CP2・第一部

第一章・出逢い

 本日、七月十九日。海の日のルールが変わったのでややこしくなったが、神奈川県東部・蛯尾浜市《えびおはまし》の真ん中辺りに位置する俺の学校、市立中部中学校では一学期の終業式である。
 この市唯一の鉄道「武蔵野鉄道蛯尾浜線」の線路北側に位置するこの学校は、特に変わった特徴はない。敷地の北寄りに三階建ての校舎が二棟並び、その東側に老朽化が隠せない体育館。全校生徒七百二十八人(欠席者があるのでこれより少ないはず)がひしめくこの体育館内で俺、鈴木浩和《すずきひろかず》は長々と続く校長の話を聞いていた。内容は全く頭に入っていないが。
 それが終わると次は校歌の斉唱。三番まである歌詞の、一番だけ流して終了。しかもほとんどの生徒の口は動いていない。もう丸々カットしても生徒から文句は出ないだろう。
 そんな形式だけの式典は校長の話以外早々と終了し、生徒達は教室へ戻ることとなる。この後は大掃除、のはずだったがクラス担任が「文化祭のクラス発表を決める」という難題を解決するため潰してしまった。焦っているのは担任と実行委員だけで、後の生徒は何の興味もなし。かと言って実行委員の女子生徒が「タンスの発展についての展示」などと真面目な案を出すと却下するわで、結局成果はなし。何故「タンス」なのかはともかく。
 休み時間を挟んでLT。中学校最初の通知表を開けると──四が多い。あ、英語が三だ。英語はクラス担任だし、何か気に入らないことでもあったのかと疑いたくなる。
 受領証と称した細長い紙切れに保護者のサインと印鑑を押してもらうよう指示を受け、それで解散になるかと思ったらまだ伝えることがあるという。一つは「皆の通知表を見た感想」という無駄話。「夏休みの生活について」はまあ小学校の時にも聞いたような話で、終業式のお約束だろう。そして最後の一つが、次の話だった。
「えーと、新学期からこのクラスに仲間が増えることになりました。えーと、名古屋より転校してくる、女の子だそうです」
 これで教室内は盛り上がる。名古屋、ねぇ……。そうだ、万博が開かれた所だ。いや、あれは大阪か? あとは、トヨタがある所だっけ。家の車もそういえばトヨタだったな。
「えーと、話は以上。えーと、室長、挨拶」
 ここの担任は本当、「えーと」が多いな。ただ小学校の時の音楽教師は「うん」と言わなきゃ話し出せなかったから、その応用系とも言える。まあそんなことを考えながら立ち上がった。軽く頭を下げるだけの「礼」をしたらすぐ解散となり、俺は荷物をまとめる。と言っても大物は既に持ち帰り済みなので五秒で完了。速やかに教室から脱出して廊下を早歩きで進み、昇降口で靴へ履き替える。そのまままっすぐ家に帰った。その途中で特に変わったようなこともない。
 そんな感じで俺の「中学一年・一学期編」はあっさりと終了。親友である天木が貸してくれた小説のような、非日常が突然やってくるという展開などある訳がなかった。それでもまあ、別に変えてしまおうとは思わない、平凡で普通な日常。

* * *

 夏休みは川の流れのように、ゆっくりと、しかし後戻りすることもなく過ぎていく。そして長いようで短かった休みの終盤、八月二十七日。俺は横浜の山下公園にいた。ただこれは妹が「横浜で買い物がしたい」と言い出したのに対し兄である俺が同伴することで許可が出たから。休日出勤だったので両親は付いていけないというのもある。だから、別にデートするようなカノジョなんていなかった。友達はと言えば、みんな宿題を片付けるのに大忙しらしい。天木なんか「三十一日まで残しておくのが醍醐味だろ!」とか言っていて論外。俺はというと、序盤できっちりやり切っていた。その分暇を持て余していたので、妹の頼みを断る理由はなかったのだ。
 午前中は中華街などを歩き回っていたので、その休憩がてら山下公園に立ち寄った。全国的にも有名らしいこの公園には長い歴史があるらしいが、それについてはあまり知らないのでそれまで。
 噴水がある池の周囲に造られたレンガ組みの部分に俺が腰掛けていると、妹は途端にどこかへ行ってしまっていた。まあ携帯電話があるし大丈夫だろう。その時はそう思っていた。
 確か正午を回った頃のこと。それは前触れもなくやってきた。市街地の方から、誰かが入ってくる。通行人はみなそれを逃げるように避けていく。大分近付いてきた時、その理由が判る。男の左手に、黒光りする何かが握られている。その形は、拳銃にしか見えなかった。迷うとしたらモデルガンか本物か。でも重量感がかなりあった。男はゆっくりと近付いてきて、ふと立ち止まり、そして左手を天へと近付け、撃った。
 日曜日だからか家族連れが多く、賑やかだった話し声はピタリと止む。代わりに聞こえ始めたのは子供の泣き声だけ。凍り付いた場から誰かが解放された時、それは一気に連鎖した。パニックに近い状態で人々は一目散に逃げ始める。俺は立ち上がることは出来たものの、男と目が合ってしまいそれ以上動けなくなってしまった。立ち止まっては辺りを見つつ、一歩一歩こちらへ。
 対決──無理だ。拳銃を持った相手に素手で戦う立ち回りなど、訓練を重ねなければ出来るはずがない。逃げる──足が動かない。絶体絶命の状況と言っても過言ではなかった。
「お兄ちゃん!?」
 どこかから声がする。そちらを振り向くと、妹が今にも走って来ようとして、周りの大人に止められていた。そのまま押さえてくれれば良かったものの、不運なことに振り切ってしまう。妹はこちらに駆け寄ってきて、そのすぐ後ろを何かが駆け抜けた。
 何かが爆発するような音。男の手の中の拳銃からは白い煙。妹に向けてこの男は撃ってきたのだ。妹は俺にしがみついてくる。仕方がない、妹を守るように俺は拳銃男の方に体を向けた。
 しかし天が味方してくれたのか、パトカーが五台ほど、赤色灯とサイレンを付け公園へ入ってきた。白と黒のカラーリングが施された「これぞパトカー」といったものや、屋根に小さな回転灯を付けた覆面パトカーなどの顔ぶれ。一番こちら寄りに止まった覆面パトカーの、その助手席側ドアを開け出てきたのは──
 セーラー服を着た少女。
「警察です。拳銃をその場に置いて投降しなさい!」
 大声で、しかしあくまでも冷静さを保ちつつ。女子生徒が警察官として男に投降を促す不可思議な光景に、再び公園の空気が固まる。「敵」の拳銃男も呆けた様子になってしまい、死角をつくようにゆっくりと近づいてきた刑事らしき男性にあっさり武器を取り上げられ、そのまま手錠をかけられ連行されていった。まあ、こんな空気になるのも当然である。どう高めに見積もっても高校生にしか見えない少女が警察官、しかも刑事の真似事を本職の前でやっているのだから。
 さらに注意深く見ていると、彼女は背後に陣取っていた本職の刑事達に注意されている、どころか優しく声をかけられ苦笑いしている。じゃあ本当に警察官なのか? 刑事が変装している可能性──なくはないが、この格好で来る必要はない。それにやはり、幼すぎるのが気になる。自分の幼なじみである橋野さんとそう変わらないようにも見えるくらいだ。
 着ているセーラー服も少し変わっていて、まず襟が白い。そしてその襟は胸元まで覆うほど大きいのだ。今まで見たことのない制服。どこかの私立の制服なのか?
「そこのあなた、さっきからわたしのことをずっと、不思議そうな目で見ていらっしゃいますけど……何かわたしに変な所でもありますか?」
 その少女が俺に近づいてきて、声をかけてきた。腰までかかりそうな長髪を風に舞わせながら、先ほどの大声とは異なる柔らかな声色で、彼女は話す。いや、自分のやっていることの違和感に自覚はないのか? そう尋ねたかったが、近くで見ても同学年しか思えなくて、緊張したのか言葉が出なかった。
「どうして中学生が警察官をやっているのか、不思議なんだろ?」
 先ほど拳銃男を捕らえた刑事がいつの間にか横にいて、俺の気持ちを代弁してくれる。即座に頷くが、頷いてから気づいた。え、中学生!?
「ほら、此処は愛知県じゃないからさ」
 刑事は少女に、軽い口調で言う。だが
「愛知県じゃないからって……。子ども警察の存在と活躍は全国ネットでテレビ放送されたはずなんだけど」
 少女の方は怒っているような雰囲気。と言われても「ああ、そういえば」とはならない。世間に浸透しているのなら公園にいた人々が奇妙な目で見ていた理由がないし、正直言って今回のようにあっさり逮捕できたのかも微妙だ。
「たまたま観てなかったとか、さ……」
 遠慮気味に刑事がフォローすると少女は一度目を閉じ、少しの間考えるような様子を見せると再び目を開け
「まあ、そういうこともあるか」
 と、独り納得したようだ。一度俺の方に目を合わせ、しがみついたままだった妹の方を見ると、微笑みを浮かべ話し始める。
「わたしは、CPよ。あ、子ども警察官のこと。えっと……『警察署における中学生の職場体験実習事業』っていう、何か長ったらしい名前なんだけど、それに参加してるの。昨日まで八白《やしろ》に住んでて、でもパパが転勤。それで神奈川に来たの」
 長ったらしくて意味はほとんど解らなかったが、とりあえず
「つまりちゃんとした警察官だってことだよな?」
 あと、「ヤシロ」という所から来て、話の流れからするとそれは愛知県のどこかにあるということ。理解したのはそれくらい。
「ええ、そうよ」
 彼女は大きく頷きながら答えた。
「安江さん、そろそろ……」
 遠慮がちに、例の刑事が声をかける。刑事というのは、やっぱり忙しいらしい。
「じゃあ、職務中なので失礼します。あ、名刺、古いのだけどあげるね」
 少女は制服の胸ポケットから焦げ茶色で二つ折りの「何か」を取り出し、それのどこからかか一枚、小さな紙切れを引っ張りだした。それを俺に、ほら、と言って押し付ける。しょうがない、もらっておくか。
「因みに、あなたの名前は?」
「鈴木、浩和だけど……」
 何か資料を作るのに必要なのだろうか。少女は続けて聞いてくる。
「学校は? あと学年も」
「蛯尾浜中部中の、中学一年」
「え……!? そっか、ならまた逢えるかもね。じゃあ失礼します」
 何故驚いたのだろう。色々と聞いてきたのもそうだが、理由は判らなかった。尋ねる前に彼女は走り去ってしまったから。長い髪を風になびかせ、そして舞わせながら。
「……すごい人だったね、お兄ちゃん」
「ああ、そうだね」
「お兄ちゃんよりかっこ良かったかも」
「かなわないよ、あれには」
 中学生なのに警察官になれる。そんな制度があるとは。とりあえず警察官である母さんにもこのことを話し、真偽を確認してみたい。そう思わずにはいられなかった。

* * *

 夏休みが明けて、九月一日。久しぶりに学校へと来て、しかし相変わらずテンプレート通りに進められていく始業式を過ごす。一通りの恒例行事が終わると教室に戻るとこちらも恒例、終業式の時にやらなかった大掃除だろうと思っていたら
「えーと、皆さん聞いて下さい。えーと、今日も掃除はやらなくてもいいです」
 と担任が言ったので、教室がざわめき出す。だったら宿題の回収か、と思うのはごく普通の考え方だろう。
「宿題も後で集めます」
 それを見越したように担任が付け加えると、今度は安堵のため息が一斉に。おい、やってないのかよ。どうせ提出が少しずれるだけでそう変わらない気もするが。その時まで、自分の怠慢を思い知っておけ。
「えーと、終業式の日に予告してあったと思いますが、転校生がこのクラスにやって来ました」
 担任が言う。そういえばそんなこと言っていたな、と思っているうちにドアがゆっくりと開く。スタスタと、そして堂々と一人の少女が教室に入ってきた。見覚えのある白襟セーラー服、腰までかかりそうな黒髪ストレート。あの日山下公園で出会った警察少女とそっくり。もちろん、驚きだった。
「名古屋市の隣・愛知県|八白《やしろ》市の渋川《しぶかわ》中学校より来ました、安江香奈《やすえかな》といいます。父の転勤で此処に来ることとなりました。どうかよろしくお願いします」
 あの日帰ってから眺めた名刺。「愛知県」警「八白」警察署子ども課「渋川中」デスク「安江 香奈」の文字。生徒手帳に挟んであった実物を取り出し、確認する。──間違いない、本人だ。神奈川県内にある数多くの中学校、その中からここに転校してくるとは。まさか、とは思ったがあの時の反応が思い返される。そして最後の台詞。
「えーと安江さんは昨日到着したばかりとのことで、制服を買っていないためこの格好だそうです」
 この学校は普通の大きさの黒襟にオレンジ線一本のセーラー服だからなぁ、ってそういう問題ではない。俺の記憶に間違いがなければ、先週日曜日の段階で既に県内にいた。しかも今、よく観察してみるとスカート丈が短い。間違いなく校則違反の基準。せめてそこは注意しないのか、担任。
「えーと安江さんは、鈴木の横が空いてるからそこに座ってくれ」
 ──担任め、よりにもよって担任の横にはいつの間にか机セットが準備済みだし。
「先生ー、鈴木ってどの鈴木ですかー?」
 クラス一番の目立ちたがり屋、鈴木智美《すずきともみ》が通った声で担任に質問。そうそう、このクラスには鈴木姓があと二人も──
「えーと、浩和の隣」
 まあ、解っていたけどな。他の二人の横は既に埋まっているし。
 担任は俺の席の隣に机と椅子を置く。廊下側、最後列。それを視線で追っていた警察少女の顔がはっ、となったように見えたのは、気のせいだろう。気のせいだと思いたい。
 ちょうどいいタイミングでチャイムが鳴った。
「じゃあ休み時間な。えーと、宿題出す準備しておけよ」
 担任が教室を出ていく。まあいい、妥協するから席替えしろよと心の中で愚痴った。五月に一度やったきりなので、そろそろ替えてもいいじゃないか?
 俺は委員会の仕事があったのですぐに席を外した。帰ってくると俺の席──正確にはその隣──には女子達が集まっており、休み時間終了のチャイムが鳴るまで後ろのロッカー前で時間を潰す羽目になった。
「本当いいなぁー」
 小学校以来の友達でアニメ大好き、天木智仁《あまきともひと》がそれを見て話しかけてくる。
「いいなーって、何が?」
「だって、あんな美少女転校生の隣なんだぜ?」
「そうか?」
「そうだよ! 勉強はかどりそうだし!」
「そういうもんか?」
「うん」
「警察官の横だぞ?」
「は、何言ってるの? 中学生が警察官の訳ないって!」
 そうだ、こいつは何も知らないんだった。
「まあ、そんな気分なんだよ」
「んー、あ、あれ? 潔癖症のお嬢様が監視してくるみたいな?」
「そうそう」
 たとえがよく解らないが。
「それは、妄想のし過ぎだと思うよ?」
 お前が言うな。
 予鈴のチャイムが鳴り、女子達は自分の席に帰っていった。やっと自分の席に座れると思ったら、今度は隣の転校生もとい警察少女がこちらをジロジロ見てくる。首を傾げて五秒後。
「あ、やっぱ会ったことあるよね!」
 難問が解けたような満面の笑みで、クラス全体に聞こえるような大声で、彼女は言った。当然、好奇の目線が集まってくる。さて、どうやって言い訳したらいいのだろうか。
「先週の日曜日、家の下見の時道案内してくれたよね! あの時はありがと!」
 フィクションな出来事でごまかした警察少女。だがあっさり騙され納得したようで、視線は逸れていく。ついでに本鈴も鳴り担任が入ってきたのでこちらへの興味は薄まった。一安心一安心。
「スズキヒロカズ君だったよね?」
 阿鼻叫喚入り交じった宿題回収の後、担任が提出数を数えている時、小声で警察少女は聞いてきた。
「ああ、そうだけど」
「漢字ってどう書くの?」
「鈴木は判るよな?」
「うん」
「下は、さんずいに告発文の告。平和の和」
「了解」
 そう返事をしながら警察少女はA4ぐらいの、何かの申請書みたいなものに書き込んでいる。
「住所は?」
「何でそんなことを聞く?」
「秘密。じきに判る」
 そんなこと言われても。
「早く」
「……まあいいけど。蛯尾浜市桜本町《えびおはましさくらほんちょう》五丁目七六番地六」
 旧蛯尾浜郡桜町の中心住宅地だった所だ。ちなみに蛯尾浜市は蛯尾浜郡に由来しているが、この市は名前に反して海に面してはいない。海に面していた町村は浜浦市《はまうらし》として独立したそうだ。
「じゃあ、将来の夢は?」
「え?」
「言って」
 命令口調。
「……警察官、出来れば刑事とかになってみたいとは思っているけど……。母さんも警察官だし……」
 警察官の前では言いたくなかったので、つい俯き加減になる。顔を上げると、そこには警察少女の、再びの満面の笑み。
「私のカン、当たった!」
 何の勘だよ。
「じゃあさ、明日は土曜日でしょ。横浜行く用事があるから一緒に付いてきて欲しいんだけど、いい? いいよね」
 人の話を聞くつもりは一切ないらしい。だいいち
「将来の夢と横浜行くのと、何の関係がある」
「いいからいいから」
 ……よくないから。
「何処に行くかとか、どうしてそこに行くかとかはまだ言えないんだ」
「理由も知らずに付いていけっていうのか?」
「うん」
 即答されてしまった。
「親には何と言って出れば──」
「何でもいいから。何ならこの際デートでもいいよ。付き合ってあげる」
「えー!?」
 質問を途中で遮られた上に大胆なお言葉。俺は思わず大声を上げてしまったらしく、最後となる宿題プリントの束の枚数を数えていた担任がこちらを見てくる。申し訳なさそうに頭を下げておいた。気持ちはゼロだが。
「で、話は変わるけどこの教室って扇風機ないの?」
 気持ちはよく解る。出来ればクーラーが欲しい。だが、ないものはない。
「もしかして、そっちの学校ではあったのか?」
 軽く冗談のつもりで聞いた。が、返ってきた言葉は
「うん、天井についてた。もちろん全クラスにね」
 予想外である。
「かなりいい環境だなー」
 正直に、そう言った。この学校で冷房設備は職員室とコンピュータ教室、音楽室にしかない。残りの部屋には扇風機すら。だからうらやましい。けど共に気になり始めていたのはやはり、その服装。
「ところで、そのセーラー服って──」
「この服?」
 警察少女は自分の制服を左手でつまむ。
「ああ、それって学校公認だったのか?」
 最初見た時はどこかの私立学校かと思ったけど、公立らしいもんな。
「もちろん。あ、スカートはちょっと短いって言われてたけど」
 それは当然だ。それより気になるのは、
「その白い襟や、大きさも?」
「うん?」
 警察少女は鳩が豆鉄砲を喰らったかのような表情になった。鳩が豆鉄砲を喰らった光景を実際に見たことはないが。
「ああ、そういうことね」
 何がだ。
「だから──名古屋襟《ナゴヤエリ》って呼ばれるんだ!」
 難問が解けたような声で、やはり大きな声で言った。直後に何かが割れる音。その正体は──担任のチョークだった。文化祭に向けての動きを板書していた彼のチョークは、ただ偶然に割れたのではない。彼の怒りで折れたらしい。当然俺は
「声、大きいから」
 と注意した。だが、
「帰ったらケータイで友達に教えてあげよっと」
 本人には全く聞こえていない。
「解ったから落ち着け。授業中だ」
 俺は軽く警察少女の頭を叩いた。担任の怒り、多分爆発五秒前。
「何するのよ。ん? ……あ」
 ようやく状況に気付いたようだ。周りではクラスメイトがひそひそと噂話をする声、すら聞こえない。それくらい担任は怒りのオーラを出している。カウントダウン、三、二、──
「すみませんでした!」
 怒る担任を驚かせ、黒板へ彼の後頭部を強打させるくらいの勢いで立ち上がり、謝った。極道じゃないんだからそんな風に謝る必要はないだろうよ。警察官だが。
「いたたたた……安江、放課後に職員室来い。浩和もな」
 俺も巻き添えかよ。
「放課後って、いつですか?」
 そんな場で、警察少女は聞いた。担任に喧嘩を売っているのか? と思ったが、本気で解らないらしく、首を傾げている。
「ねぇ、いつのこと?」
 しかもよりにもよって俺に振ってきた。
「全ての授業が終わってからに決まっているだろう」
「そうなの? 放課《ほうか》の後なのに?」
 意味が解らなくなってきた。単独で「放課」って使う用法、聞いたことないし。
「ああ、名古屋では休み時間の事を『放課』って言うからさ」
 まあ友達と言えば友達っていう仲のクラスメイト・万場 裕樹が納得したように、頷きながら言う。そう言えば彼は、名古屋から転校してきたんだっけ。
「とりあえず判っただろ。授業を続けるぞ、早く座れ」
 警察少女が座って授業(?)は再開される。しかしチャイムは数分後に鳴った。
「えーと、今日はこれで終了。月曜は通常通りだ。えーと、室長あいさつ」
 立ち上がって礼をして、よし今日はもうこれで──終わりにはならない、担任の小言が待っているんだった。荷物をまとめて南側校舎の一階、職員室へ向かう。着いてから数分後、担任が警察少女を連れてやってきた。職員室前の廊下で、我慢大会の号砲が鳴る。
「まったく、二人とも仲がいいのは判るが、文化祭は再来週に迫って──」
 内容はさらりと聞き流す。あー、眠くなってきた。けどあくびをしようものなら火に油を注ぐ結果になるし。っていうか、「えーと」という口癖はわざと付けているのか? 現に今、ついていないし。
「──から。で、それよりお前達は何でそんなに仲がいいんだ?」
 しばらく説教が続いた後、担任が質問してくる。これに答えるのは警察少女──安江さんだ。「警察少女」って、いい加減呼びづらい。
「先週の日曜日、道案内してくれて──」
「それだけで、そんなに仲良くなれる訳ないだろ」
 バレたか。まあ、完全フィクションだからな。それに、仲が良い訳でもなんだけど。
「浩和、お前転校したことあるか?」
「ないです」
 即座に答える。嘘を付いたところで、すぐにバレるだろうし。
「安江さんは、こっちに来た事はあ──」
「わたし、生まれも育ちも八白市ですよ?」
 安江さんも即座に否定した。それにしても、どこかで聞いたことあるようなフレーズだな。
「じゃあ、何故?」
「「だから!」」
 先生、頭固すぎですよ。こういうこともあるんですから。──多分。
「|二ノ宮《にのみや》先生、ちょっといいかな」
 ちょうどいいタイミングに現れた声。こ、この声は神! じゃなくて睡眠導入剤──とも言える校長先生の声!
「あ、はい。二人とも、もう帰って──」
「用があるのは君じゃない。貴方が外してくれないか」
「あ、はい……」
 二ノ宮先生こと、俺達のクラス担任は職員室へと入っていった。それを見送ると、先に口を開いたのは校長先生。
「場所を変えて話したいんだが、いいかな」
「はい」
「もちろんです」
 職員室の横、中学生活で初めて入ることになる校長室に向かう。帰りたかったが、安江さんが袖を引っ張ってくるので逃げられない。校長室に入ると安江さんは、案内されるまま部屋の中央にある革張りのソファーへ座った。
「さあ、早く」
 安江さんは俺の右腕を引っ張って、無理矢理座らせてくる。向かい側に校長先生が座り、ドキドキ?な会話は始まった。
「実は愛知県警と神奈川県警、それに警察庁から相次いで連絡を受けたのだが、安江さんだったかな、君は──」
「CP、子ども警察官です」
 安江さんは胸ポケットに付いていたバッジを見せる。そこには「CP」の文字。こんなもの、付けていたのか。気付いていなかった。
「正直いうと、一度会ってみたかったんだよ。去年の五月頃テレビでやっていたね。何だったかな、あの事件──」
「連続誘拐事件のことですね。わたしもそれの報道特番を観て、子ども警察官になろうと思いました」
 そんなきっかけでこの仕事をやっているのか。当然初耳だし、「連続誘拐事件」の詳細は知らないが。
「私も観たよ。驚いたね。事件発覚がその……子ども警察官の直感だったって事は」
「まあ、彼の父親は警視庁捜査一課の元刑事だったらしいですけど」
 会話の内容についていけない。
「本当、若いのに憧れるよ。入学式の時この話をしたしね」
 安江さんが睨んでくる。いやいや、五ヶ月前のことを完全に覚えているはずないから。
「そういえば彼は、どうしてここにいるんだい? 一緒に転校して来たんじゃないんだろう?」
 校長先生は俺の方を見てくる。けど、俺も知らないから答えようがない。安江さんに袖を引っ張られて連れてこられただけだし。
「うーんと、彼氏?」
「え!?」
 驚く以外にどういった反応がある。
「冗談よ。──ま、そのうち判りますから」
「なるほど、期待しているよ」
 その後、午後二時まで二人の会話は続いた。途中で抜けられる雰囲気でもなかったから、内容が解らないまま付き合う羽目になる。おなかすいた。
「じゃ、帰ろっか。そういえば、そこの駅から横浜まで行ける?」
 校舎を出て正門まで来たところで、「そこの駅」こと武蔵野鉄道蛯尾浜線|桜町駅《さくらちょうえき》方向を左手で指差して言った。
「乗り換えが面倒だけど、行けないことはないぞ」
「じゃあ、九時に駅のロータリーでね!」
 そう言って彼女は道を走っていく。それはちょうど、駅へ行く最短ルート。
「本当に知らないのかな……」
 微かに思ったが、気のせいだということにする。
 家に帰るとまず、作り置きしてあった昼食を食べる。その後パソコンの電源を入れてインターネットへ接続。検索サイトを開き「子ども警察官」というキーワードで調べてみた。出てきたのは「某編集型百科事典」の「子ども警察官」という項目。

 子ども警察官とは愛知県警察が八白警察署で導入した制度の対象者を指す。八白市内の公立中学校から毎年十二名の生徒を推薦者から選抜し、警察官としての実務を学ぶ。正式には子ども課課員、略称CP。英訳:The child policeまたはThe child police-officer。なお八白署は八白市の他に南隣の岩作市《やざこし》も管轄しており、そちらでも同様の活動が行われているとの情報もある。
■法律上の扱い
 階級は、警察法・子ども警察官特別規則により子ども警官(一般警察官の巡査に相当)。給与は子ども警察条例(愛知県条例)により月五万前後と定められているが、同条例で経費と相殺されることになっており、手取りはない。ただし制度上対象者の医療費は公私問わず全額免除となっている。
 子ども警察官は「警察署における中学生の職場体験実習事業に関する法律」に基づき設置されている。よく誤解されるが、この法律の施行に当たって労働関係法は改正されていない。これは拡大解釈によって合法とされたためである。地方公務員法にも年齢に関する規定がないため、大きな改正は加えられていない。
■地域部子ども課準備室について
 現在、四十七都道府県全ての地域部に子ども課準備室が設置されているが、実質組織として機能しているのは愛知県警のみである。ここには警察内外で「伝説の子ども警察官」(レジェンド・CP)と呼ばれる、現在高校一年生の二名が所属しているとされる。彼らの実力は非常に高く、最低クラスだった愛知県警の検挙率を大幅に上昇させた立役者との見方もある。
 また神奈川県警でも子ども課準備室が動き出したとの情報がある。
■関連事件
 子ども警察官が関係したとされる事件は多数存在するため、特筆すべき事件について記述する。──

 解ったような、解らなかったような。ただ神奈川県警で動き出したということは確かなようだ。あの時の刑事は神奈川県警の警察官のはずだから。

* * *

 九月二日。集合の場所、桜町駅のロータリーに着くと既にそこには安江さんがいた。思わず左手につけた時計を確認する。八時十五分。
「遅刻じゃないよ、わたしも今来たとこ」
「じゃあ、そのコーヒーはなんだ」
 俺は安江さんの手元にあるスチール缶を指差した。プルタブは開けられており、飲んだような形跡もある。
「あ、バレた?」
 そう言いつつも、微笑みながら缶を差し出してきた。
「要る?」
「え? ……へ!?」
 飲みかけのコーヒーを差し出してくる、それってつまり、か──
「冗談冗談、中身は空よ。ほんと、からかいやすいね。つでに捨ててきて」
 からかわれた上にパシリかよ。そう思いつつ、駅前のコンビニに向かう。店の前のゴミ箱に缶を捨て戻ってくると、安江さんは独り、立っていた。少し悲しそうな顔で、髪を風に舞わせながら。見とれること数秒、
「あ、帰ってきた。さあ、行こ?」
 向こうが気付いた。顔は一瞬で明るくなっていて、今さっきの表情が嘘のよう。
「さあ、行こ」
 そう安江さんは言って、走り出した。今度は元気の象徴として、髪を舞わせながら。俺も少し遅れて追いかける。
 桜町駅は立体的な駅である。橋上駅というらしい。階段を上がるとホームや線路の真上に当たる位置に券売機や改札があり、改札を通るとまた階段を下ってホームにたどり着くという、ある意味無駄に体力を使う構造。ホームは二面・線路は三線あって、内側では西の方向に折り返す電車が停車する。
 俺達は北側のホーム、すなわち東へ向かう電車に乗るつもりだ。七分くらい待っていると、
『間もなく、一番線に豊本田《とよほんだ》ゆきの急行がまいります。足元の白線まで下がってお待ち願います』
 係員用のマイクを通じたらしい、音質の悪い男の声が響く。警笛を鳴らして入ってきた電車を見るなり、
「あ、懐かしい」
 安江さんは言った。懐かしい?
「何か思い出でもあるのか?」
「わたしの故郷、八白市を走る路線なんだけど、小さい頃こんな、赤い電車に乗ったなって。今はもう、ステンレスの車両に置き変わっちゃったけどね」
 確かに、今来た電車は真っ赤な塗装を施されている。その電車に乗っても、安江さんの話は続く。
「この街ってやっぱり、わたしの故郷と似てる。ただ電車が赤いとか、そういうことじゃない。空気が、そう、雰囲気が似ているの」

* * *

 何度か乗り換えをしてJR横浜駅に着いた。着くなり安江さんが一直線に向かった(ついでに俺の袖も引っ張った)のは──北口のタクシー乗り場。
「安江さん、タクシー乗るのか?」
「ううん」
 そうか、タクシー乗り場の先にはバス乗り場もある。
「じゃあバス?」
「違うわ」
 そう答えつつ安江さんは大量のタクシーの中から、行灯の付いていないシルバーのセダンを見つけて乗り込む。
「さ、乗って」
 俺の腕も引っ張り込んできた。やっぱり、乗せられるのか。
 車が発進してしばらくは無言が続く。運転手が行き先を聞いてこない辺りから確実に言えること。これはタクシーではない。
「で安江さん、どこに行くんだ?」
 流れていく外の景色を眺めていた彼女はこちらを振り返り、
「機密事項よ」
 と明らかな回答拒絶。誘われた時にも聞けなかったから当然か。
「あと、わたしのことはカナって呼んで。その方が自然に話せるから」
 突然の意思表示。
「カナ、か?」
「うん、下の名前の方がいい」
 本人が望むのなら、それでいいか。警察少女や安江さんより呼びやすいし。
 程なくして、車は停まる。
「ありがとうございました」
 運転手にお礼を言い、安江さん──カナがドアを開ける。彼女に続いて外へ出るとそこは、
 雪国、ではなく神奈川県警察本部前だった。川端康成の小説ではないので当たり前だが、それでも、驚きである。
「警察!?」
「そうよ」
 カナはきっぱりと肯定した。それはもう、爽快なくらい。
「わたしの今日の目的は、此処に来ること。そして──」
 次にカナが放った台詞は、俺は凍り付かせた。あの、初めて会った日のように。
「──あなたを、CPに任命すること」
 衝撃で、返す言葉がしばらく出なかった。数分経ってやっと、声が出る。
「CPって、つまり……」
「うん、わたしと同じ子ども警察官になって欲しいの」
 きっぱりと言い切られた。
「そんな唐突に言われても……」
「どうしても、なって欲しかったから」
 突如出現した「少女らしい雰囲気」に、反抗する気力が消えてしまう。何というか、ずるい。
「ううん、何でもない。とりあえず──」
 もちろん、こう言い出す。
「中に入るわよ」
 予想通りの言葉、予想通りの行動。腕を引っ張られつつ玄関まで歩いていくと案の定
「えっと、君達は何の用だ?」
 立ち番の警察官に止められた。
「もう、面倒くさいな……。これでいいですよね?」
 カナは持っていたカバンから、焦げ茶色で三つ折りの「警察手帳」を取り出し、開いて見せる。
「地域部子ども課準備室の安江香奈です。事情があって私服ですけど」
「はあ……お疲れ様です!」
 警察官は右手を額に当て、背筋を伸ばして敬礼をしてくる。カナも右手を軽く額に当て、敬礼を返した。
「さあ、行こ」
 今日何度目になるかは判らないが、腕を引っ張られた。
 連れて行かれるままにエレベータに乗り、連れて行かれるままに廊下を歩き、ある部屋の前に到着する。廊下に張り出した札には「子ども課準備室」の文字。先ほどカナが名乗った部署名だ。
 カナは一枚のカードを取り出し、入り口らしき自動ドアの左横に取り付けられた機械にかざした。ピッ、っと音がすると同時にドアが開く。
「この中で待ってて。地域部長を呼んでくるから」
 そのままカナは走っていった。まったく、自分勝手に動く女の子だ。
 部屋の中は、小さなオフィスのような感じである。四つ事務机があって四角く中央に並べられ、壁沿いには戸棚が並ぶ。利便性を考えてなのか、無機質な電話が各机に設置されている。
 下はカーペット敷き。全て新品同様だった。きっとカナが来るまでは使われていなかった、そんな部屋なのだろう。
「おまたせー」
 カナが、一人の男性を連れて戻ってきた。中年と言うには年を取りすぎており、髪にも白髪が目立つ。
「君が、今回安江子ども警官に推薦された鈴木浩和くんだね。私は地域部長兼此処の室長である、宇都宮《うつのみや》だ」
「はい、よろしくお願いします……」
 そう返すほかない。地域部長と言ったらその上は、副本部長クラスである。
「あ! そういえば許可取らなきゃ!」
 突然カナが、思い出したように言う。
「何の?」
「あなたの親に」
 正確には答えになっていないが、何となく判る。子ども警察官に任命する許可だろう。でも、気になる点が一つ。
「断られたらどうするんだ?」
「意地でも通す」
 拒否権なしかよ。というか、俺の意志にも触れていない。まあ、やれと言うならやってやるが。
「あなたのママ、今日出勤した?」
「ああ」
「じゃあ警察署の方か。えっと、そのまま取ればいいんですっけ?」
 事務机の上の、電話機につながっている受話器を取ろうとして、カナは聞いた。
「そうだ」
 短いフレーズで、地域部長が肯定する。カナは受話器を取った。
「浜浦署《はまうらしょ》、お願いします」
「何処かの受話器を取れ。やり取りを聞いておきたいだろう?」
 地域部長は俺に言う。指示通り近くにあった別の受話器を取ると、彼はダイヤルボタンの上の、とあるボタンを押した。すると「プルルル……」という呼び出し音が聞こえてくる。
『はいこちら浜浦警察署通信室です』
 女性の声。もちろん、母さんの声ではない。
「地域部子ども課準備室の安江と申します。刑事課の鈴木圭子《すずきけいこ》刑事をお願いします」
『はい、お待ち下さいませ』
 保留音が流れる。バッハ作曲、G線上のアリア。それより、母さんの所属が刑事課!?
『はい、鈴木ですが』
 間違いない、母さんの声だ。
「地域部子ども課準備室の、安江 香奈と申します。あの──」
『どうせ私の息子を「子ども警官」に採用したいとか言うんでしょ?』
 大正解。いつも母さんは言おうとしていることを先読みしてくる。
「何故、それを」
『私、刑事なんだからそれくらい予想つくわよ。聞いたわ、山下公園での事も』
 記憶力も抜群らしい。俺がそれとなく話したことを覚えている。
「はい、その通りです。それで返事の方は──」
『全然構いません。ビシバシ鍛えてあげてちょうだい。じゃあ私は捜査があるので』
 電話が切れた。
「母さん、刑事だったんだ……」
 警察官だってことは知っていたが、まさか刑事だったとは予想も付かなかった。
「あれ、知らなかったの?」
「何でカナは知っているんだ?」
 家族は知らなくて、赤の他人が知っている。何かがおかしくないか?
「データベースを見たもの」
「データベース?」
「人事記録のね。本来は身元調査も慎重に行わなければいけなかったけど、その手間がなくなって助かったわ」
 そんなこと教えられたって、よく解らない。
「さて、研修を始めるとするかな」
 話題を切り替えるように地域部長が言って、俺のCPとしての人生は幕を開けた。