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第二章

 金山駅北側にある金山バスターミナル。アスナル金山と一体的に整備されたここでは春日井駐屯地所属の陸上自衛隊第十後方支援連隊が野戦病院の設営をしていた。ただ万が一の撤退の際に放置できるよう、メインの設備が置かれるのはバスターミナル二階部分。一階には応急処置ができる設備と二階に運べなかった車両が配置された。また、自衛隊救急車も一階に配置されている。
 これが出来たのは別に政府が動いたからではない。災害派遣を弾力的に適用し警察機動隊の支援に回すことにした東海統合運用本部長のファインプレーだった。一般向け有料駐車場として営業されていた三階から上の部分は資材倉庫として運用し、形式上は前進拠点として整えてもいる。
「自衛隊からのご支援、心より感謝する」
 室伏機動隊第二中隊長は指揮権を成瀬対策本部長に移行したことに伴い、監視役を残し地上へ下りてきていた。
「いえ、本来は自衛隊が対処するべきものを押し付けているのですから」
「それでも、このような機転が利くとは」
 一方尾頭橋では。
「援軍の到着だ!」
 第一中隊長率いる応援部隊が両岸に分かれやって来ていた。
「水中への催涙弾発射による打撃で進行は食い止めていますが、その影響で一部個体が上陸しています!」
 指揮を執っていた第二中隊第一小隊長が報告。一緒に指揮権も移行する。
「了解。第三中隊から成る交代要員が派遣されるまで、ここは持たせる!」

***

「成瀬本部長より室伏中隊長へ、報告事項了解。緊急の際はそちらの判断で動くよう改めて確認する。以上通信終了」
 愛知県警察本部内、巨大生物対策本部の設置された会議室本部長を引き受けている成瀬警備課長代理は自分の部下を集め今後の作戦を練っていた。
「岐阜の機動隊は名古屋高速から清須経由で入れればいいな。滋賀は東名阪の名古屋西料金所を前線拠点に使用する」
「東は名古屋インターから名二環を経由し瑞穂運動場でしょうか」
 そんな話をしている所に、スーツ姿の男性がやって来て成瀬に何やら耳打ちする。彼は公安一課の人間。公安警察は「警察庁警備局長の指示通り」動いていた。
「ああ、了解。あの『自衛隊嫌いで有名な』国家公安委員長が自衛隊出動に反対してると」
「あまり公言しないでくださいよ、監視対象に関する機密情報ですから」
「彼らなら問題ないよ、私の部下だ。そしてもう一つも了解した。それはちゃんと伝えておく」
「頼みますよ、これがバレたら警備局長のクビが飛ぶんですから」
「ああ、彼か。今までで一番馬があった記憶がある」
「知り合いですか?」
「元上司だ」
「なるほど」
 公安課員はスッ、と影になるように去っていく。
「……成瀬課長代理?」
 部下の一人、金城 篤人が声をかけると、成瀬は一度ため息をつき言う。
「国家公安委員長が指揮権を警察庁に移すよう『指導』したようだ。まだ正式なものではないが、やがて上から指示が来る。しかしこれは『愛知県内だけの事件』、つまり警察庁自体に関わる必然性はないし今までも県警に任せていた。まあそれは責任回避の意味合いもあるがな」
「ということは逆に、それが明らかになった以上形だけでも警察庁指揮になると?」
「しかし警備局長は事前にこの情報を送ってきた。とすれば、それは都合が悪いことという証明だ。現に『もう一つの件』については県警指揮の上で成り立つことだ」
「もう一つってー、何ですかー?」
 成瀬の部下その二、内野 宏隆が間延びした口調で聞く。
「これは本当に機密事項だからな。ここでは伝えられない」
「わかりましたー」
「それで、どうするんです?」
 成瀬の部下その三・三浦 綾が尋ねると、
「なら指揮権を移さなければいい」
 成瀬の回答は簡潔明快。
「ということで本部を移すことにした。その前に作戦だけ決めておきたいんだが」
「はい!」
「ええ、了解です」
「了解、ですー」
「まず前提として、一番守りやすいのは名古屋城外堀を使ったラインです。それなら金山と同じように、要点警備で対応可能です」
「しかしそこまで下げるということは、名古屋中心部の大半を犠牲にすると同義。それは避けるべきかと」
 三浦、金城がそれぞれ言う。
「まず、三の丸地区まで下げるのは何としても避けたい。万が一突破されると災害対策本部の機能が失われるからな。加えて外堀はまだ名鉄の所有地だし史跡でもある。あまり大胆なことはしたくないな」
「そうなるとその手前の何処かで抑えることになるわね」
 成瀬の「上から予想される」意見を基に、警備プランが組まれていく。
「あのー、名駅と栄ー、大須と金山は守りたいですー」
そんな中発言したのは内野。
「なるほど、その理由は?」
「えーと、そのー」
「早く言いなさいよ」
 成瀬の確認に三浦の強い口調が重なる。
「……名駅西口にはアニメイトとメロンブックスがー、久屋大通駅の近くにはとらのあながー、大須にはゲーマーズとまんだらけがー、金山駅北にもアニメイトがー、あるからでー」
「それは、どういう基準なのかな?」
「全部アニメ関係の店ですよ。まったく、公私混同は慎めとなんど──」
「いや、いい意見だ」
 成瀬は金城が内野を責めるのを止める。部下三人の誰もにとって、それは意外だった。
「課長代理、何か考えが?」
 三浦が聞く。
「名駅から桜通を西へ、そして金山から大津通りを北へ。その二本の道路は、栄の北側で交差するな?」
「はい、それは確かに」
 本部長席に置かれた地図(国土地理院発行・一万分の一地形図のコピーを貼り合わせたもの)に成瀬がサインペンで線を引く。その線は名古屋の市街地で巨大な「L」を描いた。
「そしてその直下や近くには、地下鉄がある。補給には都合がいい」
「でもそれだったら、鶴舞線や東山線でも良いのでは?」
 鶴舞線は桜通線の丸の内駅から伏見通りを南に下がり、大須付近で東へと進行方向を変える。一方東山線は鶴舞線と伏見駅で交差する、名駅から池下までを東西に貫く錦通り直下を走る。同じ考え方で防御線を引けば、上前津駅(大須商店街の最寄り駅の一つ)から金山駅までの名城線と合わせより内側に設定することも可能である。
「確かにそれは言える。ただ、最終防衛線として考えるには最適なラインだ。桜通線は新しい路線だから被害も少ないだろうしな」
「名城線は? かなり前に開通した区間ですよ?」
 名城線は名古屋で二番目に開通した路線であり、特に市役所~栄間は歴史が古い。
「大津通り直下に通ってる区間は少ないからな。ラインの外側だから復旧も可能だ」
「……それで、問題は無さそうですね」
 金城は納得したように言い、他の部下からも異議は出ない。
「自衛隊の施設大隊に委託して防御帯の工事をしてもらうことにする。実際の前線は『支援施設』の損傷次第だ」
「では交通局の知り合いに掛け合ってみます」
 金城は言う。
「ああ頼む。まあ後で県庁に行く用事があるけどな。──今重要なのは尾頭橋の負担を分散させることだ。笹島は鉄道と名古屋高速に囲まれた地帯で地の利があるから、管区とSATを使って対処する。これにも異存はないな?」
「つまり機動隊にも見せ場を作ろうと?」
「ああ。大阪府警の応援にはSATを混ぜてもらっている。愛知県警所属の隊と合わせれば、笹島だけならその火力で足りるはずだ」
 大阪府警はSATを二部隊持っている。だからこそ動かせるのであって、国家公安委員長の提言する離れ業とはレベルが違う。
「前線は、いつまで持たせれば?」
 金城が聞く。成瀬はすぐに答えを返す。
「警視庁(機動隊)が到着するまでだな。新東名経由で入るから時間はかかる」
 東名高速道路・中央自動車道はそれぞれ静岡県内や山梨県内で全車線が通行不能となっている区間があった。特に東名高速は由比付近で津波を被る危険性もある。ごく最近開通した新東名が活躍するのは必然的だったが、余震の影響もあり速度は抑えられてもいる(当然だが、一般車は通行止めなので渋滞はない)。
「政府の『緊急事態宣言』は自衛隊派遣まで警備局長が抑える。警察庁の指揮権限はそれが根拠だからな。さて、──」
 成瀬は咳払いをして、空気を切り替える。
「──本部移転の方だが、どの辺りがいいかな」
「愛知県図書館はどうでしょうか。大会議室もありますし」
 早速金城が提案したが、成瀬は首を横に振る。
「県警本部に近すぎるな。県の施設だってこともマイナス要因だ」
「では国際センターでは? 堀川の監視には最適かと」
「しかし、安直すぎる。──内野、どうだ?」
「そうですねー、ここなんてどうでしょうかー」
 内野は地図上である一点を指差す。そこは桜通久屋西交差点の北西、中区丸の内三丁目のとあるビル。

***

「ああ、了解した」
 名古屋市守山区・陸上自衛隊守山駐屯地。ここに置かれた東海統合運用本部の本部長・川越 昭光は受話器を置く。
「愛知県より施設大隊への『委託工事』が入った。春日井駐屯地に連絡を取れ」
「委託工事、ですか?」
 そばにいた部下が思わず聞く。
「ああ、『防御線の設営工事』だそうだ」
「……なるほど、そう使ってきますか」
「普通科も出る準備だけはしておけ。豊川の特科もこちらに移動させる。正式な出動命令もすぐ出るだろうしな」
「──根拠は?」
「カン、かな」

***

 名古屋市中区丸の内三丁目、桜通久屋西交差点の北西角に立地するとらのあな名古屋店。同人誌を中心にアニメ関連の書籍やメディアを扱うこの店の前に数台のワンボックスカーが停まっている。うち一台は外にコードが延びており、店内へと引き込まれていた。
「準備、完了しました」
 店内、七階フロア。営業時は休憩スペースとして解放されている空間であるが、ここには無線など警備に必要な資機材が多数運び込まれている。成瀬本部長(警備課長代理)が内野に提案され、また最終的に決定したのがここだった。内野の人脈で使用許可が取れ、無事本部の移転は成った訳、だが。
「にしても何よ、ここ……」
 免疫のない三浦は顔を歪ませている。このフロアにも少なからずアニメ関連のポスターは貼られており、コードを引っ張るために階段を上がる途中四階付近で「さらに過激なもの」を観てしまったので彼女には「不気味な店」として印象づけられていた。
「まあ逆に本庁から目も付けられにくいしいいじゃないか。ある程度の視界も確保できる」
 成瀬は言う。確かに、ここからは桜通の様子がある程度見える。ベターなチョイスとは言えた(ただしミッドランド・スクエアやテレビ塔など、市内の高層建築物にも見張りは配置している)。
「それはそうと、県知事と何を話していたんです?」
 金城が聞く。ここに来る途中、県庁本庁舎六階に設けられた災害対策本部に寄ったのだ。成瀬は永田知事とどこかへ行ってしまい、部下達はその会談の内容を知らない。
「ああ、ここなら大丈夫か。実は警備局長から『秘策』を与えられていてね」
「秘策、ですかー?」
「自衛隊を出動させる、秘策さ」
「──へ?」
「そんな方法、あるんですか?」
「それはー、不可能だったんじゃー」
 部下は三人とも驚く。
「いいか、自衛隊を出動させるには幾つか方法がある。まず現在進行形で行われている災害派遣。しかし現在の事態に対応させるためには火力が足りない。防衛出動は緊急を要する場合を除き総理大臣の命令がいるし、原則として事前に国会の承認が必要。となると今の政権下では難しいと考えられる」
「と、なると……」
「別の方法がある。今回使用するのは『治安出動』だ」
「治安出動……?」
 三浦は初耳らしく、首を傾げる。
「『一般警察力を超えた事態』に対し、総理の直接命令か『県知事の要請』で出動が可能だ。県知事要請なら県議会への報告だけで済むから、政権には影響が小さい」
「しかしー、武器は使えるのですかー?」
「警察官職務執行法を準用するから、対処に適切な武器が使用可能だ。SAT並みの火力は当然認められるし、それ以上の投入も充分に考えられる」
「成瀬警視はそれを県知事に?」
「ああ。今頃は公安委員会を集め形式上の助言を求める手はずを整えているだろうよ」
「それには県警本部長も呼ばれるのでは?」
「キャリア組の結束の高さは、お馴染みだろ?」
 納得したように金城は黙る。愛知県警の本部長は国家公務員第一種で採用されたいわゆるキャリア官僚であり、しかも出世の常道といえる警備公安警察のポストを歴任しているため人脈は充分にあった。
「こちらはこちらで、やれるだけのことはやる。──警備本部より笹島へ、状況は?」
 成瀬は無線のマイクに向かい、こう呼び掛ける。しばらく空いた後、応答があった。
『笹島より警備本部へ。部隊の準備は完了、これより配置に着きます』

***

 名古屋市中川区平池町。JR名古屋駅の南側、南へ下る東海道本線・中央本線・名鉄名古屋本線及び東海道新幹線と、西へ向かう関西本線・あおなみ線・近鉄名古屋線、更には東西に伸びる名古屋高速五号万場線の三つに囲まれた三角地帯が笹島南地区(ささしまライブ24地区)である。名古屋駅が現在の地に移転・高架化される前は関西本線が私鉄時代この辺りに駅を構えており(愛知駅)、旧名古屋駅もここのすぐ北側に有ったため、旅客と貨物の取り扱いを分離化するにあたり笹島貨物駅として、稲沢操車場とセットとなるように開発が進められた。その名残で、地区の南側には昭和初期に開削された中川運河の起点となる船溜まりが現在でも残されている。しかし名古屋貨物ターミナルが別の場所(現在のあおなみ線・荒子駅付近)に作られてからは貨物の集積機能が移管され、鉄道貨物輸送の衰退に伴い笹島駅自体も後に廃止される。廃止後は駐車場として使われていた時期はあるものの、有効活用はされず空き地として放置されていた。
 本格的に再開発が始まったのは二〇〇五年の愛・地球博でここがささしまサテライト会場として利用されてから。期間限定でオープンした遊園地は無くなったものの、現在は映画館やライブ施設、私立大学のキャンパス(一部は建設途中)、JICA中部国際センターなどが立地している。しかし開発途中で空き地も目立つエリア。それが、作戦の遂行には打ってつけの条件の一つだった。
 東(高架下をくぐる道路)より中部管区機動隊の半分が、西(アンダーパス)より残り半分が、南西(名古屋高速黄金出入口側)から愛知県警機動隊特殊急襲部隊(SAT)が笹島南地区に進出し、各々一旦部隊を集結させる。隊員が被るヘルメットには雨粒が幾つも当たり始めたが、気にする者は誰もいない。皆、集中力を極限まで高めていたからである。
「JRと供給元の中日本電力から許可とれました。関西線について通電可能です」
「よし、東海道線も要請しておけ」
「了解です」
 現地指揮本部はあおなみ線・ささしまライブ駅のコンコースに置かれていた。指揮権限は管区機動隊長に与えられ、警察庁の干渉を避けるため(実際には当の警察庁から要請され)とらのあなに移された警備本部の指示・調整を受けながら作戦遂行に当たる。作戦のポイントは三つ。一つ、電車線に通電し突破を妨害する。巨大ウナギはトロリー線に引っ掛かると調査結果から推測されているため、有効な手段とされた。これは金山より東でも準備が進められつつある。二つ、アンダーパス及び南側を重点的に警備する。東側の高架下には倉庫が設けられており、高架自体の高さを考えても防御壁の役割を果たすと考えられた。三つ、中川運河を北上させ、効率よく「この地区に上陸させる」。この三角地帯に追い込むことが出来れば、県警の能力で殲滅させることも可能と予想された。
「誘導班、編成完了です」
 管区機動隊第二中隊長・日永 昭嘉がやって来て言う。第二中隊はその、笹島南地区まで誘導する役割を与えられていた。津波を被っている場所はともかく、それ以外の場所での上陸は阻止作戦を行っている尾頭橋のみということが県警ヘリからの調査で判っており、その津波による浸水範囲は新幹線線路の盛り土が防波堤の役割を果たしたため西に片寄った形となっている。誘導班の仕事は牽制をしつつ上陸個体を運河水面に戻し、笹島南地区まで遡上させること。
「了解、計画遂行に移ってくれ。ただし南海地震も発生しより高い潮位が観測され得るため、情報にはくれぐれも注意するよう」
 巨大ウナギ撃退作戦の片方、笹島迎撃作戦は地の利を最大限に利用しつつ、動き出したのだった。

***

 名古屋市中区、名古屋高速六号清須線明道町出口。名古屋港方向へ進む市道江川線南行きに合流するよう作られているが、外堀通りとの交差点も近い。この出口レーンを、窓が金網で防護されているバスが通り抜けた。所属は、岐阜県警機動隊。隊員輸送車の一種である。
「それでは愛知本部の警備計画に基づき、最終防御線防護の準備に当たる!」
 岐阜県警機動隊は愛知県警の応援要請に応え、通常業務に支障の無い範囲で捻出した二十人規模の部隊を派遣していた。東海北陸自動車道から一宮ジャンクションと一宮インター・名古屋高速十六号一宮線を経由し、六号清須線へと達した最南端の出口がこことなる。隊員を乗せたバスは都心環状線高架下を緊急走行し、やがて灰色のビルの前で停まった。名古屋駅を守るように立つ巨大な盾にも見える、名古屋国際センタービル。泥江町(ひじえちょう)交差点の北東角に位置し、再開発の一環ととして建てられたここには外国人向けに情報提供などのサポートをする「名古屋国際センター」という名古屋市の外郭団体が入っている。また、幾つかの領事館も入居している。さらに難視聴対策のためテレビ名古屋が中継局を設置したりもしている、重要地点だ。その拠点性は直近の駅名に反映されていることにも象徴される。
「岐阜マル機より愛知本部へ、現着(現場到着)した」
 車に積まれた無線(部隊系)で伝えつつ、隊員達を下ろし隊列を組む。その南側の桜通り上では、陸上自衛隊春日井駐屯地所属・第十施設大隊が急ピッチで防御壁の構築に取り掛かっている。この付近には中央分離帯が設置されていないため下部こそコンクリートで固めているが、上部は針金を使った簡易構造。所々に食い違いを設け、対処部隊の出入りが可能になるよう工夫されていた。
 その防御壁は、堀川に架かる桜橋で途切れる。戦前に作られた橋ゆえ、後の作戦のこともあり荷重軽減措置が取られたのだ。非公式ではあるが、対処方針は自衛隊にもちゃんと伝えられている。自衛隊の迎撃計画は既に準備され、「委託工事」という形で進められつつあった。
 名古屋市南西部、海部郡蟹江町にも近い東名阪自動車道・名古屋西本線料金所には滋賀県警機動隊が先着していた。東側では名古屋第二環状自動車道(名二環)や名古屋高速五号万場線が接続しており、進出拠点としては最適の地である。ただし滋賀県警は緊急を要する場合を除き、大規模応援で指揮班を含む大阪府警機動隊の到着を待ってから行動することを申し合わせていた。滋賀県警についてはJR関西線・八田駅付近の警備が割り当てられており、メインの堀川・中川運河から離れていることも幸いしている。
 一方、東からの応援については警視庁から一個機動隊を地震対応とは別に取り付けるなど大きな戦力を確保していた。しかし東側はむしろ東海・東南海地震の被害を受けたエリアであり、東北管区や新潟県警など遠隔地が中心。神奈川や長野、関東管区などは静岡県警の支援に回っている。東側進出拠点は高速上が刈谷サービスエリア、前線基地として瑞穂公園(瑞穂運動場)が当てられているがどちらもまだ機動隊の到着はない。新東名によりルートは確保されているものの余震の影響で速度を制限しての進行であるため、やはり遠いのがリスク要因となった。
 北陸からは福井と富山の二県警が支援を表明しているが、元々の規模が小さい以上少人数の派遣となる。震災が重なったとはいうものの、約束だけなら六百人以上の応援を愛知県警は得ていた。ただし実際に到着しているのはごく少数。尾頭橋での巻き返しは、到底望めるものではない。だから、愛知県知事は決断した。名古屋市中区三の丸、愛知県庁本庁舎内記者会見室。作業服を身に付け静かに、彼は入って来る。

***

 名古屋市中区三の丸、愛知県庁本庁舎内・記者会見室。地元ブロック紙をはじめ、記者クラブ構成社を中心にマスコミが多数集まっている。テレビカメラも数十台規模。巨大ウナギ出現については既に各テレビ・ラジオ局が報じているものの、やはり県トップ自ら会見するとなると注目度は段違い。ネットで生中継を行うのか、簡易的なカメラをノートパソコンに接続している記者もいることからそれは判る。
 そこに、愛知県知事・永田 清史が前方右側から入ってくる。新聞社カメラマンによるフラッシュが焚かれ、記者達には緊張が走る。
「えー、それでは記者会見を始めさせていただきます。まず現在、地震の被害に遭われた人々を捜索・救助に当たられている方々に感謝の意を申し上げると共に、一人でも多くの生存者を救出出来るよう願うばかりでございます。また継続して大津波警報が沿岸地域に出されております。一度津波が引いても家には戻らず、警報解除を待っていただくよう重ねて申し上げます。さて、名古屋港周辺に出現している巨大生物について、ご報告がございます」
 いよいよ本題。県知事は一回、咳払いをする。知事もまた、緊張しているのだ。
「現在当該事案については県警の方が対応しており、機動隊を全隊出動させたのを始め、第二機動隊の招集、中部管区機動隊をはじめとする応援の要請なども合わせて行っております。しかし現在のところ尾頭橋付近でその先の進行を阻止するに留まり、それについても危うい状況が続いております。よって愛知県は公安委員とも協議し、自衛隊への出動要請を行うことになりました」
 会見はNHKが生中継しているため、記者達は速報を飛ばすよりその内容をしっかり把握することに集中する。背後に構えていた民放テレビ局関係者は慌ただしく動き出し、必要とあれば生中継が出来るよう動き始める。
「先ほど自衛隊法の規定に基づき、内閣総理大臣に治安出動の要請をいたしました。この形態の出動については前例がありませんが、この事態は『一般警察力を超える事態』であり、出動要件を満たしていると県は考えております。また現在派遣している機動隊についてはそのまま出動させるとともに、地の利を得られる笹島南地区にて特殊部隊を中心とした迎撃作戦を準備中です。名古屋市から発表されている避難地域におられる方、特に堀川・中川運河沿いのエリアでは早期の退避をお願いします。──それでは質問があれば記者クラブ幹事の方から」
「ではまず愛東新聞より、知事は自衛隊に対し出動要請をされたということですが、具体的な返答は何かあったのでしょうか」
 最前列、眼鏡を掛けた女性記者が聞く。
「あくまで要請を行った段階であり、総理大臣による出動命令があればそれが返答になると認識しております」
「では別の方。──えー、ではフリーの方で手を挙げている記者さん、どうぞ」
 女性記者が指名し、対照的な姿をした男性記者がノートパソコンの画面をチェックしながら質問をする。
「ニコニコ生放送です。自衛隊出動に当たって、どこまでの武器を許可するのかと視聴者から質問が来ております」
「治安出動については警察官職務執行法を準用するので、必要に応じ柔軟に対応する方針です。軍事に詳しくないので具体的には言えませんが、一般的に考えてSATが使用するレベルの武器はまず使われるとみて間違いはありません」
「では、NHKさん」
「NHK名古屋です。今回──」
 対応するように、東京でも動きがある。千代田区永田町・総理大臣官邸記者会見場。こちらには総理大臣・浜岡 武郎が立った。
「愛知県からの要請に基づき、自衛隊に対し治安出動の命令を防衛大臣を通じ発令する。先程県からの要請を受け取った後直ちに臨時閣議を開き、国家公安委員長を除く全員から賛同を得た。国家公安委員長に対しては説得を試みたが拒否したため、罷免した上で全会一致の同意を得られた。なお代理として環境大臣・丸谷 優君を充てる。──」
 無論、この迅速さは事前の工作活動があってのものだ。主導したのは警察庁警備局長。総理大臣とは警察庁長官が交渉し、国家公安委員長以外の閣僚に対しては公安所属のエリートが接触し説明を行っている。何も知らされていないのは国家公安委員長のみだった。
 こうして、自衛隊出動の関門が開かれ、各隊は正式に出動準備を始める。

***

 名古屋市守山区・陸上自衛隊守山駐屯地。名鉄瀬戸線・守山自衛隊前駅の北側に位置し第十師団司令部が配置されている重要拠点であるが、現在はそれをベースに編成した東海統合運用本部が臨時に置かれている。治安出動に対応する作戦「巨大生物体撃退事案」の指揮を執ることになり、生物学に詳しい地元の大学教授などが集められていた。
「内閣総理大臣より正式に出動命令が出た! 各隊に連絡、準備を本格化させるよう」
 出動は守山駐屯地所属の第三十五普通科連隊を中心に、豊川の第十特科連隊の一部などを組み入れた編成が直接の対処班となる。全体の状況把握は春日井駐屯地の第十偵察隊や明野の第十飛行隊を含む各飛行隊が県警と協力しながら担当し、各隊との交信をスムーズに行えるよう回線の運用に当たるのが第十通信大隊。化学防護隊は既に御前崎原発の手前に当たる航空自衛隊浜松基地まで前進しているため、守山駐屯地所属の戦闘要員は概ね出動していることになった。その他防衛大臣直轄の中央即応集団が海上自衛隊横須賀地方総監部・第四管区保安本部(海上保安庁)などと協力しながら海からの制圧を担当する第二段階も用意されている。
 肝心の使用武器については暫定措置としてまず八十九式五・五六ミリ小銃、六十四式七・六二ミリ小銃、六十二式七・六二ミリ機関銃、五・五六ミリ機関銃(MINIMI)が手持ち武器としての市街地使用が許可された(けん銃も所持)。これらは警察が使用するレベルとみなされた為である。また各種装甲車が守山駐屯地から出動する予定なのをはじめ、豊川駐屯地からは九十九式自走百五十五ミリ榴弾砲などの大型武器も持ち出される。迫撃砲など守山の所管に有るものを含め、これらは許可が下りた手持ち武器での対処が不可能だった場合に備える為。そちらの使用は改めて許可が出てからだったが、それでも前線にとっては心強い。
 既に出動している春日井駐屯地第十施設大隊は自衛隊としての支援施設構築に移行する。堀川・桜橋の南側では水面に向け杭打ちが始まり、最終防御線としての役割を強化する準備の段階。また一部の隊がより南側の錦通りへと移動し、こちらでも施設構築に取り掛かり始めた。
 それでもなお、愛知県警は粘らなければならない。
「うてーっ!」
「潮田班、左から回り込みます!」
「大久保班、三上班のバックアップへ回れ!」
「藤田より中隊長へ、当班対処の個体は撤退する模様!」
 桜橋の下流に当たる尾頭橋では一部個体が上陸し、機動隊と交戦する状況が続いていた。自衛隊が所定位置に到着するまでの間は、引き続き警察の方で抑えなければならない。その限界は着々と迫っており、想定外のルート、 例えば新堀川や庄内川の方から攻め寄せればそれだけで全てが破綻する、綱渡りの状況下にあった。何故そちらに行かないのかは謎だったが、その究明は事件解決後に着手すべき問題である。
『本部より一中隊長、総理より自衛隊出動命令が出た。もう少しだけ粘れるか』
「一中隊長より本部へ。可能だが限界に近い。追加投入をお願いしたい」
『了解、予備確保分を向かわせる』
 しかし憲法判断が分かれる自衛隊を運用するからこそ、壁はある。自衛隊廃止論者の(元)国家公安委員長による事前情報と時間稼ぎ、さらにネットでの呼び掛けが加わり、それは既に作られつつあった。国道十九号・天神橋など、名古屋市街地と守山駐屯地を隔てる矢田川に架かる橋に彼らは集まる。自動車を横に停車させ、一切の通行を遮断しようとする者さえいた。それは救急車など緊急自動車の通行をも遮断し(因みに、自衛隊車両もそれに分類される)、一般市民に対しては迷惑極まりないものではあったが、多少であれ自衛隊出動を遅らせる要因であることは確かである。無論、自衛隊側は情報を掴んでいて、対処策も練っていた。

***

「なるほど、市民団体が橋を封鎖していると」
 その情報は、偵察隊を通じて東海統合運用本部に伝えられていた。
「説得、は難しいでしょうね」
「自衛隊車両は緊急車両でもあるから、警察に頼めば──」
「いや、今は警察も第二機動隊を出してるから、守山署にそんな余裕があるとは考えにくい」
「しかし矢田川を渡らなくちゃどうにもなりませんよ」
 ベースとなっている第十師団司令部の幹部達は積極的に意見を交わし始め、オブザーバー参加の大学教授達は話に置いてきぼり。ただ一人を除いて。
「ガイドウェイバスを使うなんて、どうでしょう?」
 名古屋理科大学教授、睦月 新次教授である。専攻は深海生物学だが、趣味の範囲で交通にも詳しい。
「確かに隊員の移動は可能だ。しかし、大曽根から現場まではそれでもあるぞ」
 幹部達が反応してくれたのが嬉しかったのか、続けざまに
「なら、名二環なら車両も大丈夫です」
 さらなるアイディアを口に。大学教授としては若手ということもあり、他の教授達の、専攻分野以外には関知せずといった態度とは一線を画した興奮の様である。
「だとすると送り込める──いや、NEXCOに一度当たる必要があるし、向こうに対しての見せ駒も必要だな。もちろんその隊も出来れば使いたいが」
「ならいっそのこと、橋を架けちゃえば?」
 睦月の方は、もうタメ口になっている。
「そうか。それならいけるな」
 反応したのは現場での指揮権を与えられている川越 昭光。自衛隊全隊出動という大博打であやうく大目玉を喰らいそうだったが、政治の混乱で危うく逃れていた。
「春日井から自走架橋装置を持ち出すか。施設大隊は可能条件を提示、偵察隊はその条件に合致した場所を調査するよう命令を出せ」
「ええ、了解です」
「あと名鉄瀬戸線やJR中央本線が使えるかも確認してくれ。最悪、隊員だけでも運びたい」
「それは、県庁を通じて」

***

「自衛隊の出動は反対運動の影響で遅れる可能性があると、県庁から連絡が」
 とらのあな名古屋店七階を借りて設営された県警巨大生物対策本部。情報を伝えたのは三浦で、判断は成瀬本部長に委ねられている。
「なるほど、となると自衛隊の配置が完了する前に尾頭橋の突破も──」
「ありえる、と思われます」
「今突破されると対処可能なのは岐阜の応援だけですよ? キツくはないですか?」
 金城の言うことはもっともで、第二機動隊は錬成不足であるがゆえ現在は金山駅から東の区間に展開しており、予備隊として残してあった分は尾頭橋対応に回してしまっている。
「県庁に連絡、外堀通り、久屋大通り、名鉄線、近鉄線のいずれかより海側の地域に対しての避難指示を要請するよう」
「──キャパが足りません!」
 人口が度を越えた規模であるが為、名古屋市は充分量の避難施設を抱えていないことは水害の際に明らかとなっている。いざとなったらもう一段階上・強制力を持つ避難命令に切り替えることも念頭に入れれば、収容容量も考えなくてはいけない。
「ならその他の地域は勧告でも構わないから、せめて堀川と中川運河の周辺は押さえておけ。不測の事態に備え、新堀川も出来れば」
「了解、しました」
「二次避難が可能なように対策を練っておくことも伝えておいてくれ。国民保護計画を準用したりすれば何とかなるはずだ」
 部下に指示を出した後、成瀬は熟考に入る。脳内では、何パターンにもわたるシミュレーション。どの段階で自衛隊が到着するか、今降っている雨がどう変化するか、その他変化しうる様々な要素を検討材料に入れる。それを冷静に出来るのが、成瀬の強みだった。
「県庁を通じて自衛隊より、これより出動を開始すると」
「……解った。とりあえず状況を見守ろう」
 成瀬は、静かに目を閉じた。

***

「自衛隊の出動は反対運動の影響で遅れる可能性があると、県庁から連絡が」
 とらのあな名古屋店七階を借りて設営された県警巨大生物対策本部。情報を伝えたのは三浦で、判断は成瀬本部長に委ねられている。
「なるほど、となると自衛隊の配置が完了する前に尾頭橋の突破も──」
「ありえる、と思われます」
「今突破されると対処可能なのは岐阜の応援だけですよ? キツくはないですか?」
 金城の言うことはもっともで、第二機動隊は錬成不足であるがゆえ現在は金山駅から東の区間に展開しており、予備隊として残してあった分は尾頭橋対応に回してしまっている。
「県庁に連絡、外堀通り、久屋大通り、名鉄線、近鉄線のいずれかより海側の地域に対しての避難指示を要請するよう」
「──キャパが足りません!」
 人口が度を越えた規模であるが為、名古屋市は充分量の避難施設を抱えていないことは水害の際に明らかとなっている。いざとなったらもう一段階上・強制力を持つ避難命令に切り替えることも念頭に入れれば、収容容量も考えなくてはいけない。
「ならその他の地域は勧告でも構わないから、せめて堀川と中川運河の周辺は押さえておけ。不測の事態に備え、新堀川も出来れば」
「了解、しました」
「二次避難が可能なように対策を練っておくことも伝えておいてくれ。国民保護計画を準用したりすれば何とかなるはずだ」
 部下に指示を出した後、成瀬は熟考に入る。脳内では、何パターンにもわたるシミュレーション。どの段階で自衛隊が到着するか、今降っている雨がどう変化するか、その他変化しうる様々な要素を検討材料に入れる。それを冷静に出来るのが、成瀬の強みだった。
「県庁を通じて自衛隊より、これより出動を開始すると」
「……解った。とりあえず状況を見守ろう」
 成瀬は、静かに目を閉じた。

***

「春日井から連絡です。架橋部隊が出発、中央線高架下付近を目指すと」
「了解。天神橋と矢田川橋の間だな」
 守山駐屯地・東海統合運用本部。本部長・川越 昭光は地図で確認しながら応答する。偵察隊による調査の結果、架橋は堤防道路がJR中央本線の下をくぐるため河川敷へ下りる部分があることを利用し、自走式架橋装置ではなく浮きを利用した応急橋によって行うこととなった。矢田川は水深が浅く実際には高機動車なら橋なしでも横断は可能と見られていたが、万が一の際を考えての措置である。また装備が大掛かりにならずに済むため市民団体の目を誤魔化せるというのも狙いだった。合法的に道を空けることの出来る警察が動けない今、なりふり構ってはいられない。
(頼む、何とかもってくれよ……)
 川越は警察の機動隊に対して、心の中で祈っていた。

***

『一中(第一中隊)から本部! マルタイは増加中、怪我人多数、もう抑えきれない!』
「本部より一中、もう少しだけ持たせてくれ! ──第二隊長!」
 愛知県警巨大生物対策本部。本部長卓となっている大机は地図で埋まり、室内は無線の音声で騒がしくなっている。
『はい、こちら第二機動隊長』
「金山駅を管轄に移譲可能か、どうぞ」
『可能ですが、どうぞ』
「二中の残りを尾頭橋投入する。穴を埋めてくれ」
『了解です』
「本部より第二中隊長」
『傍受了解。補完され次第向かう』
「了解。本部より第一中隊長」
『傍受了解』
「以上交信終了」
 成瀬は椅子の背にもたれ掛かる。おそらく、間に合わない。

***

 名古屋駅南、ささしまライブ24地区。こちらには大阪府警の応援部隊のうち、指揮系統とSAT(特殊急襲部隊)が駆け付けていた。指揮系統の応援は府警警備部警備第一課長補佐の藤村 智警視率いる十名で、この地区だけではなく名駅以西の部隊(といっても応援だけだが)の指示も行う。笹島南地区での指揮権限も中部管区機動隊長から彼に移され、指揮系統全体の二元化が図られた。
「マルタイの状況は」
 現地本部が置かれているささしまライブ駅に入るなり、藤村は訊く。
「中川運河周辺の個体はこちらへ誘導しています。間もなく先頭が到着するかと」
「他方は?」
「かなり厳しい状況です。突破されるのも時間の問題、自衛隊到着とどちらが早いか……」
 答えるのは中部管区機動隊長。藤村は移動中も絶えず情報を集めていたため、最低限の確認で終える。
「解った。ではまず無線について、向こうと区別するためこちらは『大阪指揮』のコールサインを使うことを各隊に伝達。そのうえで、まず防衛線に──」
 藤村の立てた作戦のうち、新たに決まったのは主にSAT関連のことである。まず防衛線となった鉄道線路の要所要所にSAT隊員を配置する。これは狙撃要員であり、あおなみ線はささしまライブ駅、東海道線はJR名古屋駅ホームからの進入経路をとるため担当は大阪SATとなった。愛知SATは地上に下り、大学キャンパス等の建物を活用しながらサブマシンガンで巨大ウナギの急所を狙い怯ませる。一方機動隊員はジュラルミン製なり透明プラスチック製なりの盾で、集団になって押し返す。
「──なお行動は分隊単位とするが、退くときは潔く退くよう。退却路は『ラ・パーモささしま』付近とアンダーパスの二ヶ所とする。以上を申し渡せ」
 配下九名が分担してそれぞれ異なる無線系にこれを発信する。そして
『誘導一より大阪指揮へ、先頭は合流点を通過。催涙弾投入で北へと向かわせました』
「よし、ではそこに留まり誘導を続けろ」
 実はこの「合流点」こそが誘導段階でのヤマだった。一方は笹島南地区の船溜まりに着くのに対し、もう一方はほぼ真東に折れ堀川へと向かう。堀川との接点には水位差を調整する閘門が設けられていたが、現在は使用されなくなり、埋め立てられている。つまり、上陸を許すことになるのだ。しかもそこは尾頭橋の上流側。自衛隊はまだ、到着していない。
『偵察班より大阪指揮、運河面に目標視認』
 続いて名古屋高速五号万場線の高架上に派遣されていた、大阪府警所属の別動隊から無線連絡。高速高架は高さがありすぎるためここからの狙撃は難しいが、状況を確認するには打ってつけである。
「了解」
『以上交信終了』
 藤村は無線マイクから口を離す。そしてただ、全隊員の無事を祈る。

***

「放水、始め!」
 四駆の指揮車(機動隊カラー)のルーフに取り付けられた指揮台、そこに乗る小隊長の合図で放水銃から勢いよく噴き出された水は、上陸しかけていた巨大ウナギの体に当たる。機動隊が暴徒鎮圧のため持っている装置で、水槽車を兼ねた特殊車両にそれは取り付けられている。その吐き出し能力は並々ではなく、原子力発電所における炉心溶融・建屋爆発事故で核燃料プールへの冷却水の補給手段として使われた程である(ただし失敗したという報道が先行したため、成功していたという成果はあまり知られていない)。その威力では当然ダメージを受けるし、「向こうも気付く」。
「撤収!」
 再び小隊長の合図。放水車はアイドリング状態で停まっていたためすぐに動き出す。小隊長もその場で屈み、指揮車は急発進した。雨は激しくなってきているが、アスファルトが敷かれた部分を走ったためぬかるみにはまる心配はない。
 そしてここからは、体力戦。分隊単位で固まった一般隊員が、端は手前に・真ん中は奥になるよう配置されている。いわゆるそれは鶴翼の陣。戦国の世から有利とされる陣形で、敵を奥まで誘き寄せる作戦である。
「そうだ、まだ出るんじゃないぞ……」
 先程とは別の小隊長が、近隣の隊員を手で制しながら呟く。船溜まり付近での交戦は他の個体の上陸を阻害してしまうため避けることとされている。上陸出来なかった個体が別の場所に上陸する恐れがあるからだった。機動隊はじりじりと後退していく。
 先頭のそれがJICA中部の入り口辺りに差し掛かった頃、
『攻撃開始!』
 愛知SATによる銃撃を合図に、戦いは始まった。

***

「なるほど、了解した。──部隊移動、西に向かう!」
 宮前橋上で膠着状態にあった自衛隊と市民団体のにらみ合い、先に動いたのは自衛隊の方だった。無線でとある報告を聞いた指揮官は部下に命令し、車輌を後退させ始める。
「……何?」
 阻止側の市民団体「平和憲法を堅持する会」代表もその動きには不審感を抱かざるを得ない。単なる撤退なら目的を達成したことになるのだが、そんなに簡単にいくとは彼でさえ思っていない。アピールが出来ればそれで十分、無理矢理にでも突破してくるだろうというのが大方の予想であった。
「我々市民の行動に感服して、退くというのか!」
 強がって言ったはいいものの、心中は疑問で渦巻いている。動揺も少し、声に表れていた。
「いえ、文民統制の観点からいって不可能です。ただ強引に突破するのは印象が悪いので──」
「退かない、と?」
 代表が割り込み、指揮官の台詞は中断する。一呼吸置いて、
「橋がなければ、架ければいいんですよ」
「……!?」
 代表はそれを聞き、唖然。そして衝撃は、他の運動家達にも波及する。自衛隊が退き始め、その姿が消えた後も、誰もその姿を追わない。

***

「よし、上手く撒けたな」
「しかしまだ到着したばかりですよ? 準備はまだ出来ていません」
 一方先頭を走る高機動車内では、指揮官として交渉役を務めた自衛官がほっと一息をついていた。実際は架橋部隊が架橋を行う場所に着いたという報告だけで動いており、それが向こうに知られたらもっと過酷な状況に陥っていた。
「矢田川橋の集結状況は?」
「偵察からの報告では、橋げたの上のみだと」
「なら連絡がいく前に堤防道路へ入る」
「了解です」
 一旦守山交差点まで戻った部隊は瀬戸街道を進むと矢田川橋北側から堤防道路へ入り、左岸堤防道路を通ってJR中央線アンダーパス部に到着した。架橋部隊の尽力で既に仮設橋(橋台を浮島にした簡素的なもの)は架かっており、ノンストップかつ慎重にその橋を渡っていく。
 橋を渡るとさらに西へ。国道十九号・天神橋南詰から南方向に入る。大曽根付近で右に曲がった後何車線もあるコンクリート舗装の道路を走り抜け、赤塚交差点から出来町通西方向へ。名古屋城外堀を跨ぐ清水橋を渡り、名古屋市役所の前を通り抜け、愛知県警本部を横目に見つつ、三叉路である三の丸一丁目信号を左に曲がる。ロ状に歩道橋が架かる日銀前交差点で施設科が急ピッチで作り上げた防御壁の切り欠き部分に突き当たり、そこを通りつつ桜橋とその南側の伝馬橋の間の堀川上に設置された、自衛隊作戦拠点へ。
 そこには警察側の連絡員が立っており、着くなり指揮官に言う。
「尾頭橋、突破されました!」
 それを聞き指揮官は青ざめる。そしてすぐに
「総員戦闘配置! パターン三、川面を注視しながら前進、可能なら錦橋まで動く!」
 新たな指令。作戦は状況を違えた複数が用意されており、パターン三で想定されたのは中程度の深刻度。最良は尾頭橋で充分な準備をした上での対処・最悪は上飯田付近での市街地戦だったのだから。
 その様子を中継していたAMB(愛知無線放送)は、こう伝える。
『たった今丸の内に到着した車輛、そこから迷彩服を着て小銃を持った隊員達が慌ただしく降りていきました。自衛隊に反対する市民団体が進行を妨げているという情報が入っているなかでも無事到着し、初の治安出動となったこの事案、果たして解決することは出来るのでしょうか』
 それはAMB本社まで無線で、そこから東京キー局までは回線によって転送され、全国の系列局から家庭のテレビまで届けられる。この現場から中継したのは唯一、ここだけであった。

***

「とにかく時間を稼げ! 自衛隊の準備が整うまでは!」
 尾頭橋の現場は過酷な状況となっていた。少しずつ巨大ウナギの集結している数が増えているため、一部個体は緊急避難的な対応としてわざと上陸させ、動きを遅くしつつ水面の容量を確保しなければ対応不可能。さらに、雨である。雨は機動隊員達の体力を奪い、巨大ウナギの方は活動をさらに激しくさせてしまう。となるとほぼ人力のみで対処する機動隊にとって荷が重すぎるのは明らかで、段々と負傷者数が増え始めていた。自衛隊衛生科がアスナル金山で展開していた野戦病院の一部設備をこちらへ動かしたことも、その象徴である。
『──一匹取り逃しました!』
 そんな無線連絡が第一中隊長に届けられた時、すでに機動隊員の負傷者数は二十人を超えていた。隊員のほとんどが何らかの怪我をしている状況ですらあった。そんな時に取り逃がした個体を後追いするような余裕はない。迷うことなく、中隊長は部隊運用系から県内系の警察無線に持ち替える。
「一中より名古屋指揮へ。一部個体が尾頭橋突破、自衛隊に伝達願う」
 笹島の指揮本部立ち上げにより、とらのあなに置かれた巨大生物対策本部のコールサインは明確に区別するため『名古屋指揮』となっている。デジタル無線の特徴の一つとなるブロック分けにより愛知県警の県内系は「巨大生物・名古屋指揮系」「巨大生物・大阪指揮系」「災害対策・一般系」の三つに再編成されており混線することは少ないが、念のための措置である。
『名古屋指揮了解』
「なお負傷者多数につき引き続き人員の増強を要請する。以上交信終了」
 部隊運用系無線で交信される現場の生の声は、周波数自体が異なるため直接指揮サイドには伝わらない。しかし愛知県警機動隊第一中隊長・秋山 勝巳警部補は成瀬対策本部長(および警備課長代理)の判断を信じていた。

***

「──自衛隊は?」
「間もなく桜橋に到着するそうです」
「なら案件を自衛隊拠点にいる連絡員から伝達させろ」
「了解」
「あと岐阜に指示、自衛隊の接触まで上陸しないよう監視」
「それは既に指示しています」
 久屋大通駅北側、とらのあな名古屋店七階に置かれた巨大生物対策本部。中隊長の期待通り、成瀬及びその部下は次の手を打っていた。自衛隊に先行して巨大ウナギに接近、自衛隊にぶつかるまでの上陸をしないか監視を強化することである。その準備は当初から行っており、尾頭橋突破はそれが岐阜県機動隊に指示された矢先のことだった。
「なお天候悪化につき更なる警戒を全隊に重ねて徹底するよう。笹島にも念のため伝達」
 名古屋地方気象台発表による予報では、雨はさらに激しくなる可能性があった。それはつまり機動隊潰滅の危険をも秘める。警察にとってそれは何がなんでも避けなければならない。
「新たに到着した応援はあるか?」
「警視庁がー、到着したそうですー」
「すぐに向かわせろ」
 成瀬は手元の書類に目を落とす。先ほど届けられた手書きの「笹島南地区・巨大生物群駆除実行計画書」であり、警察の面子を保つための作戦である。この作戦が成功したとしても直接指揮を執らない彼にとっては何の功績にもならないが、それでも成瀬はその成功を祈っていた。

***

「尾頭橋、突破されたようです」
「そうか。──まあ、仕方がない」
 名古屋駅南、ささしまライブ24地区。鶴翼の陣形を保ったまま後退を続けていた部隊の真ん中最後尾が大学キャンパスの建物にぶつかった。指揮を執る大阪府警の警備一課長補佐は、ささしまライブ駅コンコースから、現場に指示を出す。
「愛知SAT、攻撃開始!」
 大学キャンパス二階に陣取った愛知県警機動隊所属・特殊急襲部隊によるサブマシンガンの発砲が攻撃開始の合図となった。

***

『愛知SAT、攻撃開始!』
 現地指揮本部からの無線指示を受け、私立大学キャンパスの二階の窓から銃口を出していた愛知県警機動隊所属の特殊急襲部隊の隊員達が一斉に引き金を引く。マスコミがヘリ取材をする可能性があるので、ヘルメットをはじめとしてほぼ全身を覆ったフル装備である。出ているのは唯一両目のみ。狙うのはもちろん巨大ウナギの本体。日頃から訓練を重ねているため、重装備でも作戦に支障はない。銃身が小刻みに揺れ、前に銃弾が、横に薬莢が次々と排出される。そしてその動きはまた、一斉に止まる。
「状況確認!」
 狙撃を監督しているSAT小隊長が声を荒らげて言う。確認役の隊員が双眼鏡を片手に
「全弾命中の模様。目標に対する効果は不明」
とだけ返す。
「全隊撤収、地上(部隊)の支援に向かう」
 小隊長は冷静に、次の行動を指示した。ここで撤収を始めたのは、敵味方入り交じった状態での狙撃は困難を伴うからである。戦力の有効活用をするには、直接討って出た方が都合がよい。
「愛知SATワンより大阪指揮へ。撤収する」
『大阪指揮了解』
 現場には大量の薬莢が残され、破られた窓ガラスの破片と共に床面を覆う。しかし隊員達は音をほとんど立てず、一階に下りていく。そういう訓練を専門にしているからであった。

***

「愛知SATワン、アンダーパスへいって支援せよ」
 名古屋臨海高速鉄道あおなみ線・ささしまライブ駅コンコース。ここに置かれた笹島現地指揮本部(大阪指揮)では地区内の作戦要員からもたらされた情報をもとに、地図上に敵味方の位置を示したマーカーが置かれた机が設置されている。それによるとアンダーパス内に設けられた交差点に巨大ウナギ個体が三つ集中しており、射殺を前提とした対処が求められていた。
『愛知SATワン、了解』
 現在アンダーパスを守る中部管区機動隊もある程度の火力は有するが、あくまでもそれは抑止力程度に過ぎない。国家予算が充分に配分されたSATとは段違いである。
「名古屋指揮より、警視庁が到着するので応援は必要かと確認が」
 現地指揮本部に詰める大阪府警所属の連絡員が本部長を務める藤村警備第一課長補佐に伝える。
「SATが含まれるか判るか?」
「含まれないそうです」
「なら……南側から固める方向で、半分くらいを要請しておけ」
「承知しました」
 一方、地下アンダーパス内交差点。コンクリート梁が上空を渡る狭い空間の中で紺色に身を固めた機動隊員達が、土嚢を積みその上に透明プラスチック製の大盾を立てていた。そこに巨大な黒いホース──ウナギが迫る。
「田沼分隊、東側へ!」
「南も攻めてきます!」
「遠藤分隊押さえろ!」
 中部管区機動隊第一中隊が配置されていたこの場所だが、巨大ウナギが攻め寄せてくる勢いを何とか止めるだけで精一杯である。一時的に押し返すことが出来ても重傷者を発生させないようそのタイミングで交代を図るため、結果として元の状態へと戻ってしまうのだ。
『大阪指揮より中部管区一へ。SATをそちらに向かわせた』
「平塚分隊、南側で入れ変わる準備!」
 その場を預かる第一中隊長は、その無線を聞き流してしまう。それぐらい過酷な現場であった。
 そこに真上から銃撃が加えられる。さらにロープがコンクリート梁から下がり、真っ黒に全身を覆った隊員達がそれを伝って降りてくる。ロープは道路面には着かず、大体高さ一・五メートル辺りで留まっていた。SAT隊員はロープを足に絡ませ、座るようにしながら体を安定させる。そしてサブマシンガンMP5を対象に向け発砲。反動でロープは振り子のように振れるが、銃弾が大きく外れることはない。薬莢は路面へと音を立てて落ちていく。
 全隊員が撃ち終わったとき、再び動く巨大黒色物体はなかった。

***

『愛知SATワンより大阪指揮、指示地点のマルタイのうち最前列を撃破』
『大阪指揮了解。引き続きミッションを実行せよ』
 愛知県警機動隊特殊急襲部隊の別動隊(愛知SATツー)にとってそれは励みにもなるし、ライバル心を燃やすきっかけでもあった。
「部隊移動。JICA前のマルタイを狙う」
 それは小さな声での指令だったが高感度マイクで無線機に伝えられ、隊員達の耳へ。秘匿作戦を実施するための連絡手段として装備に加えられている。
 JICA中部が置かれた建物はささしまライブ24地区でも北の方に位置する。その南方には民間ビルの建設計画があるものの、工事はまだ着手して間も無く巨大ウナギの進行を妨げる壁とはなっていない。しかも一部個体がそこで留まっているため、大阪府警のSATが狙撃するには距離が遠すぎた。
「愛知SATツーより大阪指揮へ。これよりJICA前の掃討にかかる。マルタイのデータを提示願いたい」
 これは銃弾の補給が出来ないことが予想されたため、最低限の弾数で自体を遂行することになっていたからである。「愛知SATワン」は弾薬輸送車を随行させているため、全身をまんべんなく撃つことで動きを止めさせていた。
『……大阪指揮より愛知SATツー、名古屋指揮に問い合わせるのでしばし待て』
 何だと、と指揮との通信を担当していた隊員は思う。SATの行動には即断が求められる。情報を持っていないのなら持っていないでそう言ってくれた方が都合がよい。
「愛知SATツーより大阪指揮、なら構わない!」
 部隊はJICA前に移動する。中部管区機動隊の一部が北側から押し返している状況のため、手間がかかるがSATもそちらに回り込まざるを得ない。
「各隊員へ、前線個体から制圧する。弾薬使用許容数は──」
『大阪指揮より愛知SATツーへ。名古屋指揮より弾薬輸送の申し入れを受けたので向かわせる。なお名古屋指揮も詳細な生態は調査中、尾頭橋でごく少数の検体が提供可能なため自衛隊と共同で専門家を派遣していると』
「了解。──各員傍受したな。弾薬使用は極力抑制、しかし躊躇わず撃て」
 矛盾したように聞こえる命令だが、そうではない。
 部隊は映画館などの複合施設「ラ・バーモささしま」やライブ施設「Zeep Nagoya」の横を通りJICA敷地内へ。そこから機動隊の後方に回る。
「愛知SATツーより大阪指揮へ。現場部隊の指示を頼む」
『了解。──大阪指揮より中部管機三へ。SAT現着、前線に入れろ』
 すぐに中央部付近が空けられる。SATはそこへ、突入した。

***

「藤田課長補佐、何とかなりそうですね」
「今はそんなこと言うな」
 ささしまライブ駅コンコース、現地指揮本部(大阪指揮)。相変わらず忙しない状況であるが、一時期と比べれば落ち着いてはいた。しかし指揮本部長を務める藤田はまだ気を緩めない。
「弾薬の状況は」
 予想はつくものの、それでも藤田は聞く。
「かなり消費しているそうです。場合によっては足りなくなるかもと」
 楽観視した部下とは違う部下が答える。彼からしたら、決して「何とかなる」状況ではないのだ。
「補給は?」
「一応、名古屋指揮から県内の製造メーカーに緊急要請はしたそうですが、今回の事案には間に合いそうもありません」
 日本で数少ない銃弾の製造工場が名古屋市の東に立地している。しかし強化地域外の工場であっても操業を自粛していたため、再立ち上げには時間がかかっていた。しかし事後の弾数不足を早期に解消するにはよい判断だと藤田は思っている。藤田は成瀬のその辺りを評価する。
「そりゃそうだ。──一応、自衛隊に連絡しておけ」
「しかし、自衛隊も使うんじゃ」
「予備弾倉は自衛隊の方が豊富だ。警察内で集めるより手っ取り早い。警察も八九(式小銃)はあるだろ?」
「大阪は持ってたはずですが」
『愛知SATワンより大阪指揮。補給完了、作戦を再開します』
 無線が入り、藤田は無線卓に戻る。
「大阪指揮了解。ちなみに何処を狙えばいいか判ったか?」
『愛知SATワンより大阪指揮。撃破を最優先に行ったので不明です』
「なら今の状態だと壁が出来ているはずだから、色々と試して見つけてくれ」
『了解しました』
「以上交信終了」
 再び、銃声が遠くから聞こえ始めた。

***

 名古屋市中区と中村区の境界(西区も近いが)を流れる堀川。名古屋駅から東に延びる桜通の橋・桜橋や伝馬橋を南に行き、地下鉄東山線が地下を通る錦橋付近に部隊が差し掛かった所で、陸上自衛隊第三十五普通科連隊の先遣部隊は巨大ウナギの姿を水面上に確認した。
「対象視認。発砲許可を司令部に求めよ」
 指揮官が通信担当に命令する。敵側に決定的な攻撃手段がないと観察の結果推測されたため、銃などを使用する際は師団司令部(今回の場合は実質統合運用本部だが)の許可を原則得てからの実行とされた。もちろん実際に支障のある対抗手段を持ち合わせていないかの調査も進められており、尾頭橋での機動隊との交戦で死亡した個体に対し研究者による解剖調査が行われつつある。
「司令部に確認、許可出ました」
「よし。──構え!」
 両岸に分かれて南下していた部隊が公道から水面近くへ下りる。そして持っていた八九式小銃を水面へ向け、照準を合わせる。
「撃て!」
 指揮官は同時に右手を上げる。そして銃数丁の小銃が、火を噴いた。
 直後、水が盛り上がる。出現したのは黒く、細長い、巨大な生命体。それは苦しむように暴れ出し、突然水面に突っ伏した。
「次弾装填!」
 しかし指揮官はその成果の喜びを表に出すことなく、次に備える。まだまだ先は長いと覚悟していたからである。
「次の個体、確認しました! 現在橋の下付近」
 双眼鏡を持っていた隊員が次の目標を報告する。
「構え! 目標は現在錦橋付近を航行中!」
 全員の照準が合ったのを確認し、指揮官は再び号令。
「撃て!」

***

「先遣部隊が対処を始めました」
 桜橋の南の水面上に阻止機能を兼ねて構築された前線拠点には、第三十五普通科連隊長などの幹部も駐在している。雨は激しくなっているが皆そのまま雨に打たれ、それを気にする素振りもない。
「こちらも作戦を開始する。総員準備!」
 こちらでは先遣部隊が処理しきれなかった個体を最終的に掃討することになっていた。使用する機材は先遣部隊と同じく八九式小銃が中心。だが万が一に備えそれより威力の高い重火器も準備されている。
「しかし、市民団体が」
「──どこから入った」
 隊員が指摘するように、堀川の両岸には動物愛護を訴える団体や自衛隊の違憲性を訴える団体などが続々と集まってきていた。彼らは自衛隊とは対照的に傘をさし、
『動物を守れー!』
『自衛隊は撤退しろー!』
 続々と掛け声が上げている。それを聞き、銃を構えている隊員達が躊躇いを見せるのを、隊長はすぐに気付いた。
「どうしますか」
「個人的にはマルタイをあいつらにぶつけてやりたい気分だが、自衛隊はそんな市民でも守る義務がある。このまま作戦を続行する!」
「マルタイ確認、川面中央、伝馬橋付近!」
「構え!」
 隊長の、拡声器を通さずとも周囲を圧倒する声で隊員達は銃口を一定ポイントに向ける。
「まもなくポイントに到達」
「撃て!」
 市民団体のシュプレヒコールを遮り、発砲音が大きな塊として轟いた。そして巨大ウナギは最後の抵抗か思い切り水を巻き上げた後、水中に沈んでいく。巻き上げた水は周囲に掛かり、市民団体のメンバーの一部は悲鳴を上げる。一方自衛隊の方はお構い無し。そんなこと、当然だからだった。
「概ね命中の模様」
 監視役の隊員が報告する。それを聞き、隊長は続けて
「次弾準備!」
と大声で指示。市民団体は再びシュプレヒコールで応戦したが
「構え!」
 もう彼らは怯まない。
「マルタイ確認!」
「重火器の使用許可が出ました!」
「了解、次から使う。──撃て!」
 さらに銃弾が放たれ、銃身は雨がすぐに湯気へ変わるほどの加熱状態になる。
 先遣隊の弾の手持ちが無くなった第三射以降は対処する数も格段に増えたが、それに合わせるように機関銃MINIMIなど強力な武器が次々と投入され、上陸する個体はない。水面はだんだんと、巨大ウナギの亡骸で埋め尽くされるようになった。
「次でひとまず区切りです」
「了解。──撃て!」
 計三十二回。総計六十一体のマルタイを撃破し、自衛隊は下流へと移動し始めた。

***

『愛知SATワン、確認できる個体を全て撃破した』
『愛知SATツーも同様』
「大阪指揮了解」
 名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(あおなみ線)ささしまライブ駅コンコース。「大阪指揮」こと、笹島現地指揮本部は静まり返っていた。残るは下流へと確認を進める部隊からの報告と、「名古屋指揮」こと愛知県警現地指揮本部からの連絡を待つのみである。
「警視庁からの応援、向こうに到着したそうです」
「健闘を祈る、と伝えておいてくれ」
 自衛隊の主力が市民団体によって妨害されたため、警視庁機動隊は結局そちらへと回されることになった。治安出動下であるため自衛隊で対処することも可能だったが、それは世論を配慮しての措置である。
「部隊、中川閘門に到着したそうです」
「状況は?」
「ええっと……しばしお待ちください」
 藤田はふっ、と溜め息をついた。そこまでたどり着くまで連絡がなかったということは、裏を返すとそこまでの区間において新たな個体は確認されなかったということでもある。
 少し間が空いて、連絡員は戻ってくる。
「運河面に確認された個体はなし、水面状況が悪いので詳細は不明だが、名古屋港側には数体いる模様」
 厳密に言えば中川運河も名古屋港の港湾区域に入るのだが、彼は要するに海側と言うことを指していた。津波により海底に堆積した砂やヘドロが拡散し、水中の様子は確認しづらくなっている。
「海は海保や海自の担当だからな……。とりあえず監視を続けるように連絡」

***

「自衛隊南下中。間もなく尾頭橋高架橋に達します」
「機動隊には引き続き自衛隊のサポートを指示」
「了解」
 とらのあな名古屋店七階に設けられた愛知県警現地対策本部。ここでは対応の主導権を自衛隊に引き渡した後でも調整作業が続けられている。そして、
「警視庁よりー、市民団体側の情報発信源が判明したとー、連絡がー」
 現在自衛隊を追いかけている動物愛護団体・反自衛隊団体の行動を止めさせる手掛かりを掴もうとしていた。本来なら県警内部で行うべきであるが人員確保の面を考えて、警視庁のサイバーポリスに調査を委託している。
「情報は主にツイッターを媒介にしてー、拡散していますー」
 ツイッターとなるとある程度匿名性が存在し、個人の完全な特定は難しい。特定したところで何の手段も打てないこともある。
「金城、防御線の内側のマスコミ取材を条件付きで認めるよう自衛隊に打診しろ」
「しかし世論がどう転ぶかは──」
「警視庁機動隊に怪我人が出ています。一部公安のマーク対象も加わっているかと。報道があれば抑止力になります」
 三浦が報告した通り、純粋な市民運動に見えてもその中には過激派が混ざっている場合が少なくない。実際そのような人間が混じっていなきゃ怪我人が出る確率などないに等しい。マスコミの取材はそういった行動を控えさせるのに効果はあるが、一方取り締まりをしづらくする側面もある。
「現在取材しているのは?」
「AMBのみです。取材のみで中継は行っていない模様です。この局含め大抵の局はヘリから中継していますね」
「なるほど。なら自衛隊にその旨伝えるよう」
「了解っす。あ、そういえば笹島の方は作戦終了したと連絡が」
「ならそれを県庁や県警本部に」

***

『堀川河口に到達。水門に目視での異常なし、内側に進入した個体は全て射殺できた模様』
 名古屋市中区三の丸・愛知県庁本庁舎内に設置された災害対策本部。自衛隊員からの報告がスピーカーを通じて本部室内に響いた。
「新堀川など他の河川のチェックが済めば、状況終了となります。知事、会見の準備を」
「ああ、了解した」
「にしても何故、ここ名古屋に来たんでしょうね。しかも地震発生直後という最悪のタイミングで」
「さあな、本人に訊いてくれ」
 そう副知事と会話を交わしながら、永田愛知県知事は会見場の方へ向かっていった。
 名古屋市中区三の丸、愛知県庁本庁舎記者会見場。既にマスコミの記者達は集まっており、その開始を待っている。
「状況、予定通りに終了しました」
「そうか」
 秘書からの報告を受け、永田愛知県知事が動き出す。
 知事が姿を見せると、新聞社のカメラのフラッシュが焚かれるのを皮切りに、記者達も緊張を高めめる。
「愛知県知事の永田です。この度の二〇××年愛知県沖東海地震及び南海地震の被害に遭われた皆様に、まずはお悔やみ申し上げます。──さて、当地震の発生直後に確認され、その後名古屋市付近に上陸した海洋生物について報告致します。つい先ほど、陸上自衛隊守山駐屯地に置かれました東海統合運用本部より、陸上自衛隊による対処作業の第二段階・堀川口防潮水門内側を含む上陸個体の掃討を完了したと連絡がありました」
 何故か新堀川側に進入する巨大ウナギは皆無だったため、事態は比較的早く終了している。念のため想定だけはされていたが。
「また愛知県警より中川区平池町・ささしまライブ24地区にて行っておりました同作業を完了したという報告も入っております。名古屋港水面上に確認される個体群についてはまだ未着手でございますが、第四管区海上保安本部および海上自衛隊による同種の対応を依頼しており、体制が整い次第開始すると返答を受けております」
 実際には第四管区だけでなく関西空港のSST(特殊警備隊)など銃器戦闘に優れた人員も投入されるが、主力はあくまで第四管区なのでそう表現された。海上自衛隊は横須賀地方総監部が中心だが、大型艦艇は人員や災害物資の輸送に使うのみで直接戦闘には加わらない予定である。
「今回は自衛隊法施行以来初となる治安出動要請を致しましたが、その目的にかなったよい働きをしてくれたと考えております。無論警察官達も、地震発生直後で降雨があるという環境の中笹島では奮戦してくれました。この後は地震に対する対応に全力を注ぐことになりますが、県民の皆様もどうかご協力をお願いします」

***

「事案終了、か」
 成瀬達は愛知県警察本部に戻り知事の会見をテレビ中継で観ていた。県警に戻ったのは機動隊の指揮権を災害対策課に移すためである。現に比較的消耗が小さい中部管区機動隊は既に大阪指揮から移管され、地震災害対応に向かっていた。なお大阪府警の指揮団は拠点を港区役所に移し(港警察署は津波で浸水したため)、SATと大阪府警機動隊のみを管轄下に置いて万が一に備えている。
「この後の費用のことを考えると、気が滅入りますけどね」
「まあそれは上の仕事だ。皮肉ぐらいは言われるかもしれないがな」
 無論、今回の対応で消耗した備品は買い足されることになる。県も国も財政状況が厳しい中、予算の割り当てを確保するのは簡単なことではない。加えて自衛隊の出動費もある。
「成瀬課長代理、県警本部長から出頭要請が」
「まあ、仕方がないな」
 色々と無茶をしているので何らかの処分は仕方がないと成瀬は割り切っている。あくまでも官僚組織というのは、一定のルールに従って動くことが要求されるのだ。
「あ、スペースを貸してくれた店長に礼を伝えておいてくれ」
「了解ー、しましたー」

***

「陸上自衛隊第三十五普通科連隊、治安出動業務を終了し災害派遣に向かわせますがよろしいですね?」
「承知した」
 名古屋市守山区・陸上自衛隊守山駐屯地内東海統合運用本部。巨大ウナギ対応の主力が海上自衛隊に移ったため、陸上自衛隊の部隊は順次地震災害対応へと当てられる。
「施設科は防御線の撤去を継続中。衛生科は三河方面へ展開する予定」
「被災者への炊き出しも急げ。御前崎原発の状況は?」
「外部電源途絶なし、非常用電源も正常に動いていると中日本電力より報告を受けています」
 地震・津波による危険性が度々指摘されていた原子力発電所だが、だからこそ備えは万全だった。地震の揺れによる損傷はなし、津波も海岸に作られた防波堤に達せず。海水取水設備の一部が浸水したもののすぐに復旧したため原子炉冷却は問題なく進んでいる。

「師団外部隊はどうなっている?」
「関東・関西方面は既に到着し静岡や三重で活動中。関西の一部は和歌山に。中国・四国方面は南海(地震)の対応に当たっています」
 日本の大動脈の一つ・東名高速道路や国道一号線は大きく損傷を受けているが(特に駿河湾と山に挟まれた由比付近)、新東名高速道路はほぼ無傷。支援する側にとってそれは非常に大きい。
 関係各所が本格的に地震・津波災害に対応する体制が、やっと整ったのだ。