T1206K

 6004Fはゆっくりと、徳重方面へと動き出す。
「丸の内、出発。進行信号確認。進路表示確認、進行」
 運転士が確認の声を出し、左右のレバーを引く。ドアのコックは既に閉の位置に操作されているため、問題なく動き出した。営業列車では通常行われない形である。
 列車はポイントに差し掛かると、右へ折れる。ガタンという音が各車両へ、間隔を空けて二回。また、今度は左へ。
 運転士は左のレバーをゆっくりと奥へ。力行状態が切られ、惰性で走る状態となる。次に、右側のレバーを小刻みに押していく。徐々にブレーキが掛かり、車両止めの少し手前で緩やかに停止。
「運転指令へ。T1206K、無事に入線、停止しました」
 彼は非常ブレーキの位置までレバーを押し出す。非常ブレーキ作動を知らせる放送は、車両が停止状態なので作動しない。そしてそのままいつもの習慣で進行方向レバーを真ん中に戻し、鍵を抜く。
「あ、ダメっ!」
 森岡がそれに気付き叫ぶが、その時にはもう、電車は反対方向へ動き始めていた。
 丸の内の引き込み線、それは単純に車両を留置する場所ではない。むしろ、通常時は留置に使用されない特殊な線路である。
 車両はポイントを通過する。CTCによる自動操作で、線路は切り替わっている。右に進行方向を変えず、真っすぐに進む。そして営業線には使われていない、急な上り斜面。四十五パーミルを、ゆっくりと駆け上がる。
 線路はその上り坂を維持しながら右へ曲がった。桜通線丸の内駅ホームをオーバークロスするためのカーブ。速度も確実に上がっていく。
「……T1206K、連絡線を通過中」
運転士が無線で指令室に報告する。通称、丸の内連絡線。徳重車庫(野並・徳重間が開通するまでは中村区役所駅検車場)が地下式で大規模な検査が行えないため、鶴舞線赤池駅の先に設けられた鶴舞線の車庫・日進工場へ回送するための単線線路である。
『警察、いるんだろ? ありがとな、わざわざ逃げ道を作ってくれて。あ、今度止めたらボーン、な?』
「ちっ、計画通りって訳ね」
 車内スピーカーを通し初めて流れる、犯人の声。森岡にしては珍しく舌打ちをした。桜通線は結局中村区役所で行き止まり、つまり市内にしかいけない。しかし鶴舞線なら犬山、いや、岐阜まで行くことが出来る。
 それに従わないかのように、運転士は車掌用の機器で非常ブレーキをかけようとする。
「何してるんですか!」
 森岡が止めると、運転士は泣きそうな顔をしている。
「このままじゃ、鶴舞線を逆走するんだ!」
 桜通線の回送車両は連絡線を通ると赤池方面ホームへ一回停まり、折り返す形を通常取る。戻ってくる場合も同様で、伏見方にある片渡り線で同じホームへ進入、そこから連絡線に至る形。よって浅間町《せんげんちょう》方に渡り線はなく、このままでは浅間町のさらに先、浄心駅まで鶴舞線を逆走する形となってしまう。
「それは、指令室が何とかしてくれると、信じましょう。私達にはどうしようもありませんから」
「それに、俺のせいじゃないか!」
「非常時ですから、仕方ないです。ミスはあります」
 森岡は警察手帳を見せ、言う。
「私達が逃がすとお思いで?」
 窓に、青いラインの入ったタイル張りの壁が映る。

***

『T1206Kは連絡線を通過、鶴舞線に入ります』
 鶴舞線の運行管理を行うセクションは、桜通線の同セクションの隣に存在する。桜通線統括指令からの連絡を受け、慌ただしく動き始めた。
「浄心発のM1308Aを止めます!」
 幸い、浄心・丸の内間を走行中の列車はいない。浄心駅は浅間町方に片渡り線、庄内通方の本線中央に留置線を持った島式ホームの構造を持っており、ここで本来の進行方向の線路へ転線させることが出来る。
「丸の内、通過します! 当該列車は浅間町方面に逆走中!」
 運輸担当の指令員が声を張り上げる。丸の内・浅間町間は上下分離型のシールドトンネルで建設されており、本来上小田井方面に行く際には愛知県図書館の真下を通るはずだが、この列車は通らない。
「ATC信号、切り替わりました! 浄心から丸の内までの制限速度はゼロ、停止信号です!」
 信号通信担当の指令員がモニターの異常事態を報告。ATCによる車内信号は停止を指示しているのに、列車は止まらない。それは自動列車運転装置ATOと共に自動列車制御装置ATCが切られていることを意味する。
「先行列車A1253M、浄心に入線。この駅にて運転を打ち切り、留置線に入れます」
 本来浄心行きは深夜に終電として設定される電車。しかし鶴舞線統括指令は、そのイレギュラーをためらわず
「許可する」
 一言、言う。
「で、警察屋さん、上小田井でSATは制圧可能か?」
 場所まで指定しての問いかけ。
「上小田井となりますと、国道三〇二号に掛かる橋上駅ですから、SATの活動を目立たせたくない警備部が何と言うか……」
 捜査員は刑事部の捜査第一課特殊犯捜査係、通称SIT所属なので、そのような答えしか返せない。SATの装備は非公開が原則のため、不特定多数が通る国道での活動は控えたいだろう、そう推測したのである。
「上小田井から先は名鉄犬山線、M式ATSは桜通線車両には積んでいない。そんな編成を走らせて名鉄に迷惑を掛ける訳にはいかない。上小田井駅を犠牲にしても一つ手前の庄内緑地公園で折り返すことが可能だから、早期に運転再開も出来る。この駅しか選択肢はないといってもいい」
「本部に聞いてみます」
 捜査員は携帯電話を取り出す。

***

「了解、平田橋──いや、上小田井駅に向かう」
 トラックが一台、道路を走る。そのトラックのキャビネットは真っ白に塗装され、不気味な感を漂わせていた。