CP2・第一部

第二章・真実

 研修漬けだった週末が明けた、九月四日。午前七時、朝こなすべき全てのことが終わりテレビを観ていると、玄関のインターホンが鳴った。
「浩和、出て」
 母さんが台所から言う。しょうがないな、と思いドアモニターの液晶ディスプレイを確認すると、
 そこに映っているのはよく知った顔。週末に何回も、数え切れないほど見たカナの顔だった。ただ、その下に映っているセーラー服の襟は黒い。中部中の制服に変わっている。
「こんな時間に何の用だ、カナ」
 どうして俺の家を見つけたのかがそもそもの疑問点だが、それはさておく。おそらくは住所を頼りに来たのだろう。
『学校、行くよ!』
「まだ早すぎるし、一緒に行くと行った覚えはないんだが」
『いいじゃん』
 即答。
「……まあいいけど、誤解されるぞ」
『何が?』
「付き合っているんじゃないかって」
『……だ、だから早く行くの!』
 モニター越しに顔を赤らめた様子が確認できる。
「解った解った……少し待っててな」
 俺は母さんに断った後カバンを持ち、靴を履いて外へ出た。だがドアを開けると
「スーツケースは!」
 カナが怒り気味に言う。いけない、今日からは持ち物が増えるのだ。急いで自分の部屋へ戻り、黒のスーツケースを持ち出した。このスーツケースには手錠や携帯無線機など、今日からの学校生活に必要となるものが詰まっている。忘れたらそれこそ、大変なことになるのだ。
「ほんと、トロいんだから」
 多分怒っているんだろう。母さんに「いってきます」、と声をかけてから家を出る。
「で、何で一緒に登校する必要があるんだ?」
 正直な疑問だった。研修でも一切触れられなかったしな。
「交番の巡回パトロールみたいなものかな。警察官ってのは二人一組で行動することが多いのよ」
 よく解らない理屈だが、説明してくれただけいいか。
「子ども警察官っていうのは、刑事警察とか地域警察・警備警察などがある中でもそれらに囚われない存在なの。便宜上地域部所属ってこともあって、地域警察との関わりが強いけどね。それでも時には刑事課や生活安全課が担当するような仕事もする。これもその一つ。まあ、八白にいた時は研修先の課っていうのが決まってたのはあるけど」
 なるほど、よく解らない。
「その時は地域課担当だったな。会計課との二択だったからしょうがないけど、本当は刑事課がよかったなって。まあ、ローテーションを崩すわけにはいかなかったから」
 カナは長々と思い出に浸っている。その語りをBGMにして登校。音楽ではないが。
 十分ぐらい歩くと学校に着いた。門は開いていない。
「早かったね」
 カナは苦笑いしているが、七時十分といったら部活動の朝練すら始まっていない。
「言っただろう、早すぎるって」
「だって、どれだけ時間がかかるか判らないじゃない。途中で事件とか起こるかもしれないし」
「よっぽど運が悪くなければ無理」
「そうだけど、それで学校遅れちゃいけないから」
 まあな。しかし早すぎるのもどうかと思う。
 少し待っていると先生が来て、校門を開けてくれる。校舎に入ると俺達は真っ先に教室へと向かった。教室に着くと、カナはスーツケースを開ける。俺もそれに倣った。
 固いウレタンで移動しないよう区分けされている各種の装備品。夏服ということもあり、目立たないよう普段から付けるものは限られる。まずは警察手帳。付属する紐の片端をシャツの裏、母さんが作ってくれた穴に通して結ぶ。もう一つは警笛で、そちらも同じ所へ。最後に「CP」の文字がデザインされたピンバッジを襟に付けた。校内での通常業務時はそれだけである。他には黒いアルミ合金製の手錠や無線機なども装備として所持しているが、目立つので夏は身につけない。もちろん拳銃は支給されていないが、これは元々刑事と同じ私服警察官扱いということに由来する。つまりは拳銃を持つ可能性もあるということで、操作方法について学ぶ訓練自体は受けた。ただ子供に物騒な物を持たせたくないという社会的心理もあり、持つことはおそらくないと思われる。
「ちゃんと覚えられたじゃない」
 カナに褒められる。まあ装備品も少ないし、何より研修が終わってから何度も練習させられたからな、そこにいるあなたに。
「さて、まずは校長に会いに行くわよ」
「いや、何でそうなる?」
 前後の流れがよく解らない。
「一番の理解者だし、学校の最高責任者だから挨拶しておかないと」
 それはそうか。
 という訳で教室には教科書が入っている方のカバンを置き、スーツケースのみを持って職員室へ。カナは当然ながら校舎の構造を把握できていないので、俺の後ろを付いてくる。
「失礼します! 校長先生はいらっしゃいますか?」
 職員室の前に着くとカナは俺を追い越し、勢いよくドアを開けて言った。
「え……あ……」
 しかも指名された本人はちょうど良く正面にいて、困惑の表情を見せる。まあ、落ち着いていられたらそれはそれですごいが。
「ああ、CPの生徒さんか。なるほど、わざわざ来てくれたのは話があるからだね」
「はい」
 さすが、校長先生。けど話の内容までは推測出来ないだろう。俺も知らないし。
 ひとまず、校長室の中へと移動した。例のソファーに座り、今日はカナから話を切り出す。
「まず、二人目の子ども警察官です」
 そう言って、カナは俺を指差した。
「そうか、名前は何と言うのかな」
「鈴木浩和です」
「そうか、頑張りなさいよ」
「次に──」
 俺の話題はもう終了かよ。
「──この学校にCPがいるってことを、あまり広めないで頂けますか?」
「それは、どうしてだ」
 校長先生が聞く。俺も知りたい。
「神奈川県警の方針です。この事業は愛知県に続き二例目の実施ですが、愛知県で『子ども警察官』自体が狙われた事件があったので。また、もし先生達に被疑者《マル被》がいる場合にも活動が困難になります。わたし達から隠れるのならともかく、最悪わたし達に身の危険が生じます」
 中学生が活動を行うため、身の危険を少しでも小さくしようという措置。私服警察官扱いで活動する為、秘匿性を確保するという理由もあるのだろう。しかし何となく、上手くいかない気がする。
「解った、それだけか?」
「はい」
「では、存分の活躍を期待しているよ」
 カナは立ち上がって軽くお辞儀をした後、俺の腕を引っ張って校長室を出て行く。もう習慣になりかけている、その行動。事情を知らない他人が見たら、仲の良いカップルだと誤解するかもしれない。そんなことを引っ張られながら考えていると、ふとカナは立ち止まったらしい。俺は気付かずに慣性のままカナにぶつかって、しかも予想外だったらしくカナは素直に、前のめりに倒れる。俺の腕はつかんだまま。よって、俺もカナの上に倒れ込んだ。
「痛っ! もう! ……え?」
 俺の顔に、カナの髪の毛が当たっている。多分シャンプーの物だろう、ラベンダーの香りが入ってきた。そしてさらっとした感触。
「ちょ、ちょっと……重いよ……」
 さっきまでの言動が嘘のような、弱々しい少女の声で。それがカナの声と認識するまで俺は動けなかった。理解してやっと、俺は我に返る。急いで起き上がり、手を差し出す。
「え……、うん、ありがと……」
 カナが、真っ赤になった顔を上げてきた。
「大丈夫か?」
「……うん」
 微かに、頷く。
「顔、真っ赤だぞ? 頭でも打ったか?」
「……え」
 カナは勢いよく飛び起きた。真っ赤な顔が、さらに赤く染まっている。まるで、真っ赤になったことに真っ赤になったような。きっと問題ないだろうが、一応聞く。
「保健室、行くか?」
「大丈夫、何でもない!」
 カナはいつもの口調(俺の印象的に)に戻り、何かを振り切るような感じで言った。
「さあさあ教室に戻ろ! 道案内して!」
「りょう、かい」
「きゃあ!」
 今度は単独で転んだ。

* * *

 教室に戻ってきても、誰一人いなかった。まあ、部活動の朝練以外でこんなに早く学校へ来るクラスメイトなんて、他にいるとは思えないけど。
「無線、聴いてる?」
 カナが聞いてくる。もちろん。教室に戻ってきた後無線機を取り出してインナーホンをつなげ、良いとはいえない音質のものを。ちなみに内容は
『港北署管内、JR新横浜駅前の車道上で泥酔した男性が踊っており通行の障害になっているとの通報。駅前|交番《PB》は至急対応せよ』
というものだったが。
「県内系のものしか与えてくれないなんて、不便よ!」
 彼女いわく、警察無線には大きく分けて「県内系」と「署外活動《しょかつ》系」、「部隊活動系」というものがあるらしい。簡単にいえば「県全域用」と「各警察署用」、「個別活動系」といった所か。
「八白《やしろ》には子ども課専用系統があったのに。ほんと、使いにくい」
「二人しかいないからな。準備する余裕もなかったんだろう」
「まあそうかもしれないけど……。せめて浜浦署の署活《しょかつ》系だけでも聞けるようにして欲しいな」
 その頃無線は
『相模原署管内、相模原市|鳩鹿台《はとしかだい》二丁目の民家で窓を割る人物がいるとの通報』
 時間帯を間違えた泥棒による空き巣事件を報じている。確かに自分達とは関係ない地域の情報ばかり。カナの気持ちも解らなくはない。
『自ら七二より神奈川本部』
 今度は自動車警ら隊と警察本部の交信だ。
『こちら神奈川本部。自ら七二、どうぞ』
『蛯尾浜市の……桜北町《さくらきたちょう》、』
 この学校がある町だ。
『桜北町四丁目で倒れている男性を発見。どうぞ』
「ほら来たーー!」
 カナが思い切り叫んでいる。喜ぶことでは決して無いのだが。
『了解、外傷は?』
『背中に出血多量。刺し傷だと思われます。どうぞ』
「ほら、行くよ」
 カナが袖を引っ張ってくる。
「学校外の事件だろ、これ」
 昨日の研修で、俺は地域部長に言われた。子ども警察官というのは「学校内の」治安維持が主たる目的であると。それに照らすと、出動する根拠が無い。
『生死は解るか、どうぞ』
『微かに意識はあります』
「学校の治安に影響するかもしれないの! そんなことくらい解るでしょ!」
 そんなカナの言葉を裏付けるかのように、無線が告げる。
『被疑者《マル被》に関する情報は』
『目撃者によると、被疑者《マル被》は中学校方向へ向かったとの──』
「早く行くよ!」
 そう言って、先ほどよりも強く引っ張ってくる。まあカナの言う通りだったし、仕方なく付いていく。
「スーツケースからサイレンを出して!」
 子ども警察官専用装備として、GPS・サイレン付赤色灯が支給されている。けど、走りながら出せと。
「あ、やっぱいい」
 どっちだよ。そう言おうと思ったがカナはスーツケースを持った手で、携帯電話のような物を操作しながら走っている。どれだけ器用なんだか。
 その頃無線では逃走犯の特徴が報告されていた。赤のTシャツにジーンズ、茶髪の若い男らしい。
「見かけたら職務質問《しょくしつ》かける。拒否されても引き延ばす。抵抗されたらとりあえず『刑法第九十五条』で捕まえる」
「ケイホウダイキュージューゴジョーって?」
 そんなこと言われても、ピンと来ない。刑法っていうからには犯罪について定めてありそうだが。
「公務執行妨害《こうぼう》よ」
「それ、職権乱用だろ」
 とりあえず公務執行妨害で捕まえ、本来の容疑について取り調べ自白させるという方法。報道などでかなり問題となっている手段を、カナはあっさり提案した。よく冤罪の温床と言われる、あれを。
「刑法の二〇三条とか、二〇四条の現行犯では逮捕しづらいの! 現場から逃走してる時点で明確に犯人とは断定出来ないからね」
「まあ、確かに」
 よく解らないが。
「それにCPは令状《れいじょう》を伴う逮捕、いわゆる通常逮捕は出来ないの。逮捕状の請求権が警部補以上ってこともあるし、その権利を持たせる理由も無い」
 それは解った。それより
「その、二〇三条とか二〇四条に当たる犯罪って何だ?」
「殺人未遂と傷害よ」
「へぇー」
 そういっている間に、正門まで着く。門を一歩、出ようとすると
「こら、何をしている!」
 早速、先生に呼び止められた。
「あ、いた!」
 カナは何かを見つけたらしく、走り出す。袖を引っ張られるので俺も連れて行かれる。先生も焦って追いかけてきた。前を見ると、確かに無線で聞いた容姿通りの男が挙動不審に歩いている。カナは大胆にも、声を掛けた。
「そこの、茶髪で赤Tシャツの人!」
 男は一瞬ビクッとなるが、すぐに
「て、てめえ何か用か!」
 怖い口調で言い返してくる。けれどもその言葉の裏に、何か後ろめたさを感じた。
「えーと、はい、少し聞きたいことがあって」
「はあ? てめえ何様のつもりだ!」
「当ててみて」
 少し話の辻褄が合っていない気がする。彼は、確実におかしい。それは俺にも確信に近い形で理解出来た。そんな人物に対してもカナは物怖じしない。むしろ挑発しているような。
「おい、なめてんじゃねぇぞ!」
 男はカナにつかみかかろうとする。それを、
「まあまあ……、落ち着いてください……」
 先生がなだめようと間に入ってきた。その顔は恐怖からか少し引きつっていて、先ほどまでの貫禄はさてどこへ消えたのか。
「おいてめぇ!」
 しかし先生の仲裁は無意味だったようで、男は相変わらず怒っている。しかし、若干の焦りも感じられた。
「いい加減にしねぇと、どうなるか解らせてやる!」
 左手を腰に回し、男は隠していたナイフを見せてくる。刃渡り五センチほど、そして所々に付着した液体状の「赤いもの」。
「よし!」「おいやめろ!」
 カナと先生が同時に動いた。カナはスーツケースを後方に投げ、先生はカナを守ろうと一歩前進。カナの言葉が不思議に思われたのは一瞬だけ。このナイフの血こそが、事件の証拠だ。俺は持っていた無線機のスイッチを押し、マイクに向かって叫ぶ。
「蛯尾浜中部中正門前にて被疑者発見!」
 カナは先生を押しのけ、男の方へ。一歩目と同時に右手を腰に当て、二歩目と同時に警棒を取り出していた。スーツケースに入っていたはずだが、果たしていつ取り出したのか。三歩目で振り下ろされ、それと同時に伸びた警棒の先はナイフに命中、凶器を叩き落とす。
「てめぇ、何者だ!」
 そう叫びながらナイフを拾おうとする男の手を、カナは再び警棒で叩いた。痛さで顔をしかめ怯んだ一瞬、カナはまたいつの間にか腰に付いていた黒い手錠を左手で取り、男の左手へとはめる。
「そうね、警察官って言ったら解るかしら?」
 右手も強引につかみもう一方の輪っかにはめた。
「で、あなた」
「は、はい!」
 警察官だと判った途端、男は素直になる。抵抗する気力を無くしたらしい。
「さっき同じ町内で起こった事件も、あなたの仕業よね?」
「はい……」
「で、人を殺す気があったのか、なかったのか、それだけ教えて?」
「え、えーと……、ありました」
 不思議なくらい素直だ。
「では刑法第百九十九条の二〇二条適用、まあつまり殺人未遂の容疑で現行犯逮捕する。銃刀法違反も付くわね」
「は、はい……」
 サイレンを鳴らしてパトカーも集まってきた。白黒や覆面仕様など、総勢十台。警察官が一斉に降りてきて俺達の許へ集まってきた。
「誰か、時間を」
 カナが聞く。その問いに灰色の背広を来た男が腕時計を見ながら
「八時ちょうどです」
と答えた。カナは少し微笑む。
「ありがと。で、あなたは?」
「浜浦署刑事課捜査一係の、吉永充《よしながみつる》警部補であります! 貴女は、噂の子ども警察官ですね?」
 吉永と名乗る男性刑事が敬礼をし、カナも敬礼を返す。
「ええ、そうです。手錠、持っていますよね」
 何故か、は知っている。研修の時に教えてもらったから。子ども警察官は専用仕様の手錠を使っているからだそう。
「はい、当然です」
 吉永刑事は左手を腰に当て、背広に隠れていた手錠を出す。見た目ではどの点がCPと異なるのか判らない。カナは胸ポケットから鍵を取り出し男に付いている手錠をいったん外す。ほぼ同時に吉永刑事が手錠をはめた。
「殺人未遂と銃刀法違反での現行犯人です。情報を聞き巡回へ出たところ対象と遭遇、職務質問の途中抵抗されたため逮捕に至りました。なお取り出したナイフに血が付いていたため当該事件の被疑者《マル被》として判断しました」
「了解。証拠品は、足下のナイフですね?」
「ええ」
「取り調べは我々|所轄《しょかつ》が行いますので、気になる点があったら署の方まで」
「解っています。では」
 カナは右手を額に当て二回目の敬礼をする。俺もカナに倣った。
「お疲れ様です」
 吉永刑事も敬礼を返し、被疑者を連れて車の方へ戻っていく。ナイフは別の刑事が白手袋をはめた手で回収し、透明の袋に入れ持っていった。パトカーは続々と去って行き、瞬く間に日常が戻ってくる。
「でもこれって、学校の治安維持に必要だったのか?」
「判らない。けど、第二の事件が起こる前に犯人を逮捕することが出来た。起こす気があったかは別としてね。『後悔先に立たず』って言うでしょ?」
 確かに。だけど
「どう見ても、学校に忍び込む気は無かったんじゃないか? 先生もいるし」
 陰でつながっていたのなら別だが、そんなのは信じたくない。これでも俺は、この学校の生徒だ。
「そうね、そうかもね」
 カナは何故か、意味深な反応。
「き……きみらは……」
 すっかり蚊帳の外に置かれていた先生が、声を発する。それが耳に入り俺達は校舎側へと振り返った。そこには腰を抜かしたらしい、男性の姿が。
「子ども警察官。聞いたことある──ありますよね?」
 突き放したような口調。目上の人には丁寧な言葉遣いを心がけているらしく文末を言い直したが、何か気になる。一方先生の方は普通の人間でも見て判るくらい明確に、驚いた。
「あ、これ他の人には秘密ですよ。では仕事、頑張って下さいね」
 俺は軽くフォローした。そのまま二人でその場を立ち去る。カナはスーツケースを拾いつつ。

* * *

「あの先生、やっぱ怪しい」
 校門から少し離れた所でカナは立ち止まり、言った。さっきの態度はやはり意味があったようだ。
「え?」
 一応聞き返す。
「絶対何かを隠してる。CPだと知った時のあの驚きよう、半端じゃなかった」
 そういって俺を見てくる。その眼は、確実に刑事としての眼。
「そう、か……」
 そんな眼で見られたら、反論する気も起きない。
「あの先生の名前、判る?」
「名前?」
「うん」
 そうだ、まだ転校してきて間もないからな。
「あれはここの副校長。名前は水島《みずしま》……渉《わたる》」
「ミズシマワタル先生ね。ちょっと待って、犯歴照会してみるわ」
 そう言って、さっきも操作していた携帯電話のような機械をスカートのポケットから取り出した。
「ちょっと待って、携帯電話は持ち込み禁止だぞ」
 俺は慌てて注意したが、カナは気にする素振りを見せない。見つかったら面倒なんだけど。
「それに、先生だぞ? 悪いことなんてしているはずは──」
「先生だからという理由だけで信じられたら、どんなに楽か判る? 現実は違う。先生が被疑者になった事件はたくさんある。わたしがCPを目指すきっかけとなった事件、あれだってそうよ。時には親だって疑うのが刑事の仕事。CPの仕事は捜査活動も含んでいるんだから、それは心に留めておかないと駄目」
 カナの言うことはもっともで、反論は出来ない。けれど心の中ではやっぱり、先生という肩書きを信じていたかった。
「一応、照会はシロね。でもこの様子だと未発覚事案がありそうだけど。警戒しておくに越したことはないわ」
 カナは携帯電話らしきものの画面を確認し、淡々とした口調で告げる。俺の気持ちを配慮してくれたのか、それ以上は言わない。しばらく、無言の状態が続いた。
「……教室に戻ろっか。いつまでも立ち話してるってのもあれだし」
 カナは顔を少し赤らませて言う。どうして、かは判らない。多分さっきの演説調のあれは恥ずかしかったのだろう。
「早く!」
 思い切り袖を引っ張られて、仕方なくついていった。

* * *

 教室には既に数人のクラスメイトがいた。俺達が入ってくると、彼ら彼女らは
「浩和、部活やって無いのにはやいなぁ!」
「香奈ちゃんって来るの早いんだ〜」
 まずは「登校が早い」で盛り上がる。しかし
「あれ? 二人一緒なんだ」
「おい、仲いいじゃねぇかよ」
「ほんとに転校生だよね?」
 話題はすぐに切り替わった。やっぱり興味の対象はそちらへと向く。チェックを続けている無線機からは
『神奈川本部より高速隊へ。東名高速上り線・海老名《えびな》サービスエリア付近で狸が車にはねられた模様』
 蛯尾浜市とは関係のない交信。そんなものが多数であるから、ピックアップするだけでも大変な作業だ。しかも無線機だけを延々と集中して聞ける訳でもないし。
「校内パトロールするよ」
 カナは踵を返し教室を出て行った。俺も急いで追いかける。何故だろう、カナはいつもより早足だ。
「何なの、あいつら」
 怒っている様子。とりあえず
「クラスメイトだよ。あそこら辺は陸上部のメンバーだな」
とだけ言っておく。
「そんなことどうでもいい。何なのあの思い込みは!」
 しかしカナには焼け石に水だった。まあ同感だけど、理由あってのことだ。
「まあ、来て早々の転校生が異性とこんなに親しくしていたら、そう思うだろうな」
「うるさい! CPっていつもそう。規則で異性とペアを組んでるのに、部外者にはいつも誤解される!」
 八白という所でもカナが子ども警察官をしていたことは、初対面の時聞いた。今の言葉ではその時も異性と組んでいたという意味に取れる。
「ってことは、前も?」
 確認の為、聞いてみた。
「ええ。レジェンドCPのイメージが強くて、皆が皆元々カップルだったと誤解される。あの二人だって、元は偶然組み合わされた結果に過ぎないのに!」
「じゃあ、俺はたまたま選ばれたってこと?」
 話の流れからすると、そう取れる。
「違うわ。あなたはわたしの指名。わたしがなって欲しくて、なってもらったの」
「なぜ俺?」
 となるとそれが大いに疑問だ。するとカナは顔を少し俯かせ
「……警察官としてのカンよ」
 一言、それだけ言った。見事に、曖昧すぎる答え。
「……それだけ?」
 チャイムが鳴る。これは八時二十五分、予鈴のチャイムだ。
「じゃあ、戻ろっか」
 少しだけ微笑む、カナ。
「……パトロールしてないぞ」
「いいじゃん」
 いいのか?と思いながらふと横を見ると、カナはいない。後ろを振り返ると、カナは既に教室へと歩き出していた。俺も慌てて引き返す。
「そういえば無線のイヤホンって、授業中も付けてないと駄目か?」
「当然よ」
 即答、か。
「先生への事前説明もなし?」
「ええ、あまり広めたくないわ」
「それはかなり難しいと思うぞ。カナは髪で隠せるからいいとしても。イヤホンも黒だし」
 確実に目立つ。そして先生に呼び出される。授業中に音楽聞いているとは何事だ、と。いくら規則だからって言われても非現実的である。カナも言われてから初めて気付いたのか、
「そうね、解った。わたしがチェックしてるから、もし何か入った時は知らせるわね。席も隣でちょうどいいし」
 妥協案を提示してくる。もちろん異議なし。
 二度目のチャイムが鳴る、同時に担任が入ってきた。
「えーと、ST始めるぞ。えーと室長、あいさつ」
 いつもの「えーと」口調でSTは流れていく。その口調は多分故意的だということが先日判明したが。
「……蛯尾浜市ヒノチョウって何処」
 途中、突然カナが尋ねてくる。おそらくは無線で聞いた地名だ。
「火野町《ひのちょう》は──市の北東部で東部中の学区。高校が開校して急速に発展した地区だな。俺が生まれる前だけど」
 火野町にはこの市唯一の高校、県立火野高校がある。どうしてそんな物騒な地名が採用されたのか、理由は知らないが。
「東部中学区ね、なら今の所は関係ないわね」
「関係あったら、現場に行くつもりだったのか?」
 カナは少し考えて、
「いいえ、行かない。この学校のCPはわたし達だけだもの」
 他の学校には存在すらしていないけどな。
「それに、学校抜け出すと色々面倒だから」
 確かに。だが
「さっきは堂々と抜け出したよな」
 言動が一致していない。
「学校の治安に干渉するものだからよ。それに、授業前でしょ?」
 カナにとって、矛盾している訳ではないようだ。
 一時間目が始まっても、俺は緊張していた。いつも通りの先生、いつも通りの授業のはずなのだが。隣にいるカナは左手で頬杖をついている。右手だけはせっせと動き板書を写し取っていく。無線も聴きながらだから、本当、器用だな。
 ふと、カナは顔を上げた。そして胸ポケットから小さなノートを取り出し、ミシン目でページを一枚だけ切り取る。その切れ端に何かを書いて
「はい」
 その紙は俺の許へ。走り書きで
『二の三教室で窃盗の疑いあり。放課に現場確認』
と書かれている。つまり一緒に行こうって訳だな。「放課」は確か……休み時間のことだったはず。
「鈴木浩和さん、続きを読んで下さい」
 教科担当の諫山《いさやま》先生に突然指名された。続き、と言われてもまじめに追ってなかったのでどこだか判らない。慌てていると
『五十七ページ三行目から』
 そっとカナが紙を差し出してくる。無線を聴きつつ授業もちゃんと受けているなんて、恐ろしいほど器用だ。世にいう「天才」って奴か?
 俺は立ち上がって、教科書の「五十七ページ三行目」から読み始める。

 三人は又トロッコへ乗った。車は海を右にしながら、雑木の枝の下を走って行った。しかし良平はさっきのように、面白い気もちにはなれなかった。「もう帰ってくれれば好い」──彼はそうも念じて見た。が、行く所まで行きつかなければ、トロッコも彼等も帰れない事は、勿論彼にもわかり切っていた。

 読みながら思う。この『子ども警察官』という仕事も「行く所まで行きつかなければ」辞められないものかな、と。行く所って、それは定年まで警察官を続けることなのか。それとも……。
「ありがとう」
 一つの形式段落を読み終わり、諫山先生は俺に座るよう促した。俺はすぐに着席する。諫山先生は今の箇所について解説を始めた。
「えー、この部分は『トロッコ』を三人で押していた『良平』の気持ちが動き始める所で、例の二人に──」
 授業はただ平凡に過ぎていく。
 国語の授業が終わると、カナは俺の手を引っ張りつつ見事なスタートダッシュを決めた。予想していた範囲内の出来事だったので、椅子から転げ落ちるという失態を演じることはない。走りながらカナは聞いてくる。
「で、二の三って何処?」
 階段に向かっていることからして、さすがに上の階だということは判るらしい。
「三階の、真ん中ら辺!」
 走りながら答えるのはなかなか辛いものがある。答えられたのはその一言だけ。
「解った!」
 今頃教室では、俺とカナが実はどうとか、そんな決定的な根拠の無い噂が立っているに違いない。まあこんなことをしていたら因果応報、当たり前である。カナはまた怒るかもしれないが、それは仕方ないし、俺にはどうしようもない。
 二年三組に着くと、カナはまだ残っていた先生であろう男性に
「窃盗嫌疑事案《せっとうけんぎじあん》について教えて下さい」
 開口一番そう聞く。男性教師は訳が解らなさそうな感じである。事件を知らないか、言葉の意味が解らないか。まあ、そもそも他クラスの生徒がそんなことを聞いてくるのが奇妙ではある。
「えっと……俺、いや僕達は子ども──」
 説明しようとしたが、言い終わる前に頭を軽くはたかれた。さらにカナは俺の服を引っ張り教室から出す。一言目がこれ。
「何、馬鹿正直に名乗るのよ」
 カナはしかめっ面。けれども、な。
「じゃあどうやって聞き出す?」
 警察だと名乗る以上に効率的な手段があったら教えてくれないか? カナは少し考えている様子を見せたが、名案は浮かばなかったらしい。
「解ったわよ。まあ彼からは何も出て来なさそうな感じだったけど」
 これが世にいう「開き直り」か。細かいことは置いておいて、つまりは
「このクラスの担任に聞くのが一番か」
「うん」
 カナは肯定する。なら最初からそうして欲しかったのだが。
「あ、あの、えーっと」
 追いかけては来たもののすっかり蚊帳の外に放置されていた男性教師に
「すみません、やっぱりいいです」
とだけ断りを入れ、
「さあ、早く教室に戻ろ?」
そう俺に言いながら、右腕を引っ張った。まったく、今日はカナに振り回されっぱなしである。あ、今日もか。

* * *

 三時間目から四時間目にかけては、平凡な日常が戻ってきた。カナは交信が絶えない無線を聴きながらも授業をバッチリ受けるという神業を難なくこなしていたし、俺はそれを観察しつつ必死で授業を受けていた。そんなことをしていたおかげで、四時間目終了のチャイムが鳴る頃にはすっかり疲れ果ててしまっている。まあ次は給食だ、体力も回復するだろう。
「今朝の事件、何か引っかかるんだよねー」
 いや、全快という訳にはいかないらしい。右手でシャープペンを回しながら、対面に座るカナが話しかけてくる。
「気にし過ぎだって」
「そうかなぁ? わたし、絶対裏があると思うんだけど」
 カナはシャープペンを落とす。髪に隠れた左耳にはまだイヤホンが付いていて、無線を聴いているのだろう。いや、絶対そうだ。カナなら。
 教室は白いご飯に牛乳、八宝菜、サバの銀紙焼き、それにプリンだった。特に嫌いなものは無かったので残さず食べる。カナはというと、食べている間は終始無言だったが早々と十分で完食すると俺に話しかけてきた。
「楽器って、何吹ける?」
 意外にも事件の話題ではない。まあ、唐突ではあるが。
「ほとんど何も。そうだな、リコーダーくらいかな」
 吹けるといっても授業でやったからで、ほとんどの人が出来るレベルである。
「わたしはね、トランペットをやってたんだ。前の中学では吹奏楽部《すいぶ》に入っててね、夏のコンクールとか出たんだ。しかも金賞だよ。でもね、その上の県大会には行けなかった。いい成績ではあったけど、何か物足りないっていうか」
 吹奏楽のコンクールについては幼なじみの橋野さんが説明してくれたことがある。大体四十人くらいで課題曲と自由曲の合計二曲を演奏し、審査される。その結果で「金・銀・銅」の三つにカテゴライズされ、「金賞」の上位数校が県大会に行けるとのことだ。ただこの学校の、今年の結果はC、つまり銅賞だったらしい。カナが入ったとしたら何となく一つくらい狙えそうな気がするが、気のせいだろうか。
「ここでも吹奏楽部《すいぶ》に入ろっかなって思ったけど、やっぱ今は忙しいからね。もうちょっと慣れたらありかもしれないけど」
「つまり俺次第って訳か」
 俺がちゃんと仕事をこなせるようになったら。それまでカナは待っててくれる。そういうことだろう。
「うん。あと、もしわたしが吹奏楽部《すいぶ》に入ることになったら一緒に入ってね」
「え!?」
 そんなこと言われたって、俺はリコーダーしか出来ないぞ。
「大丈夫大丈夫、慣れれば結構簡単だよ?」
 そうカナは言うが、カナの言う「簡単」はそう簡単ではないイメージがある。
「あ、昼放課に職員室で聞き取りね。解った?」
「ああ」
 早くもカナの使う方言の理解スピードが早くなっている。クラスの中で一番一緒にいると言われても否定出来ないくらいだからな。
 教室の後には掃除があって、カナは担任の策略か俺と同じ班に入った。掃除区域は南側校舎の二階、西の端にある化学室。ガス栓付きの、作り付けられた大きな机が六つ並ぶ部屋である。部屋の片隅にはガスバーナーや、試験管を一定の高さに固定しておく台などが置いてあって、まあ普通の中学校と変わらない設備や備品だと思う。他の学校を見たことが無いのでしらないが。
「ほら、ちゃんと掃除するよ!」
 掃除はしっかりとやりたいらしい。俺も仕方なくほうきを持つ。
「そういえば、この学校にも文化祭ってあるんだよね?」
「ああ、来週の土曜日にな」
 この学校は公立学校にしては珍しく、文化祭を土曜日に行う。理由は定かではないが、より多くの人に発表を見てもらうため、らしい。
 掃除終了のチャイムが鳴ると、カナは俺の腕をつかみ化学室を脱出。予定通り職員室へ。
「まず校長先生を呼んで、彼立ち会いで二年三組の担任に今回の事案の説明をしてもらうつもり。場合によっては被害者に事情聴取ね」
 カナが段取りを説明してくれるが、つまり「俺の休み時間はない」ということで。
「失礼します、校長先生いますか?」
 職員室に着き、入り口を開けると同時にカナは言う。ちょうど目の前に校長先生はいた。
「毎回お疲れ様。君達の事だから来るとは思っていたけれどね」
 そんな彼に連れられて校長室に入ると、そこには先客がいる。一人の女性ともう一人、俯いた少女の姿。
「二年三組担任の高橋ですけど、話があるっていうのはあなたたちですか?」
 驚いた表情を見せながらも、女性は名乗って聞いてくる。その反応は想定の範囲内だったらしく、すぐにカナは胸ポケットから警察手帳を取り出し、開いて見せる。
「神奈川県警地域部子ども課準備室の、安江 香奈です」
「同じく、鈴木 浩和です」
 俺も同じように見せた。
「はあ!? あなたたちが警察ですって!? ちょっと、冗談はやめてよ」
 高橋先生は全く信じられない、といった様子で校長先生の方を見る。
「ちょっと、この子たち正義感からかなにかは知らないけどハッタリかましてるんじゃなくって?」
「本当の話ですよ、高橋先生」
 校長先生は落ち着いて言うのだから、高橋先生は余計に疑いを掛けてきた。
「証拠は?」
「だから、これです」
 カナは冷静に、改めて警察手帳を示す。
「だって、それ茶色いじゃない! 普通、警察手帳って黒じゃ──」
「それはドラマの中での話です」
 高橋先生の言葉を封じるように、カナは口を挟んだ。
「本物の警察手帳は焦げ茶色です。警察手帳というのは警察官であることの身分証明ですから、寸分違わぬものを作るのは犯罪です。ただ実際のところテレビドラマや演劇では必要なアイテムなので、黒地の手帳が使われる訳です」
 カナはあくまでも事実をもとに話す。高橋先生も不満ながら納得したらしく、
「理屈は通っているわね」
 そう言葉を漏らした。だが
「けど、何故学校内の事件に警察が出てくるのか、理解出来ないわ」
とも呟くのだから、カナの逆鱗へと触れてしまったようだ。
「それが、わたし達子ども警察官の仕事です! わたしからこの仕事を取らないで下さい!」
 カナは俯く。俯きながら呟く。
「わたしからこの仕事を取ったら、いったい何が残るんですか……」
 カナの弱い面、普段隠している面が少しだけ見えた気がする。
「まあまあ、落ち着いて。とりあえず事件について話をしようじゃないか」
 校長先生が二人の間に入り、その場をなだめる。カナは髪全体を手で一払いして、その一瞬で刑事の顔へとなっていた。
「──窃盗被疑事案について話して頂けますか」
 高橋先生は少し不満そうな顔をしながらも、隣で縮こまっている少女に、話すよう促す。
「……え、えっと──」
 今にも泣き出しそうな声で、少女は話し始めた。
「私、朝の七時半くらいに、その、学校に来たんですけど、あの、私吹奏楽部に入ってて、教室に荷物置いて、その、練習行ったんです。そしたら、その、帰ってきたら、かばんが開いてて、その、調べてみたら、なかったんです。あの、財布が」
「どれくらい入ってました?」
 カナは少女の目を見て話す。
「あの、えっと、三千円くらい……」
「教室に帰ってきたのって何時くらいか判りますか?」
「えっと、八時十五分過ぎ、くらいかな」
「あとあなたの名前を聞かせて下さい」
「渡辺≪わたなべ≫、愛理≪えり≫です」
「最後に、」
 カナは少し微笑みながら語る。
「もし犯人が判って、そして謝ってくれても、これを事件にしますか?」
 少女は驚いたようだった。俺も予想していなかった設問。しかしカナは続ける。
「もし事件にしたくなければ、わたし達が止められる。事件にしたければ、わたし達は報告する。被害者はあなたですから、あなたが決めるべきことです」
 少女は少し俯き、二、三分ぐらい後になって顔を上げる。
「もし、謝ってくれるなら、私はその人を許します」
「解りました。聞き取りは以上です」
 カナは立ち上がり、深々と礼をする。俺もそれに倣った。カナの事情聴取を見ていると刑事ドラマのような厳しさはなく、人情味あふれると言った方がいいような。これが本来の形なのだろうか。もちろん、人によって方法は異なってくるだろうけど。
 カナは校長室を出るとすぐに、俺に確認を取ってきた。
「この学校って、お金とか持ってきていいの?」
「いや」
 携帯電話やお金を持っていくことは校則で禁止されている。まあ、守っていない人も多いけどな。
「そうだよね。だったらお金を持っていることを知っている人物、つまり友達とかの可能性が高いっていうこと」
「ああ、だから……」
 あの時事件にするか尋ねたのは、そんな理由からだったらしい。
「一応、明日の朝から張り込みね。まあ今日中に解決するかもしれないけど」
 もし仮に犯人が友達だったとしたら、謝罪するだけでも事足りるかもしれない。それが解っていて、カナはこの「事案」──「事件」と言わないことが、その表れでもある──を扱っているのだ。そんな姿を見ていると、やっぱりカナはすごいんだなと感じる。普通の中学生には、こんなことできっこない。俺も含めて。
「そういえば話したっけ?」
 カナは突然話題を変えてきた。
「何を?」
「『|伝説の子ども警察官《レジェンドCP》』の話」
「いや、聞いていない」
 だが、「伝説」と呼ばれる子ども警察官の存在はインターネット上で見たような覚えがある。
「まあ簡単に説明すれば、わたしの師匠ね。藤枝先輩と翔子先輩という高校一年生で、関わった事件は全て解決に向かうという、親譲りの伝説を持つ二人なの。ペアを組んだ当初からすごかったみたいで、四月中旬に学校内で起こった立てこもり事件を解決しちゃったらしいし。
 この前受けた研修で、立てこもりは捜査第一課特殊犯捜査係(神奈川ではSTS)の担当だと教わった。STSは専門知識を身につけているベテランとも聞いたから、拝命早々そんな活躍が出来るなんてまさに「伝説」ではないか。
「そういえば藤枝先輩は、CPとして唯一拳銃を発砲した人物としても有名ね」
「え!?」
 本来、子ども警察官は拳銃を持てないはずだ。制度上は私服警察官で拳銃を持つ義務はないし、そんなこと世間が認めないだろう。
「あの時はCPにも拳銃携行命令が出てたんだって。そして先輩達は被疑者の一人と出会ったらしいの。相手は銃を二人に向け連射してきて、一発は翔子先輩の顔の真横を通過したりもした。藤枝先輩はやむを得ず、空に向かって威嚇発砲を行ったけど、次の銃弾が藤枝先輩の腹部へと命中した」
「う、嘘!?」
 考えもしなかった。まさか、子ども警察官が撃たれたことがあるなんて。
「まあ命に別状はなかったみたい。翔子先輩は『私のお守りが藤枝くんを守ったのよ!!』って、いつもはしゃぎだすんだけど。確か、CPが撃たれたのもこの時が唯一。まだ二年目だしね、他に例があったら逆に困る」
 もしかしたら俺は、子ども警察官というこの仕事をなめていたかもしれない。今日発覚した小さな事件もあれば、世間を騒がすような大事件を担当する可能性もある、それが警察官の仕事なのだ。子ども警察官だって例外ではない。
 予鈴のチャイムが鳴る。カナはふと、俺の方を見て言う。
「まあ、そんな事件は滅多に起こらないから安心して。それに──」
 カナは俺に向かって微笑む。
「あなたが危ない時は、わたしが守るから」

* * *

 五時間目はクラス担任による英語の授業だった。扱うのは短編物語で、タイトルは「The club of written on the book」という。ただ作者は日本人らしい。
「これって元々は、日本語のショートショートなんだよ」
 カナが異様に明るかった。
「元の題名は『机上詩同好会』っていうの。書いたのは八白市在住の作家さんで、デビュー前に書いた作品とかをホームページ上で公開してる、そんな人。これも公開してる作品の一つよ」
「あ、八白の人だからそんなに嬉しそうなのか」
「うん」
 カナは自分の地元・八白が大好きらしい。だから少しでも関係があるものが出てくると、すごく嬉しそうにするのだ。
「あ、これいる?」
 カナは机の中に入れていたファイルから、A4サイズの紙を何枚か取り出す。
「ホームページから印刷してきたの。役に立てばいいかな、と思って」
「あ、サンキュ」
 本当、カナは用意周到だ。有り難くもらって早速、今日やる所辺りを読んでみる。夏休みを挟むのに、担任はきりよく終わらせなかったのだが。

 授業が終わり、俺は担任に頼み込んで×××××室の鍵を借りた。相変わらず机への落書きが多いこの教室。もちろん、最後に「机上詩同好会」として活動したあの日の、彼女の最後の詩も残っている。

「えーと浩和、詩の部分訳してみろー」
 ちょうど読もうとしていた所を、担任に当てられた。なのでそのまま続きを読み上げる。

私は、そう私は生かされている
いつ 絶えるか分からない生命(いのち)だけれども
精一杯がんばって 生きてやる!

私は、そう私はクラリネットを吹く
いつ 吹けなくなるか分からないけども
精一杯がんばって 吹いてやる!

私は、そう私は
今のうちにやりたい事を できるだけたくさん
精一杯がんばって やってやる!

「……浩和、えーと確かに、いい訳だとは思う」
 担任が驚いた顔をしてこちらを見てくる。
「だがな、まず一つ。詩のセンスは求めてない」
 確かに。英語の授業で大切なのはちゃんと意味が取れることで、単語との関係があやふやとなる意訳は避けるべきであろう。
「もう一つ、お前は原文をどこから手に入れた?」
 バレたか。仕方ないので俺はそっと、隣のカナの方を指差す。カナは驚いた様子だったがすぐに
「まあ、この作家さんってホームページ持っているので、そこから」
 そう言って、自然な笑顔で担任の方を見る。
「えーと、まあ……原文を読みたいという気持ちは構わない、むしろ嬉しいぐらいなんだが、そのまま訳に使うという卑怯な真似はしないように」
 担任はその表情で威圧感を感じたらしく、顎を掻きながらその場を収めようとした。だがこの出来事が触れてはいけない話題を思い出させてしまう。
「えーとそういえば思い出したんだが、えーと浩和と安江の二人は、実は子──」
「それは絶対、言っちゃ駄目!」
 カナは俺の腕をつかみつつ立ち上がり、叫んだ。そのまま歩み寄る。担任は平然としていた、訳でもなく少しだけ震えている。
「先生、ちょっといいですか?」
 カナは小さめの声で、話しかけた。担任は少しだけ、首を縦に振る。そのまま三人で廊下を出た。
「わたし達が子ども警察官だってことは、先生達に公表されていても生徒には言わないで下さい」
 カナは担任を見ながら冷静に話す。対照的に担任の声は
「あ、ああ分かった……。それだけ、か?」
と、震えているのが判る。傍目には生徒と教師の立場が逆転しているように、悪く言えば学級崩壊的な感じに見えるのかもしれない。
「ええ、それだけです」
 カナは軽く前髪を払い、
「さ、授業を続けましょ」
笑みを崩さず言って、教室へ戻ることになった。俺の台詞、ゼロ。

* * *

 担任を本気でビビらせた五時間目が終わり、帰りのSTで簡単な連絡を聞き解散となった。荷物をまとめているとカナが言う。
「今朝の窃盗事案の被害者に、会いに行くわよ」
 ああ、まっすぐ家には帰れないか。
 吹奏楽部の練習は南側校舎の西の端、掃除区域だった化学室のちょうど真上に当たる第一音楽室で行われている。さすがは元吹奏楽部、音だけで向かっていた。
「すみません、渡辺 愛理先輩っていらっしゃいますか?」
 ドアを開け開口一番そう聞くが、色々な楽器の音が混じった空間がそれを無惨にもかき消す。カナは少し困ったような顔をして、しかしすぐ何かに気付き明るくなる。俺の腕を引っ張りつつ、部屋の中を突き進んでいく。
「渡辺 愛理先輩、ですよね?」
 そして机で楽器を組み立てていた少女に声を掛ける。少女はふと顔を上げ
「ああ、あの時の……」
と呟いた。顔を見ると確かに、あの被害者の子だ。カナの観察力には驚くほかない。
「ここではちょっとあれなので、他の部屋で話しませんか?」
 少女──渡辺先輩はそう言って、俺達を誘導する。入り口横の机に置いてあった缶の中から鍵の束を取り出し、第一音楽室の隣「楽器庫」のそのまた隣「音楽準備室」の鍵を開けた。中には箏がたくさん置いてあって、電子キーボードと何故かノートパソコンもある、そんな部屋。俺達は足元に荷物を置く。
「だいぶ落ち着いたようですね」
 カナは渡辺先輩の目を見て、そう話を切り出した。
「はい。それに最初警察の人が対応に当たると聞いてドギマギしていた部分もありましたし。けど優しい感じで接してくれたのでだいぶ安心しました」
 渡辺先輩は微笑みを消さないまま話す。ふと頭を傾けると揺れるツインテール。それに加え楽器を持っていない方の手で時々前髪を後ろへと避ける仕草は、先輩という要素を抜きにしても少し惹かれる。きっと天木辺りが見たら、卒倒ものだ。
「一つ、お願いしてもいいですか」
 渡辺先輩の落ち着いた様子にカナも安心したようで、笑顔を崩さず言う。
「わたし達が子ども警察官、出来ればこの学校に子ども警察官がいるってことも、内密にして欲しいんです」
 今頃か、と思ったがこれはカナの作戦であるに違いない。カナはそんな、計算高い人間でもあるのだ。決して悪い意味ではなく。
「あ、いいですけど……。ちりちゃんにはもう言っちゃったんです」
 申し訳なさそうに、渡辺先輩は言った。
「チリちゃんって?」
「木村 千里(きむら ちさと)ちゃん。えっと、私の大切な親友です。初対面の印象は無愛想な女の子だけど、本当は優しい子。今日もずっと心配してくれて」
 カナのことだ、何かしら犯人である可能性を探るに違いない。と思ったら
「親友か……。わたし、まだ転校してきたばかりなのでそんな子はまだいないですね」
 何か、特に気にしてないようだ。渡辺先輩は驚いた様子。
「へぇー、転校してきたんですね」
「ええ」
「あのー、」
 渡辺先輩は少し遠慮がちに切り出す。
「何ですか?」
「よ、よかったら、吹奏楽に入っていただけませんか?」
「へ?」
 思わぬ申し出に、カナも驚きを隠せないようだ。
「いえ、よかったらでいいんですけど……。もうすぐ三年生もいなくなって部員も減ってしまいますし、そうなるとギリギリで回すパートも出てきてしまうので……。今年は一年生も少ないですし」
 カナは少し考える為に間を開けた。内心はやっぱり、吹奏楽に入りたい気持ちはあるようだ。
「もうちょっと落ち着いたら、でもいいですか? 入るか入らないかも含めて」
 具体的に言えば、俺がちゃんと子ども警察官の仕事を出来るようになったら、か。カナが無事に入れるよう頑張らなくては。
「はい、もちろんOKです!」
 一瞬で、渡辺先輩は満面の笑顔になる。この笑顔を見ていたらそれだけに幸せになれると思わせるほどの、幸福感で満ちていた。
 そんな中、誰かがこの部屋の扉をノックする音。
「はい」
 渡辺先輩がそれに応えドアを開けた。すると
「あ、ちりちゃん、どうしたの?」
 渡辺先輩に比べると背丈は大きめの、髪をショートにした女子生徒がいた。
「あの、きみたちは……」
 少し不安げな声で、彼女は尋ねる。
「子ども警察官っていったら、信じるかしら?」
 既に渡辺先輩が教えていることを知っているので、カナは躊躇することなく警察手帳を取り出し示す。それを見て「ちりちゃん」こと木村先輩はますます恐縮したようだった。
「え……えと、すまない!」
「「へ?」」「ちりちゃん」
 一体何を謝ろうというのか。
「えと、これ、なんだけど」
 木村先輩が差し出してきたのは、クリーム色をした二つ折りの財布。
「あ、それ私のです」
 渡辺先輩が驚いて声を上げる。カナも事態の急展開に唖然としていた。
「本当は学校にお金なんて持ってきちゃいけないから、からかうつもりでやったんだ。先生に言うはずがないと思ったし、すぐ返すつもりだった。けど愛理は真っ先に先生へと報告した」
「そしてわたし達子ども警察官が関与したことで、ますます言えなくなった。そうですよね?」
 補足するようにカナが言い、木村先輩は申し訳なさそうに頷く。
「まあ、ありえない理由ではないわね。それよりも、」
 カナは木村先輩を見る。
「改めて、言うことはないですか?」
 木村先輩はハッ、としてカナの目を見て、すぐに渡辺先輩の方へ向き直る。
「……本当、すまなかった」
「いいのいいの。私っていつもちりちゃんに頼ってばかりだから、いつも通り真っ先に相談してくるって思ったんでしょ?」
 渡辺先輩は笑顔を崩さず言う。それに釣られて、木村先輩も少し微笑んだ。
「さてと、あくまでもこれは『事案』だから、警察サイドとしては問題ないんだけど、──」
 カナは突然、というよりは必然的に話題を変える。
「──学校サイドにどう説明するかが問題ね」
 確かに。
「ちりちゃんが何か言われるのは、嫌です」
 渡辺先輩のリクエスト。俺は少し考え、
「家に帰ったら机の中に入ったままでした、とかそういう感じはどうですか?」
 と提案した。カナは「それだ!」と声を上げ、
「ちりちゃんが何も言われないなら、それでいいです」
「愛理がいいなら、構わない」
 先輩二人も同意して、先生達にはそれで通すことに決まった。単なる思いつきを口走っただけだが、「結果よければ全てよし」そんな感じだ。
「そうだ、これから合奏やるので見ていきませんか? 出来れば本番前に一度、感想も聞いてみたいですし」
 カナは「もちろん」と頷く。俺も、同意した。

* * *

 音楽室の入り口近くに椅子を用意してもらい、そこに座って練習風景を眺める。渡辺先輩は持っていた楽器・クラリネットで、木村先輩はフルートだった。指揮者の指示を聞いたところ、一度全曲を通して演奏するようである。指揮者は白い棒を持ち、それを二拍空振りして曲が始まる。
「あ、この曲か。『風之舞』ね」
 一番初め、クラリネット(だと思われる)メロディを聞いた途端、カナは呟いた。
「『カゼノマイ』って?」
 演奏を邪魔しないよう小声で聞く。吹奏楽のことは橋野さんに教え込まれた基本的な部分しか知らないので、「カゼノマイ」と言われてもよく解らないのだ。曲は、金管楽器が一斉に鳴らす場所へと入る。
「正式には『吹奏楽のための「風之舞」』っていう曲。十年くらい前のコンクール課題曲なんだけど、結構いい曲だから今でも時たま演奏されたりするかな。わたしが一番好きな曲でもあるし。──あ、ここ小さすぎるかも」
 俺に曲の解説をしてくれつつも、耳は演奏の方に向いているらしい。それが証拠に、膝の上にメモ用紙を出し感想らしき文字列を書き込んでいる。ちなみにトランペットが金属製の筒を付けてソロを吹いた所だった。自分の吹いていたパートだから気になってしまうのか。
「んー、ここあんまりピッチよくないなぁー」
 と思ったら、今度はホルンパートのことを指摘していたり。
 全三曲(「風之舞」と「HAPPY BIRTHDAY AROUND THE WORLD」という、誕生日におなじみのあれを色々な曲調でアレンジした曲、そして「りんごマーチ」という曲。全てカナの情報による)を演奏し終わった後、曲を細かく区切っての練習となった。「風之舞」の最初に出てくるメロディーや「HAPPY〜」のジャズっぽい部分など、様々な所を何回も繰り返し演奏している。時には指揮者に「トロンボーンだけK四小節目、soliから」などのように吹く楽器を指定されながら。カナはその間も熱心に、感想を書き続けている。
 時間はあっという間に過ぎ、練習の途中で下校時刻十五分前のチャイムが鳴る。きりが付いた所で指揮者が練習の終了を告げ、皆が一斉に片付けを始めた。渡辺先輩は手早く楽器を片付けたようで、すぐに俺達の許へ近づいてくる。
「どうでしたか?」
 笑顔をきらめかせながら、渡辺先輩は尋ねてくる。
「いい演奏でしたよ?」
「正直に話して下さって結構ですよ? 色々思う所があるようですし」
 カナはそれが合図だったかのように、流れる水のごとく語りだした。
「では失礼して、全体としてはよくまとまっていると思います。けど細かい所に粗さが目立ちます。結構言われがちな問題点が中心ですけどね。あ、クラリネットはよく出来ている印象です、お世辞抜きで。でもフルートは小さいし、特にオーボエ。この音が本当に聞こえてこない、サックスはベタ吹きな──」
 渡辺先輩はそんなカナの指摘を食い入るように聞いている。まあ、これほどに分析を加えているとは思ってもみなかっただろう。
「細かい指摘、ありがとうございます」
 カナが長い感想を言い終わると、渡辺先輩は丁寧に頭を下げた。そんな、先輩なのに。
「ところで、香奈さんって吹奏楽部でしたか?」
「ええ、そうでしたけど」
 言わなかったっけ? と言いたげな顔だ。
「やっぱり!」
 カナの分析力はまた別の能力だと思われるが。
「ねえ、香奈さん。今すぐでなくてもいいですから、入ってくれませんか?」
 そんなことは知らない渡辺先輩はカナの前で膝立ちになってカナの手を取り、目を少し潤ませつつ下から目線で頼み込んでいる。男相手だったら一瞬で落ちてしまうだろう、そんな瞳で。
 カナは少し困った様子で、俺を見てくる。渡辺先輩も一緒に。って、こっち見られても。
「もれなく、全くの初心者が付いてきますが、それでも?」
 つまり俺のことだが、渡辺先輩は全く気にしていない様子。
「もちろんです。むしろ新入部員は大歓迎ですよ? それに浩和くんでしたっけ? 美希《みき》ちゃんがずっと気にしてましたよ?」
 それは初耳だ。「美希」こと「|橋野 美希《はしの みき》」は俺の幼なじみで、小学校もよくクラスが同じになって色々遊んでいた記憶があるし、中学校に入ってからも時々会うと会話を交わす。確か──クラリネットだったな。例の「机上詩同好会」っていうショートショートでクラリネットが出てきたと喜んでいたし。まあ最後に直接会話したのは夏休み前で、その後は簡単なメールのやり取りしかしていない。
「あ、やっぱ浩和だ!」
 噂をすると橋野さんはやって来た。
「吹奏楽入るの? 浩和は普段目立たないから、トランペットがいいんじゃない? この学校って珍しく一人しかいなくて困ってるしさ。それにこの前冗談半分でバジングやってって言ったら出来てたじゃない」
 一方的にまくり立てるその話し方はやっぱり、橋野さんだ。ただ「バジング」という言葉を聞いた途端、カナの目の色が変わったのははっきりと判った。
「なら、問題ないわね!」
 満面の笑顔をカナは見せた。渡辺先輩もそれに釣られて笑顔になる。
 そんな光景をバックに、橋野さんは俺に小声で尋ねてくる。
「で浩和、あの子とはどういう関係なの?」
「どうって、カナとは、その……」
 一般生徒に「子ども警察官」だという事実は教えられないが、いい説明も思いつかない。その板挟みに困っていると
「とりあえず、あの子と付き合ってるの?」
そう聞いてきた。それには
「いや」
と簡単に答えられる。すると橋野さんは
「ま、それならいいけど」
と、何か意味有りげに呟く。
「え、何が?」
 そんなこと言われたら、当然気になる。
「ん、何でもないよ」
 だが、軽く手を振って誤魔化されてしまった。そんな所は、カナそっくり。そういえば橋野さんは別のクラスだし、カナのことはあまり知らなかったな。
「で、浩和はあの子のこと、カナって呼ぶよね」
「ああ、それが?」
 本人にそう呼ぶよう言われたからな。
「じゃあ私のことも、小っちゃい時みたいに『ミキ』って呼んでよ」
「えっ……」
 確かに、まだお互い幼かった頃は「ミキ」とか「ミキちゃん」と普通に呼んでいた。でもいつからか、多分恥ずかしさが原因だと思うが、いつの間にか「橋野さん」と呼ぶようになっていた。本人もあまり気にしていない様子だったのだが、何故今頃?
「ね、いいでしょ」
「あ、ああ……」
 そう強く押されては、呼ばない訳にもいかない。
「ん? なにしゃべってるの?」
 カナはそんな俺達の様子に気付き、尋ねてきた。
「ううん、何にも。で、カナさん、だっけ?」
「ええ。名乗った覚えはないけど」
「ちょっと話《はなし》したいことがあるんだけど、いい?」
「ええ、もちろん」
 カナとミキの二人は一緒になって音楽室を出て行った。渡辺先輩と俺は取り残された格好になる。
「話って、何ですかね?」
 話題がなかったので、それとなく聞いてみる。
「私からは言わない方がいいと思いますよ。出来れば二人に聞くのも止めておいた方が。いきなり突きつけられても困るだけで、徐々に気付いていくのがいいという、そんなものです」
 いまいち解らない発言なのですが。
「初めて会った二人がこうして話そうとしているのは、互いに何か気になる点があったからでしょう。女の勘っていいますけど、それも相手をずっと観察していた結果から編み出されるもので、つまり蓄積されたデータを分析し相手の行動や気持ちをシミュレートして得られた結果だと私は思います。それが第六感って言われたりも。二人はこの短時間でお互いの言動から『あること』を読み取ったので、それを二人だけで確認しようとしているのでしょう」
 結論はまとまっているが、何か途中の部分でよく解らなくなった気がする。というより話していた内容は、中学生が普通考える内容ではない。
「そういえば、昼とは大違いですね」
 昼休みに事情聴取を行った時の印象より、ずっとしっかりしている。
「私、緊張するとタジタジになっちゃうんです」
「へぇー」
 そんな、あまり意味のない会話が続いて。
「さて、そろそろ下校時刻です。帰りましょうか」
 時計を見て、渡辺先輩は言った。チャイムが鳴ってから十分あまり、時刻は十七時四十分を示している。確かに、もう帰り始めなければならない。
「あ、荷物取ってきます」
 そう言って部屋を出ようとすると、渡辺先輩は腕をつかんで引き止めてきた。そして小声でこう忠告してくる。
「確かあの子達は、私達が会話した部屋──つまり浩和くんが荷物を置いた部屋へと入っていきました。きっと女の子同士の秘密もあるでしょう、そんな会話をしている時にあなたが入ってきたら気まずくなるかもしれません。なので、私が」
 そう言って、渡辺先輩は扉の向こう側へ。先輩には何でもお見通し、ってことか。でもそんな単純に言い表せる感じでもない。その能力が向く所に向けば、ノーベル賞などを取ってしまいそうな。
「あ、浩和! かばん持ってきたよ!」
 三人はすぐに戻ってきた。俺に声を掛けてきたのはミキ。右手には俺のかばん。
「ありがとな」
 カナも自分の荷物、そして俺とカナ二人分のスーツケースを持ってきている。とりあえず俺の分だけ二人から受け取った。
「さあ、帰ろ?」
 俺の左腕を引っ張ったのはカナだった。
「私も一緒に帰っていい? どうせなら渡辺先輩も一緒に」
「はい、構いませんよ」
「なら僕も、いいかな?」
 会話を聞いていたらしい木村先輩が話に入ってくる。しかし
「え、木村先パイってボクキャラ!?」
 ミキの一言で話題は大きく変わる。
「何処かで聞いたことのある喋り方のような気が……誰だっけ……」
 カナは真剣に悩みだした。
「まあ、人の個性は多種多様といってもそのパターンには限りがあるので、必然的に誰かには似てくるでしょう」
 渡辺先輩は相変わらず、論理的というか回りくどいというか。
「『ボクキャラ』って何のことかな」
 木村先輩は言葉の意味がよく汲み取れないらしい。
「そうだ、浩和は誰に似てるって感じた?」
 ミキが俺に聞いてくる。他の三人も気になる様子で俺の方を見てきた。
「確か天木に読まされたんだけど──」
 そう前置きして、俺はある小説の登場人物の名前を口にする。
「そうそう、彼女よ!」
 カナはやっと納得した様子。
「その本はまだ読んだことがないので、今度読んでみますね」
「「「止めた方がいいです」」」
 渡辺先輩の発言には俺とカナ、ミキが同時に止めた。何となく渡辺先輩には合わない気がして。ミキが知っていたのは意外だったが。カナはまあ、何でも知っていそうだし。
「とりあえず遅いですから、帰りましょう。鍵を掛けておかないといけないので廊下で待っていて下さいね」
 渡辺先輩が職員室に鍵を返すのに皆で付き合った後、昇降口で靴を履き替える。一年四組の下駄箱は西側にあるので、二組のミキや二年三組の先輩達とは一旦分かれることになった。
「吹奏楽、また入りたいな……」
 靴に履き替えながらカナは呟く。今日の出来事を通じて、その思いは一層強くなったようだ。
「俺がちゃんと子ども警察官の仕事をやれるようになるまでは、だろ?」
「うん……。でもわたしは五ヶ月だけ長くこの仕事をやってる、それだけの違い。『あの二人』と比べたらわたしなんてまだまだだもん」
 あの二人、『伝説の子ども警察官』にまだ会ったことはないが、カナがそこまで言うからにはすごいのだろう。一度会ってみたいと、改めて思った。
「けどわたし達には『あの二人』よりも充分に時間がある。きっと卒業する頃には、同じ年齢だった時の二人を超えられる。だから頑張ろ」
「……ああ」
「でも正直。わたしを超えられるのはあんまりいい気持ちじゃないから、ずっとわたしを頼りにしてくれる?」
「ああ、頼りにするさ」
 カナは微笑む。その幸せそうな笑顔も、カナらしい。俺もカナを安心させるために。笑顔を作った。
「さあ待ってるよ、行こ?」
 軽く俺の右腕をつかんで、カナは歩き出す。
 中庭を経由して東昇降口へ行くと、既に三人は外で待っていた。何も知らない幼なじみと、今日の事件で関わった先輩達。そんな学校の日常を守るのが子ども警察官の仕事なんだなと、そう感じた。
「あれ、そんなに仲いいんだ?」
 ミキの一言で、カナは慌てて俺の腕を振り払った。

* * *

「で、浩和、ちょっと聞きたいんだけど」
 カナや先輩達と途中で別れ、振り返っても姿が見えない頃になってミキは話しかけてきた。
「ん、何?」
「香奈ちゃんとは本当に、付き合ってないの?」
 この期に及んでもまだ疑っているらしい。でもミキの気持ちも解る。あんなにずっと一緒にいる機会が多いのに付き合ってないだなんて、信じないだろう。しかも子ども警察官のことを口外する訳にもいかないから、ますます説明しづらい。果たして八白でもこんなに厳しいルールなのだろうか。とりあえず、ミキへの返答は決まっていた。
「さっきも言ったけど、付き合ってなんかいないよ」
「そう? でも、これ友達から聞いたんだけど始業式の日から仲良さそうだったってね? まるで転校前からお互いを知ってたみたいに」
 ミキは怪訝そうな顔を見せる。事実転校してくる直前に出会っているのだが、事実転校してくる直前に出会っているのだが、それを言うと話が複雑になり、説明もしづらくなるだろう。
「そんなことないって」
 俺はそう返しておいた。
「いや、智美がものすごく仲良さそうだったって──あ」
「トモミって……鈴木 智美!?」
 主観的な情報からクラスメイトの誰かがミキに言ったとは思っていたが、そうか、情報源はあの「クラス一番の目立ちたがり屋」か。
「……うん」
 ミキは観念したように頷く。
「っていうことは、会う前から情報は知っていたって訳だ。今日の情報が入っていないことからして、聞いたのは金曜日の放課後から今日の朝までの時間。でもミキと鈴木さんは一緒に遊んだりする仲でもないはずだから、今日の朝たまたま会って向こうから聞かされた、そんな感じかな」
「すごい……全部合ってる……」
 全て俺の推測通りだったらしく、ミキは驚いていた。しばらく経って
「浩和って、警察官とか向いてるんじゃない?」
と言われる。まあ一応現在進行形で警察官なのだが。
「そういえば香奈ちゃんも警察官みたいだったなぁ。部屋に入るなり『わたし達がどう言われてるか、本当は知ってるでしょ』って聞かれた。香奈ちゃんは顔見ただけですぐわかったらしいし」
 カナも俺と同じ子ども警察官、しかもカナのキャリアの方が上なのだから当然だ。「わたしを超えられたくない」とは言っていたが、きっと俺はずっとカナの一歩後ろを追いかけていくことになるだろう。
 そんなことを話しているうちに俺の家の前まで着いた。ミキの家は三軒向こうなので、ここで別れることになる。
「じゃあまたな、ミキ」
「うんまたね、浩和」
 別れの挨拶を交わし、俺は家の門をくぐった。その時にポストを確認すると、「ぽすてぃ」という名のフリーペーパーと一緒に一通の封筒が。宛名は、俺。送り主は「神奈川県警察本部」。
 玄関の鍵を開け、自分の部屋に荷物を置き普段着に着替える。その後リビングで例の封筒を開封した。中には二枚の紙が三つ折りにして入れてある。サイズはA4。広げて、読んでみた。
「辞令。九月三日公示。蛯尾浜市立中部中学校一年、鈴木 浩和。警察署における中学生の職場体験実習事業の主旨に基づき、右記の者を子ども警官の階級に任命するとともに地域部子ども課準備室へ配属する。なお推薦人は同部長、宇都宮 政好及び同準備室所属、安江 香奈。任命、警察本部長。赤堀 光史」
 中に入っていたのは正式な辞令と、それについての簡単な説明書き。形式上送られてきたものだろうが、これでまた一つ、子ども警察官になったのだという実感が湧いてきた。