聞く。
「推したのは君だろ?」
「しかし、もし私がその立場だったらもうちょっと躊躇すると思いますが」
「──こんな事態、引き受ける方が馬鹿なんだ。しかし警察は引き受けざるを得ない。なら、いっそのこととことん馬鹿になればいいんだよ」

***

『金山橋、封鎖完了しました』
「了解。──これで、暫定的な防御は固まったか」
 金山駅南口、周辺では群を抜く高さの金山南ビル。ここの十一階にある名古屋都市センターの展望室兼企画展示室では機動隊第二中隊長が伝令とともに作戦本部を構え、暫定的な警備プランを実行していた。このセンターは日本や世界の都市について調査研究するのが仕事であり、常設展示室には名古屋市全体の航空写真なども存在する。また、名古屋中心部のジオラマなどもあったりして、作戦を練るのには絶好の環境となる。
 対して防衛線の最前線となった金山駅は、名古屋城から熱田神宮にかけ南北に細長く広がる熱田台地を掘り下げて作られている。つまり駅周辺に限れば、堀があると言っても差し支えなく、守りやすい地形と言えた。よってその「堀」を渡る三つの橋──金山新橋、金山駅コンコース、金山橋──を封鎖することが最優先事項である。
「本部から連絡です。港署より、敵は防潮堤を乗り越えたと」
「うむ、判った」
 港署(分庁舎を含む)のあるガーデン埠頭から金山まではかなり距離があるが、室伏中隊長は気を引き締める。
「あとこちらの展開行動を新しく立ち上げられた対策本部が追認したそうです。本部長は成瀬警備課長代理になったと」
「うむ、成瀬か。ならひとまずはなんとかなりそうだな」
「でも成瀬課長代理って、警備指揮には向いてないんじゃ──」
「これは警備じゃない。戦いだ。そして戦いに警備のマニュアルは役に立たない」
「はあ……」
「成瀬はマニュアル外の指示をよくするが、それは状況に合った指示でもある。だから、彼は頼りになるんだよ」
「何となく、解りました」
 そんななか、伝令は気付いた。
「あの黒いのって──警戒対象ですか?」
「──新橋へ連絡、尾頭橋辺りの堀川岸壁に隊員を回せ!」
 室伏はそれが「対象」だと直感、無線で指示を出す。彼も負けず劣らず、マニュアルを見ない人間だ。

***

『金山橋、封鎖完了しました』
「了解。──これで、暫定的な防御は固まったか」
 金山駅南口、周辺では群を抜く高さの金山南ビル。ここの十一階にある名古屋都市センターの展望室兼企画展示室では機動隊第二中隊長が伝令とともに作戦本部を構え、暫定的な警備プランを実行していた。このセンターは日本や世界の都市について調査研究するのが仕事であり、常設展示室には名古屋市全体の航空写真なども存在する。また、名古屋中心部のジオラマなどもあったりして、作戦を練るのには絶好の環境となる。
 対して防衛線の最前線となった金山駅は、名古屋城から熱田神宮にかけ南北に細長く広がる熱田台地を掘り下げて作られている。つまり駅周辺に限れば、堀があると言っても差し支えなく、守りやすい地形と言えた。よってその「堀」を渡る三つの橋──金山新橋、金山駅コンコース、金山橋──を封鎖することが最優先事項である。
「本部から連絡です。港署より、敵は防潮堤を乗り越えたと」
「うむ、判った」
 港署(分庁舎を含む)のあるガーデン埠頭から金山まではかなり距離があるが、室伏中隊長は気を引き締める。
「あとこちらの展開行動を新しく立ち上げられた対策本部が追認したそうです。本部長は成瀬警備課長代理になったと」
「うむ、成瀬か。ならひとまずはなんとかなりそうだな」
「でも成瀬課長代理って、警備指揮には向いてないんじゃ──」
「これは警備じゃない。戦いだ。そして戦いに警備のマニュアルは役に立たない」
「はあ……」
「成瀬はマニュアル外の指示をよくするが、それは状況に合った指示でもある。だから、彼は頼りになるんだよ」
「何となく、解りました」
 そんななか、伝令は気付いた。
「あの黒いのって──警戒対象ですか?」
「──新橋へ連絡、尾頭橋辺りの堀川岸壁に隊員を回せ!」
 室伏はそれが「対象」だと直感、無線で指示を出す。彼も負けず劣らず、マニュアルを見ない人間だ。

***

 室伏中隊長の指示に従い、金山新橋を守っていた第一小隊は一分隊だけを残し、輸送車で移動した。堀川右岸で一分隊を下ろし、もう一分隊が尾頭橋から回って左岸に到着した時。
「来ました!」
 隊員の一人が叫ぶ。輸送車側、広瀬分隊の数人は銃を構えた。あくまで暴徒制圧用、中に入っているのは催涙弾である。ただ、それ以外に使えるような武器もなかった。あくまで機動隊は対人部隊だからである。
 しかし、見過ごす訳にもいかない。堀川は満潮時、北区役所(名古屋高速楠線・黒川出入口付近)より上流まで海水が遡上する河川である。つまり流れは無いに等しく、巨大ウナギでも容易に侵入すると思われた(実際には河口水門閉鎖に伴い庄内川からの導水も中止している)。
 中隊長の許可を得た後、左岸から催涙弾を撃ち込む。その弾は見事に命中して巨大ウナギの一体を怯ませ、水面下で進路を妨害した。だが、来ているのは一体だけではない。水面はすぐに飽和し、逃げた先は──右岸。
「ガード側には通すな! 出来れば川に押し戻せ!」
 古瀬分隊長の指示。右岸側分隊は透明ポリカーボネート製の新型盾を構え、ヘルメットのフェイスガードも下ろした上で突撃する。まさに巨大なウナギ、大きさが違うだけで迫力が段違いの相手を実際に視認し皆一瞬は怖じ気付いたが、ここを通したら今後の防衛戦に不利を来す。それも解っていた。胴体には効果がないと思われたため、狙うのは眼である。
「警杖の使用を認める! 催涙弾は極力使うな!」
 水中ならともかく、地上での使用は味方にも損害を与えかねない。しかし機動隊の一般隊員が扱えるのは拳銃が精々で、サブマシンガンを扱う能力をもつ人間は一部に限られる。拳銃だと威力が弱すぎるため、必然的に接近戦に持ち込まざるを得ないのだ。
 しかし、そんな状況は早くも危機に陥る。
「結城!」
 古瀬分隊の一人が倒れ込む。本体からすぐ近く、胴体をくねらせ暴れた時に巻き込まれたのだ。古瀬は急いで駆けつけ、結城を立ち上がらせる。
 巨大ウナギはそんな、反撃の機会を見逃さなかった。巨大ウナギの口が、二人に迫る。古瀬は、持っていた盾をその口に押し込んだ。
「──」
 口を詰まらさせ、襲撃者は後退する。その隙を衝き、古瀬は結城に肩を貸しながら撤退した。
 その光景のなか、少し強い揺れが襲うが彼らは気付かない。気付いたのは上空に飛ぶヘリコプターの姿だけ。

***

 室伏中隊長の指示に従い、金山新橋を守っていた第一小隊は一分隊だけを残し、輸送車で移動した。堀川右岸で一分隊を下ろし、もう一分隊が尾頭橋から回って左岸に到着した時。
「来ました!」
 隊員の一人が叫ぶ。輸送車側、広瀬分隊の数人は銃を構えた。あくまで暴徒制圧用、中に入っているのは催涙弾である。ただ、それ以外に使えるような武器もなかった。あくまで機動隊は対人部隊だからである。
 しかし、見過ごす訳にもいかない。堀川は満潮時、北区役所(名古屋高速楠線・黒川出入口付近)より上流まで海水が遡上する河川である。つまり流れは無いに等しく、巨大ウナギでも容易に侵入すると思われた(実際には河口水門閉鎖に伴い庄内川からの導水も中止している)。
 中隊長の許可を得た後、左岸から催涙弾を撃ち込む。その弾は見事に命中して巨大ウナギの一体を怯ませ、水面下で進路を妨害した。だが、来ているのは一体だけではない。水面はすぐに飽和し、逃げた先は──右岸。
「ガード側には通すな! 出来れば川に押し戻せ!」
 古瀬分隊長の指示。右岸側分隊は透明ポリカーボネート製の新型盾を構え、ヘルメットのフェイスガードも下ろした上で突撃する。まさに巨大なウナギ、大きさが違うだけで迫力が段違いの相手を実際に視認し皆一瞬は怖じ気付いたが、ここを通したら今後の防衛戦に不利を来す。それも解っていた。胴体には効果がないと思われたため、狙うのは眼である。
「警杖の使用を認める! 催涙弾は極力使うな!」
 水中ならともかく、地上での使用は味方にも損害を与えかねない。しかし機動隊の一般隊員が扱えるのは拳銃が精々で、サブマシンガンを扱う能力をもつ人間は一部に限られる。拳銃だと威力が弱すぎるため、必然的に接近戦に持ち込まざるを得ないのだ。
 しかし、そんな状況は早くも危機に陥る。
「結城!」
 古瀬分隊の一人が倒れ込む。本体からすぐ近く、胴体をくねらせ暴れた時に巻き込まれたのだ。古瀬は急いで駆けつけ、結城を立ち上がらせる。
 巨大ウナギはそんな、反撃の機会を見逃さなかった。巨大ウナギの口が、二人に迫る。古瀬は、持っていた盾をその口に押し込んだ。
「──」
 口を詰まらさせ、襲撃者は後退する。その隙を衝き、古瀬は結城に肩を貸しながら撤退した。
 その光景のなか、少し強い揺れが襲うが彼らは気付かない。気付いたのは上空に飛ぶヘリコプターの姿だけ。

***

『緊急地震速報です。三重県沖で地震。東海、和歌山県、奈良県は強い揺れに警戒──』
『緊急地震速報、愛知県西部、震度五弱、S波到達まであと──』
 愛知県警本部、会議室。NHKラジオ第一放送が災害報道を中断、また会議室内に設置された高度利用者向け情報受信装置が「余震とは違う」緊急地震速報を伝えた。しばらくすると室内でも揺れが感じられるようになる。災害警備本部の本部長となった成瀬はそれを聞き、体感し、頭の中の応援隊数をすぐに組み替えた。それをしつつ、目は尾頭橋上空を飛ぶ県警ヘリからもたらされた映像の方を向いている。
 一方、成瀬の周囲以外は混乱状態。時間と共に警戒対象域が拡大、宮崎県まで達する。それが示すのは「南海地震の発生」。
「第一中隊の一部を尾頭橋に割く。連絡してくれ」
「はい、了解です」
 成瀬はただ、冷静。「現状を打開するのに未来の部隊に関することはあまり関係ない」からだ。
「中部管区と第二機動隊は?」
「管区は準備完了、第二はまだです」
「なら管区は笹島へ派遣だ。堀川を遡ってきた以上、中川運河経由で到達することは十分にあり得る」
「では連絡します」
「──警備課長代理、状況が判っているのか!」
 そんな「まるで気にしていないような様子」に、誰かが怒鳴る。しかし成瀬は動じない。
「ええ。──近畿及び四国からの応援は厳しいでしょう。加えて名古屋市南部の浸水域は拡大、巨大ウナギも北上する可能性が」
 成瀬は的確に答える。さらに
「雲の様子からして雨が降る可能性もありますから、余計厄介です。──誰か、予報をチェックして」
「先程から気象台に問い合わせてますが、通じません」
 名古屋地方気象台には先程の地震で問い合わせが殺到していた。実際に地震情報を分析・発表しているのは気象庁本庁で、地震については情報の中継役でしかないのだが。
「テレビでいい」
「テレビは特番ばかりじゃ……」
「データ放送があるだろう?」
「──了解」
 成瀬はため息をつく。
「さて、第一中隊はどうなっているかな」

***

 名古屋市中川区、ナゴヤ球場。地元プロ野球チームの元本拠地で現在は練習拠点となっている野球場だが、グラウンドには愛知県警機動隊第一中隊が整列している。
「全員整列確認! 敬礼!」
 秋山勝己中隊長が号令をかけ、皆右手を額にピシッと当てる。
「それではこれより、巨大ウナギ侵入抑制作戦を開始する! 第一中隊に任された任務は二つ、まずは笹島から尾頭橋にかけて要点警備を行う! これについては第一・第二小隊に任せる!」
 秋山の声は拡声器を使わずとも響く。
「第三小隊、俺もそちらの指揮を執るが、堀川に向かい第二中隊の支援を行う! そのために一部の対銃器部隊も混ぜてもらった! 状況を有利に持っていくのがお前たちの使命だ!」
「おーっ!」
「うっす!」
「ウナギなんか、俺たちがやっつけてやる!」
 隊員からは力強い反応が返ってくるが、秋山はフォローも忘れない。
「だが自惚れるな! イーブンに持っていけるだけでもよいと思え! 決して、それ以上を望むな!」
 秋山は解っている。機動隊の装備では「たとえ元がウナギだとしても」殲滅は無理だということを。そしてそうであったとしても、マスメディアは決して良くは報道しないということを。もし真実が解ったとしても、訂正は望めないことも。
「来るべき撤退の時、マスコミは『無能な機動隊』『役立たずの機動隊』と揶揄するかもしれない! だが俺たちの目指すのは、死人を出さず最大限の『警備』を行うことだ! 筋違いの批判など、気にする必要はない! 自衛隊の出動まで持たせることが俺たちの任務だ!」
 秋山は、隊員のベクトルを一つにするには随一の指揮官だった。事実をはっきり明示しつつ、士気は落とさない。
「野郎共、行くぞ!」
「「おーっ!」」
 そして隊員は、各々の任務へと動き始めた。その目に、迷いはない。

***

「……あの、それは」
 東京・永田町の総理大臣官邸地下、官邸危機管理センター内予備閣議室。ここでは何度目か「駿河・伊勢湾巨大生物対策本部」の会合が開かれていた。それは内容がまとまらないからで、それは総理大臣が地震災害対策本部(中央合同庁舎五号館内)へと一時的ながら抜けてから、運営権が官房副長官に委ねられてからだった。
「だから、自衛隊を出さなくても機動隊で何とか出来ます!」
 彼女は国家公安委員長たる浦野 京香衆議院議員。連立与党の党首の一人だった。彼女の党は公約として自衛隊の縮小を掲げており、そんな「私的事情」が絡んでいるのは誰の目から見ても明らかである。
「いえ、しかし機動隊で抑えられるとは──」
「なら、今全力投入しているの?」
 矛先はそれまで防衛大臣だったが、オブザーバーとして参加していた警察庁長官に替わる。
「愛知県警及び中部管区警察局からの報告では、機動隊は二中隊出動一中隊交代待機中、管区は移動中、第二は準備完了だと。実際に戦闘中なのは二分隊、一小隊が応援に向かっています」
「ブンタイだかショウタイだか解らないけど、全部集中させればいいじゃない!」
「それは出来ません」
 否定したのは警察庁警備局長。警備警察というよりは公安警察のトップだが、一応参加している。
「何故?」
「もしそれで撃破できたとして、別の場所に出現したら元も子もありますん。また、その後はどうするかも問題です。『よく頑張った、だから休んでよし』とは言えません。あとは純粋に火力が足りないってことも」
「ならSATを全部集めて──」
「日本の他都市をテロの危険に晒す気ですか? あれは持っているだけでも抑止力になり得るものです」
「なら秘密裏に動かせばいいだけ! 報道協定でどうにかなるでしょ!」
「報道協定は事後の取材活動を保障しなければなりません。それに今はネットで、誰でも制限なく発信者になれる時代です。危険な賭けは出来ません」
 無論それは責任を回避したいという計算が含まれた、エリート官僚ならではの発言である。しかしそれは正論でもあった。正論に対抗する手段、一つは感情論に持ち込むこと。しかしここでは通用しないことは、浦野には当然解っていた。だから
「警察庁長官、対策の指揮権はどこが持ってまして?」
 押しが弱い人物を攻めることにした。
「確か、愛知県警が持っていたかと……」
「なら警察庁直轄にしなさい、今すぐに。『エリート官僚』なら、うまくやれるんじゃなくて?」
 警備局長は心の中で舌打ちする。事実、未だ県警に指揮権があるのはすぐに自衛隊が出動すると思っていたため、『警察庁が泥を被らないように』するためだった。
「これは国家公安委員長として『指導』します」
「……了解、しました」
 警備局長は受けざるを得ない。あくまで指導とはいえ、その事実は公にされる。それでも従わなければ今度はメディアが、それに乗って一般民衆も警察批判に向かう。そうなると部署こそ違え「地域警察」の業務に支障を来す。さらにこの内閣は『政治主導』を掲げているため更に立場が悪かった。
「なら自衛隊の投入は先送りってことで。いいわね、官房副長官?」
「……ええ、はい」