小説書きの執筆小話。

初めて小説を公募に出したのはいつですか

 四月十日といえば、電撃小説大賞の締め切りですね。カクヨムに電撃文庫は関わってないみたいなのでその話題はどうかという向きもあるでしょうが、まあ気にしないことにします。
 さて、初めて電撃文庫を、というよりライトノベルを手に取ったのは中学三年生の一月でした。ちょうど高校受験の頃ですね、いい息抜きになりました。そして書く文章も、ライトノベル寄りにシフトするいいきっかけになりましたね。
 そんな自分が「初めて小説を公募に出したのはいつですか」と聞かれたら、こう答えましょう。

 予備校一年目と二年目の間の春に、電撃小説大賞へ出しました。

  電撃小説大賞の話題を出したのはこういう訳です。まあかなり突発的に出した部分があって、その頃は集中してPCに打ち込む環境などなかった時期です。四百字詰め原稿用紙に手書き、しかも鉛筆書きでしたから、その時点でまず選考外だったかなと考えています。その原稿は大学のサークル誌に改稿をしつつ連載したのですが、今年はそれを送ってみました。さて、どうなることやら。
 ということで今回は予備校時代の執筆活動について振り返ってみます。
 予備校に二年も通ったのはまあ、ちょいと自信過剰で一年目に国立大学しか受けなかったのが原因なんですが、それはまあさておきましょう。
 予備校時代に書いた代表作としては「Line」が挙げられます。
 「Line」は名古屋に巨大ウナギが襲来して機動隊などが対処することになるという、その後に「Five People」「これはまるで、SFの世界に迷い込んだかのようですね。」を出す源流となる作品です。発想のきっかけとしては名古屋の国際センタービルが機動隊の盾のように見え、名古屋を何かから守る話、ということで有川浩「海の底」を参考にしつつ組み上げていった記憶。当時はメールを使いつつブログ更新をしていたので、「Line」も連載形式で掲載していきました。
 さて、この「Line」、予備校一年目で途中中断した「初稿」と、予備校二年目の九月から翌年三月まで毎週掲載した「本稿」の二つが存在します。単純に連載再開できない事情が、その間にあったのです。
 それが、東日本大震災でした。
 途中中断の理由は年始に携帯電話を紛失したことですが、その年の三月、あの大震災が起きました。NHKのヘリから撮られた、衝撃的な津波映像。福島第一原子力発電所のメルトダウン。トリガーに東海地震を想定していた「Line」は必然的に再構成を余儀なくされ、同時にリアリティーを追求することになりました。結果的には、それは「Line」という作品に取っては、良かったことでしょう。
 そんな作品を書いていたおかげか、去年七月に公開された「シン・ゴジラ」は自分を直球ど真ん中ストライクで撃ち抜いて来る作品でした。こちらの作品が読まれているのではないか、と自惚れたことを考えたくらいです。
 次回からはいよいよ、大学時代の執筆活動について考えてみましょうか。