CP2・第一部

第三章・予兆

 窃盗事案が発覚・そしてスピード解決してからは三年生の教室でちょっとした喧嘩があったくらいで、それも別に子ども警察官が活躍するほどの大事とはならなかった。カナという存在とその影響以外は、普通の学校生活が戻ってくる。けど現に「子ども警察」という組織はあって、その存在は一部の者達しか知らない。俺が本格的にこの組織へ巻き込まれてからちょうど一週間となる、九月八日金曜日。
 朝、いつも通りカナは俺の家へと迎えに来て、いつも通り一緒に登校することになった。
「明日は土曜日だから、県警本部で内勤ね。九時には着きたいから、八時に桜町駅でいい?」
 カナが念押ししてくる。ちなみに子ども警察官は平日が学校内の任務、土日のどちらかで内勤をするというスタイルを取る。関係する重大事件が発生していたりすると両方出ることになるのだが、今のところそれに該当するような事件はない。
 そしていつも通り門の開いていない時間に学校へ着き、正門の前で門が開くのを待つ。装備はあらかじめ、家でつける習慣へと変わった。相変わらずスーツケースは持ち歩かないといけないが。カナも母さんの厚意に甘え俺の家で装備を身につけるようになりつつある。
 門がいつもと同じ七時十五分きっかりに開き、俺達は学校の敷地内へと入った。その時間に合わせてくればいいと思うのだが、それはまあ、カナの主張が変わらないからである。
 南側校舎の一番東、ちょうど正門を入った所にある職員玄関では、水島副校長が郵便受けの中身を確認しようとしていた。
「水島先生、おはようございます」
 カナが声を掛けると、副校長はビクッと肩を震わせ驚いた。
「あ、ああ君達か……」
 もちろん、その態度にカナが無反応でいるはずがない。昇降口の方へ、副校長の姿が見えなくなるまで歩いた所でカナは俺に言ってきた。
「やっぱ怪しくない?」
「まあな。調べるのか?」
 カナは首を横に振る。
「ううん、そこまでするのは私達の負担が大きすぎる。といって何か事件が起こるまでは大人の警察もなかなか動かないし。とりあえず様子見かな」
「解った」
 それが、警察組織の現時点の限界なのだ。
 教室に入って席へ座り、警察無線を聴いていても蛯尾浜市に関係する事件さえ、なかなか報告されない。それだけ平和な街ということだが、何か嫌な予感がするのは俺だけだろうか。
「これだけ蛯尾浜の事件がないと、変な感じだね」
 カナも何かおかしいと感じているみたいだ。

* * *

 午前中の授業、給食、掃除、昼休みといたって普通の学校生活を過ごす。四日前が嘘のようだが、「警察ってのは忙しい時は忙しいけど、暇な時は暇よ」とカナがあらかじめ忠告してくれていたので、不自然な感じはあまりしない。というより、もし事件ばっかり起こる学校だったなら、それはそれで問題だろう。
 十三時五十分から始まった五時間目、社会科の授業も何事もなく過ぎていく。そんな、日々が、

 唐突に破壊された。

「無線聴いて」
 カナが突然真剣な顔になり、俺だけに聞こえるような小声で言う。俺は右手でスーツケースを探り、警察無線機を取り出した。イヤホンケーブルを繋いで電源を入れ、腰に付ける。あらかじめ左袖に通しておいてあるインナーホンを引っ張りだし、左耳にはめた。
『──繰り返す、神奈川本部より浜浦・CP・及び関係各局へ』
 |子ども警察官《CP》を指定して一斉通報が来るのは初めてだ。カナが真剣な様子になるのも解る。
『現在緊急通報受信中、蛯尾浜市桜北町、市立《いちりつ》中部中学校に犯行予告状が届いたとの通報。種別は爆破予告、予告時刻は一四三〇《いちよんさんまる》』
 すぐに教室の時計を見た。十四時十分を指している。
『浜浦、了解』
『自ら一九二《いちきゅうに》了解。蛯尾浜市火野町より向かいます』
『機捜二八《きそうにじゅうはち》、蛯尾浜市記念公園より急行する』
 そしてカナが、胸元からマイクを引っ張りだして口元へ持っていき、
「中部中CP了解。状況確認、及び生徒の避難誘導に着手します」
と応答する。その小さな声は、無線からの声と重なって大きく聞こえた。
 その応答の後、カナと俺はほぼ同時に立ち上がる。何事か、とこちらを見てくる室内の視線にカナは左手の指三本を立てて応じる。先生には申し合わせた通り「緊急事態発生」と伝わったはずだ。
 そして俺達はスーツケースを机の横から取り、教室から出る。出るなり廊下を走り出す。西側の渡り廊下を通って南側校舎へ。もう馴染み深くなった職員室へと駆け込む。
「ああ、やっぱり来たか」
 校長先生が俺達を見て呟くように言う。職員室には他にも三、四人の先生がいて、そこには「疑惑の」副校長も含まれる。
「状況確認はあと。まず生徒達の避難誘導をお願いします。パニックになるので爆弾とは言わないように」
 そう指示しながらカナは胸ポケットから小さなノートを取り出し、シャープペンで何か文字を書いている。そのノートを破って副校長に渡し、放送で呼び掛けるよう頼む。副校長は頷き、職員室の一角にある放送室の方へ向かった。カナは時計を見つつ言う。
「あと四分ほどで浜浦署の刑事や機動捜査隊《きそう》が到着するはずです。生徒達がヒステリックにならないよう、爆発物捜索は避難完了を見計らって行うと思います。生徒への説明は事態がある程度収束してからにして下さい。詳しくは浜浦署の担当者から追って指示が出るので」
 そして、水島副校長の声で放送が入る。
『全校生徒に連絡します。今から急いで運動場へと出て下さい。上履きのままで構いません。各先生方は避難経路に従って出られるように誘導をお願いします』
 外からはパトカーのサイレンらしき音が聞こえてきた。確実にこちらへと近付いてきているその音は多分、無線で応答した自動車警ら隊と機動捜査隊のパトカーのものだろう。
「えー、状況確認に移ります。まずは予告状をこちらへ持ってきてもらえますか?」
 カナの指示に反応したのは教務主任の平田先生だった。すぐ近くの机に置いてあった封筒を指差す。カナはスーツケースから白の手袋を取り出しはめた。いやそれ、俺のには入っていない気がするんだが。
 いかにも事務的な、茶色で薄手の和封筒からカナは丁寧に、三つ折りにされた紙を取り出した。そっとそれを開き、内容を素早く確認して俺にも見せてくる。A4サイズの紙に横書き、ワープロで打ち込まれている。

九月八日金曜日 午後二時三十分にこの学校を爆破する。
爆弾は既に仕掛けておいた。
なお、取引は行わない。
以上。

「封筒は何処にでも売ってそうな汎用品、中身の紙もただのコピー用紙。有力な手がかりにはなりそうもない」
 カナは一応分析するが、これだけの情報で犯人を特定するのは難しい。だが、これだけの情報しか掴めないのはカナらしくもない。
「もうそろそろ来ると思うので、玄関で待機します」
 主語は抜けていたが、多分「パトカーが」だろう。しかし意図的に抜いたような感じも拭えない。もしそうだったら、それは……。
「先生達も早く避難して下さいね」
 そう言い残し俺達は職員室を出た。
「最後のセリフ、ナイスよ」
 職員室を離れるなりカナは言う。
「出来るだけ無難な言葉で、あの人達に職員室から出て行ってもらわないといけないの。『危険』という意味じゃなくて」
 カナの思考が、何となく読めてしまった。恐ろしいことに。
「まさか『現場保存』のため……。内部による犯行の可能性があるってことか?」
「あるっていうより、ほぼ百パーセントね。封筒に宛名はなかった。よって犯人は直接郵便受けに入れに来たってこと。でも外部の人間がそんなことをしたら絶対に目立つ。別の封筒に入れて郵送してきたとしても、外の封筒を学校側が提出してこない理由はない。それに──」
 カナは右手に持つ例の封筒を示す。
「──こんな都合のいい時間に見つかるっていうのが、そもそもおかしいでしょ?」
 やっと俺は思い出した。この学校や俺の自宅を含むさくら小校区の郵便配達は大抵「午後四時頃」なのだ。そうなるとこの時間に郵便受けの中身を確認することはしないだろうし、配達員が職員室に入っていったのも俺は見たことがある。朝刊用ポストは門の所に設置されている。そうなると今朝の水島副校長は何をしていたのか。使われないはずの郵便受けで。
「でも、郵便受けに予告状が入っていることを知っていたのなら。そして予告時刻を知っているのなら」
 カナの言葉の、その結論はつまり──
「水島副校長が被疑者ということか」
「正解」
 俺の回答に、カナは頷く。
「それに紙の材質。再生紙なんだけどこれは学校で使われてるのと同じ。滲みが確認出来ないということはレーザープリンタで印刷されてるわ。でもそんなプリンタがある家庭は稀。今はコンビニのコピー機で印刷出来たりもするから断言は出来ないけどね。予告状自体が学校内で作られた可能性も、否定出来ないわ」
 カナはやっぱり、細かい所から手がかりを掴んでいたのだ。言わなかったのはきっと、複数犯の可能性も考慮した結果。計算高いのもやっぱり、カナだ。
「まあ細かいことはこの事態が終わってから鑑識が調べると思う。そんなことより、今はほら」
 先ほどまで俺の腕を掴んでいた左手で、外を指した。避難する生徒達の向こうに、ブーメラン型の赤色灯を点灯・上昇させた白黒クラウンパトカーと、小型の赤色灯を載せた銀色セダンの覆面パトカーが停まっている。その中から制服警察官と背広姿の刑事が二人ずつ降りてきて、こちらへと向かってきた。
「状況的に、内部犯行の可能性が考えられます。職員室の現場保存をお願いします」
 男性刑事に向かってカナは進言する。刑事は了解、と小声で言い残し後ろへ。他の三人の警察官も俺達を一瞥し、職員室へ向かっていく。
「さて、わたし達も準備しないと」
 カナは左手側に持ち手を通していた自分のスーツケースを置き、右手だけで開ける。俺もカナに倣って準備を始める。
 夏期は通常装備しない手錠を腰に取り付けたのを確認し、カナは口を開ける。
「仕切りを取ってみて」
 GPS付サイレンを除け、スポンジのような生地で作られたそれを外す。するとそこには隠されたかのように追加装備が収められていた。
「それは正式な警察官として活動するためのもの。肩ワッペンは左右の襟元に一つずつ、安全ピンで留めるの」
 言われた通りワッペンの内側に付けられた安全ピン二つで、制服に付ける。片手が塞がったカナには難しそうだったので、カナの制服にも俺が装着した。
「腕章は左腕に通して、ついてるピンで袖に留めて。階級章は胸ポケットに、CPバッジと被らないように付ける。今必要なのはそれだけ。サイレンは戻しておけばいいわ。──残りもお願い」
 言われた通りの者を言われた通りに付けた後、カナの分に取りかかる。腕章はマジックテープで分かれたので簡単に装着させられたが、問題は階級章。女の子の胸に手を掛けるのって、どうなのか。そんな風に戸惑っていると
「ほら、時間ないんだから、早く」
 少し顔を赤らませて目を閉じ、両手を横に開いて体を突き出す。仕方がない、覚悟を決めてそっと胸ポケットに手を入れ、なるべく体には触れないよう気を付けながら階級章のピンを留めた。
「えっと、出来たよ」
 声を掛けると、カナは目を開ける。
「ありがと。──これで、一応制服警察官と同じ扱いになるわ。もっとも拳銃は持てないけど」
 仕切りを元に戻してスーツケースを閉め、それを持ちカナは走り出した。俺も後を追いかける。
 ちょうどカナと俺が玄関から出てきたタイミング。正門から覆面パトカーが続々と校内へ入ってきた。それらは俺達の目の前に停まり、運転席と助手席両側のドアが一斉に開く。
「所轄──つまり浜浦警察署の刑事が到着したみたいね」
 カナは呟くように言う。その言葉通り、彼らの中には見覚えのある人物がちらほらいた。例えば──吉永刑事。
「あ、|子ども警察官《CP》の方ですよね」
 その彼が俺達に気付き駆け寄ってくる。
「まずは正門近くに停まっている移動指揮車へ行って、刑事課長に状況報告をお願いします」
「了解です」
 応えるな否や、避難する生徒達の列を走り抜ける。生徒達が不思議そうな顔をしているがこれは緊急事態、カナは気にする素振りは見せない。一歩遅れて俺も付いて行こうとするが、その瞬発力で離された差は縮まらなかった。

* * *

 吉永刑事の言葉通り、正門前には黒塗りのワンボックスカーが停まっている。カナは迷わずそれに乗り込んだ。
「CP、到着しました」
 中にいるのは中年ぐらいの男性。当然、スーツ姿。胸に付けている名札に、「浜浦警察署刑事課・課長」の文字。彼は初め驚いた様子で、しかしすぐに状況を察して優しい笑顔へと変わって俺達を出迎える。
 車内中央は後部座席が取り外され、大きな机が取り付けられている。リア側には「浜浦警察署」と書かれたコーンなどの備品。運転席とはカーテンで仕切られ、窓に貼られたスモークと共に外部への目隠しの役割を果たしている。天井には大型の無線機が所狭しと取り付けられ、そのマイクは宙吊りの状態。
「予告時刻は無線の通り一四三〇、予告状は回収済みです」
 カナは右手に持っていた封筒を差し出す。刑事課長はカナと同じような白手袋を背広から取り出してはめ、受け取った。中身を確認するとすぐに、足元に置いてあった透明アクリル製のケースに入れる。
「確認した。生徒達の避難が完了した後、すぐ爆弾捜索を開始する。それまでに各階の見取り図を書いてはくれないか」
「了解」
 カナは机の上に置かれていた黒色サインペンを手に、同じく敷かれている真っ白の模造紙へ線を引き始めた。迷いなく、正確に。わずか一週間で学校の構造をほぼ把握しているのだ。まあ、カナならそんなこと、何てないことだろうが。さすがに教室の用途までは把握し切れておらず、その部分は俺が補足しながら仕上げていく。
 避難完了の報告の無線が入るのとほぼ同じタイミングで、校舎の見取り図は完成した。
「手間をかけて申し訳ない」
 刑事課長は一言言い、天井からぶら下がるマイクの一つを引っ張って口元へ。
「指揮本部より各捜査員へ。これより捜索を開始。各班の担当は打ち合わせ通り。各教室の捜索を終えたら逐次報告。予告時刻《リミット》には退避出来るよう。現在|一四一九《ひとよんひときゅう》、あと十一分だ」
 ついに、捜索開始の指示が出された。ふとカナの方を見ると、いつの間にやらテープらしきものを何巻か持ってきている。
「規制線張ってきます」
 カナはそう言って飛び出すが、すぐに止まり
「ほら、浩和も!」
 俺の腕を掴んで、走り出す。
 カナは正面玄関の前で立ち止まる。
「あ、ごめん、ちょっと持ってて」
 持っていたテープを俺に預けると、スカートのポケットの中を探っている。そして取り出したのは、眼鏡ケース。二つを一緒に取り出し、一つを俺に差し出す。
「はい、伊達メガネ」
「何で?」
 当然、伊達眼鏡は装備のはずがない。だから手渡される意味がいまいち解らなかった。でもそこはカナ、解説はちゃんとしてくれる。
「ほら、メガネのあるなしだけでも印象って変わるでしょ? 少しでも正体バレを防ぐためにって、先輩が用意してくれたの」
 確かに橋野さん──いやミキが、中学に入るのと同時に眼鏡からコンタクトレンズにした時は、最初ミキだと気付かないくらいだった。既に半年が過ぎているが、それでも時々ミキがいることに気付かなかったりする。逆も然りってことだな、つまり。
「因みに警察仕様の特注品だから、失くすと高くつくわよ?」
 まあ、さすがにこれは冗談だろう。
 ケースを開け、眼鏡を取り出す。プラスチックフレームに同じくプラスチック製のレンズという、デザインにこだわらなければ百円ショップでも売っていそうな代物だ。
 カナも俺と同じような眼鏡を掛けていて、その姿は少し違和感があるが似合っている。
「さて、仕事しよっか。一つ貸して?」
 このテープ、よく観察すると黄色地に黒文字で「立入禁止」やら「神奈川県警」やら書かれている。事件現場からのテレビ中継で時折映る、あれだ。
 カナはある程度の長さを作ると、運動場と校舎の境に並んだ木の一つにその端を結びつける。そのままテープを引っ張って、今度は玄関脇にある南洋植物らしき木の所まで延ばし、テープについているカッターで切って結びつけた。これで「規制線」の完成である。ちなみにこの規制線用のテープ、実は二種類あってそちらはテープの中に紐が入っていて丈夫になっているらしい。今回使ったのは純粋にテープの方だったが。
「玄関はオッケー、と。さあ次」
 慣れた手つきで。カナは続々と規制線を作り出していく。北門、北校舎体育館口、体育館、東昇降口、中庭の東西、校舎北側・給食用トラックの出入り口、配膳室トラックヤード、西門の順に「封鎖」。移動指揮車と校舎を挟んで反対側に当たる所までたどり着いた。ここからは運動場に避難している生徒達の姿が見える。運動場の南半分、避難訓練通りに列を整えていて、訓練って実際に役立つのだなと感じる瞬間だった。
「さて、戻るわよ?」
 俺達は西門に張ったテープをくぐり、公道へ。校舎北側に出るとその道は、警察車両が並んでいた。白黒パトカーが中心だが、おそらく機材の運搬用であろう、トラックも一部混じっている。その車群に釣られてか、野次馬も集まり始めていた。歩道は封鎖され、制服を着た警察官が交通整理をする。
 歩道を通り移動指揮車方面に戻っていると、北門付近に変わった車両が見かけられた。紫色に着色され、大型の円形タンクを積んであり、またアームのようなものも付いている。
「爆発物処理車ね。液体窒素で凍らせて、処理するの」
 カナが俺の視線に気付き、教えてくれた。なるほど、人の手で解体する訳ではないのか。
「ドラマはドラマ、現実は現実。人の手で解体せざるを得ない状況でも、生身ではやらないわよ?」
 現実的というか、夢がないというか。
 北門から再び規制線をくぐり、校内へ。ちょうど最初に作業を行った正面玄関付近に差し掛かったとき、正門に異変があった。カナはそちらをじっと凝視している。俺の視線も同じ方向へ行き、そして見えたのは、青と白で塗り分けられた大型バスが正門をくぐる様子。そのバスは俺達のすぐ近くにある、運動場へのスロープを、ボディーを傾けながら降りていく。スピードを落とさず、しかしどこにも接触せずに走り抜けるのは圧巻としか言いようがない。
 そのバスは運動場の真ん中付近で急旋回する。校舎側に膨れ、その車体は倒れるのではないかと思うほど斜めになる。Uターンをする形で方向を変えると、校舎とバスが平行になる形で停まった。中からは、透明の盾を持ち紺色の服とヘルメットに身を包んだ男達が続々と降りてきて、生徒を守るように並ぶ。「待機!」と怒声が飛び、隊員達は盾を置いて直立。もし南側校舎で爆発が起こった際、生徒を守るための態勢であろう。
「まさか機動隊の一個小隊がやって来るなんて……。まあ時間は予告時刻《リミット》五分前、到着するのには妥当な時間ではあるけれど」
 俺に教えるように、カナは呟いた。さすがに機動隊まで出動するとは予想していなかった様子。と言っても俺は、どんな基準で機動隊出動となるのかなど、全く知らないのだが。
「そろそろ戻るよ」
 カナの声が掛かるまで俺は、子ども警察官という仕事を忘れ機動隊の揃った行動に見とれていた。

* * *

「予告時刻《リミット》二分前、全員退避!」
 正門近くに停まっている、本部代わりのワンボックスカーへ戻ると、刑事課長が無線で新たな指示を出している所だった。カナはタイミングを見計らって、話しかける。
「機動隊|現場到着《げんちゃく》、展開中のようです」
 刑事課長は無線用マイクのスイッチを切ってから、返す。
「了解。機動隊《マル機》は運動場にて生徒の保護に当たるとの連絡が入っている。なお、間もなく捜査一課《いっか》が現場到着《げんちゃく》予定」
「了解」
 ふと机に敷かれた地図を見ると、まだ半分近くが未捜索のようだった。時間の制約があった故、仕方がない。
「職員室に関しては現場保全の措置を取った。しかし、何故なのか問いたい」
 刑事課長は当然の疑問をカナにぶつけてくる。カナは臆することなく、すらすらと答える。
「紙の材質、印刷方法などを考慮すると内部犯行の可能性があるからです。糊付けされているところから手がかりが得られる可能性もあります」
「ふむ」
「例えば糊の成分鑑定をして職員室内の物と照合していけば、内部犯行が裏付けられるかもしれません」
 カナだから当たり前のように答えるが、普通の中学生でここまで推理していくのは困難だろう。きっと、推理する以前の段階でパニックになる。まあ、それから考えると俺だって普通ではないのだが、それはカナが隣にいたからで。
『吉永警部補より刑事課長へ、全員退避完了しました』
 無線が入り、刑事課長は所轄の指揮へと一旦復帰する。ほぼ同時のタイミングで、サイレンの音を大きく鳴らした覆面パトカー十数台が列をなし指揮車の近くを通過。それらは運動場の方へ抜け、間もなく何十人もの背広姿の刑事がこちらへ戻って来る。その表情は厳しく、かつ勇ましい。
「捜査一課、及びSTS現場到着《げんちゃく》しました」
「これより指揮権を県警刑事部へ移行、浜浦署会議室に設けた警備部との合同指揮本部にて捜査一課長が統括指揮を、ここ現地本部にて私、田崎管理官が現地指揮を行います」
 刑事達の言葉に、刑事課長は黙って頷く。そして
「予告時刻《リミット》まで十秒前……七、六、──」
 左手に付けた腕時計を見ながら、淡々とカウントする。
「──三、二、一、三十分」
 予告時刻。口に出さなくても判る、いや、口に出すことは出来ない、この緊張した空気。じっと校舎の方を睨みつける。だが、爆発音や火災報知器の甲高い音は聞こえない。
「三十分、十秒──」
 その間も、刑事課長はカウントを続ける。一分、二分と経つが動きはなく、ついに先ほど「田崎管理官」と名乗った男が口を開ける。
「状況はグレー、一四三五《ひとよんさんご》時まで何も起こらなかった場合、第二行動を開始する。所轄は先ほどと同様建物内を、捜査一課《いっか》は外周を外周を中心に爆発物の捜索を──」
「管理官、CPから報告が」
 刑事課長が口を挟み、指示は中断した。
「了解。ではCP、報告せよ」
 田崎管理官に応えたのはもちろん、カナ。
「予告状に使われている紙の材質が、学校内で通常使われているコピー用紙と類似しているように感じられます。またその紙の材質が少々劣悪なのにも関わらず文字の滲みがないことから、レーザープリンタもしくは一般コピー機等で印刷された物と考えられます。封筒に糊付けがされているため、それを調査するのが妥当かと」
「了解。内部犯行の可能性があるため、強行犯六係は職員室の捜索に専念せよ。その際全ての接着用糊を回収し、科学捜査研究所《かそうけん》の成分鑑定に回す」
 即時理解、そして即時決断。権限があるからこそ可能なのだろうが、それが出来るのはかっこいいと思う。カナもカナで、彼を憧れの眼差しで見ているようだった。
「以上で指示を終える。時間まで待機せよ」
 最後に締めると、田崎管理官はワンボックスカーの中へと入ってきた。
「CPのお二人さん、手伝ってくれるかな」
 そう、俺達に声をかけて。

* * *

「実は公安を通じて情報が入っていてね、」
 刑事課長が外に出て行くと、田崎管理官はドアを閉めた後二、三枚程度の書類を綴じた物を俺達に見せながら説明してくれる。
「一度フェイクの予告を仕掛け、直後に改めて犯行予告を出した上で身代金を要求して来るグループが現在、神奈川県内にいるらしい。内部関係者を取り込むというのが彼らの手口だから、推理通りならその疑いも強くなる。そこでだ、この学校に彼らが来る可能性も考えられるので注意していて欲しい。幸い身元は割れているから、顔写真は免許証のデータベースから取り出せる。君達はいつ、内勤の予定だ?」
「予定では明日だけでしたけど、こんな状況なので明後日も行きます」
 カナが答えた。日曜日も行かなきゃ行けないとは、全く聞いていないが。まあそれはカナの判断だし、俺自身妥当だと思ってはいる。
「了解、では明日の早いうちに捜査一課《いっか》を訪ねてくれ。但し公安や捜査二課《にか》絡みでもあるので、用件を訊かれても伏せるよう。他言も一切しないように」
「了解です。用件は以上ですか?」
 カナもその必要性を理解しているようだ。
「後は学校内の様子について適時アドバイスをお願いする。この学校を一番知っているのは、通《かよ》っている君達だもんな」
 当たり前のことだが、カナはその言葉にうっとりしているようである。しばらくしてカナは、口を開いた。
「田崎管理官って、叩き上げでしたよね」
「ああ、確かに僕はノンキャリだよ。昨年度は人事交流の一環として愛知県警に行ったりもしたが」
「だからCPのことをよくご存知なんですね」
 なるほど、とカナは納得したようだ。
『時刻は一四三五時、只今より捜索を再開する』
 その無線を合図にするように、田崎管理官の雰囲気が百八十度入れ替わる。まさに現場の指揮官、という感じが漂うように。

* * *

「これで全教室、一通りチェックが入ったわね」
 模造紙で作った校内見取り図にチェックを入れていた、カナが言う。確かに各教室の名前の右横には全て、「✓」の印が入っていた。ということは見落としがない限り爆弾が実在する可能性も低くなったということで、一応の安全が確保されたということも意味する。それを前提にカナは
「状況説明をした上で、クラス単位で荷物を取らせて帰宅させるというのが一番良いと思われます。四十人程度ずつなら安全を確保しやすいですし、トータルの時間も抑えられます」
と提案した。田崎管理官も異議はないらしい。
「了解、僕が学校側に話してくるから、君達には無線の番をお願いしたい」
 そう言って車を出て行った。そして早速、無線機が鳴る。
『一〇七一八、一課六係の宮野です、どうぞ』
「えーと現地本部、CPの安江です。どうかしましたか?」
『接着糊は場所を控えて全て回収したと、管理官に伝えて下さい』
「判りました。他にありますか、どうぞ」
『特には。以上交信終了』
『三八九二九、捜査一課五係の細谷です──』
 ほっと胸を撫で下ろす暇もなく、次の交信。まるで交代を待ち構えていたかのようで、カナは時々つっかえながらその対応に当たった。CPの仕事でも無線は専らカナの担当なので、俺はどうやって応えるのか詳しい作法は判らない。ただ見ていることしか出来なかった。
 しばらくして交信が収まった頃、田崎管理官が戻ってきた。
「接着糊は場所を控えて全て回収出来たそうです。学校外周についても一通りの捜索は終了し、現在は校庭の捜索を続行中です」
 無線交信で得られた情報を、まずカナが報告する。それに対し「了解」と田崎管理官が返し、今度は彼の番。
「ことらは君の案通り動くことになったよ。至急所轄地域課より制服警官を投入させ、誘導に当たってもらう。生徒達の心理的には刑事が担当するよりずっと安心だろうと思ったのだが」
「ええ、私もそう思います」
 カナは同意。すると田崎管理官は
「君はどう思う?」
と、俺に振ってきた。俺は少し考えてから答える。
「えっと……やっぱり制服を着た警察官って、階級的には下の方ですけど一般的にはかっこいいというイメージがあるじゃないですか。俺もつい最近までそう思っていました。だって、刑事はドラマを見ていたらかっこいいと感じますけど、刑事と言われなきゃ気付けないじゃないですか。それに比べて、制服だと一目で判って『身近なかっこいい人』というイメージがつきやすい、それだけのことなんですけど」
 自分でも何を言ってるんやら。
「やっぱりCPの仕事を始めてから内部事情を知ると、イメージは変わるよね」
 俺は頷く。
「ああ、昇進試験の勉強に明け暮れていると知ってしまったらね」
 田崎管理官もその話に乗ってくれた。
 一週間前の研修で地域部長が冗談交じりで言った言葉が「学生は学力試験のために。大人になったら昇任試験のために。警察官の道は勉強尽くしって訳さ」というフレーズ。それを聞いた時には俺でも「警察官はかっこいい」というイメージは闇に葬られそうだった。完全に崩壊しなかったのは「中には現場一筋でやってる巡査や巡査長もいるんだから」というカナのフォローのおかげだが。
「まあ余談はこれくらいにして、計画通り進めていこう。君達もここに残っていてくれ。あまり警察官として身を晒すべきではない」
 田崎管理官は背広のポケットから携帯電話を取り出し、電話を掛ける。短い言葉のやり取りの後切り、無線のマイクを入れ計画の概要を刑事達に伝えた。
「そういえば浜浦署には捜査一課長がいると聞きましたが、彼を無視してもいいんですか?」
 ふと思い出したように、カナは聞く。管理官はふっ、と笑う。
「形式的にいるだけさ。一応指揮権のレベルは僕よりも上だけど、基本は僕に一任させているから口出しはしてこない。一段落したところだし、今頃は次の現場に行く準備を始めた頃かな」
 そんな時、正門からまた一台、パトカーが入ってくる。軽自動車で有名なワゴンを普通車の大きさに合わせたモデルの白黒パトカーである。
「はやっ」
 カナが反射的に口走る。海沿いの街・浜浦からはサイレンを鳴らしても着ける事件ではない。そのからくりは、目の前に停まって降りてきた制服警官の台詞、
「蛯尾浜幹部交番の中村巡査であります!」
「同じく、福山巡査長です」
 これですぐに解き明かすことが出来た。
「ああ交番ね」
 カナも納得したように呟く。ここから桜町駅前の交番なら、そう遠くない。
「これより作戦を開始する!」
 田崎管理官の一声が掛かって、途端に警察官達の動きは慌ただしくなった。

* * *

「全クラス完了、後は君達二人だけだ」
 しばらく無線のやり取りに集中していた田崎管理官が、俺達に言う。
「でも、事件はまだ終わった訳じゃ──」
「正門前で、君達を待っている人がいるそうだ」
 カナの言葉を、田崎管理官は遮る。
「後は僕達、大人に任せればいい。君達は最大限のことをやってくれた。心配しなくても、水島教諭の身辺調査は捜査二課《にか》で始められるよう掛け合っておくよ」
 そこまで言われては、カナも断る理由がない。置いていたスーツケースを手に取り、
「……了解です。ありがとうございました」
 俺の腕を引っ張りつつ車から出ていった。制服警官に時々「お疲れ様です」と声を掛けられても何も返さず、校舎内へ。自分達の教室へ着くと、俺達は荷物をかばんに詰める。
「待ってる人って……?」
 ふとカナが呟いた。
「俺の母さん、ってことはないだろうから、カナの親だったりしないのか?」
「判らない……」
 実際に会うのが一番早いんだけどな。
 俺達は靴に履き替え、すぐに校舎外へと出て、真っすぐ正門へ向かう。先ほどまでいたワンボックスカーの、その先には──
「……え?」
 驚いたミキと、
「二人ともお疲れ様です」
 渡辺先輩・木村先輩が立っていた。こんな非常事態にも関わらず待っていてくれるなんて。もし口を開いたなら俺は驚きの言葉以外を言うことは出来ないだろう。
「え……何で」
 カナも驚いた様子で、三人を見る。説明役は双方の事情を知っている、渡辺先輩に委ねられた。
「美希ちゃんが『二人を待つんだ!』って聞かなくて。私たちは事情を知っているから止めたのですが、その格好で現れたら判ってしまいますね」
「ん?──「あ!」」
 俺はカナの、カナは俺の身なりを見てほぼ同時に気付く。装備を付けたままである。
「カナちゃんと浩和が、警察官? ま、まさかよね……」
 ミキは未だ信じられない様子で俺達を見ている。誤魔化すのは無理と悟ったか、カナは諦めた様子で
「そうよ、わたし達は警察官。このことは他言不可ね」
と認めざるを得なかった。
「え──」
 それを聞き、ミキはしばらく固まる。まあ、身近な人間がCPだったなんて、信じられなくても仕方があるまい。
 CPについてカナが何度も説明を繰り返し、疑問点についてミキが聞くという作業を経て、ようやくミキは事情が呑み込めたようだった。ミキの結論はつまり、
「だからいつも二人はいつも一緒にいたんだね。言ってくれればいいのに、浩和」
というものだったが。
「いや、他言はあまり出来ないことになっているから仕方がなかったんだよ」
「……そっか。うん、やっぱそうだよね。そうでなきゃ、浩和が私に教えてくれないはずがないもんね」
 よっぽど俺は色々なことをミキに話しているらしい。振り返れば確かに、髪を切っただの何時に寝たのだの、他愛のないことを色々と喋っている記憶がある幼なじみ、だからこそ無意識に身近な存在なのだろう。
「さあ、私たちもそう長居している訳にはいきません。早く帰りましょう」
 いつも通り渡辺先輩の一声で、俺達は家路についた、いつもと同じ場所で、カナや先輩達と別れ、ミキと二人で帰り道を歩く。
「前に私、浩和がまるで警察官みたいって言ったけど、実際そうだったんだね」
 その途中、ミキが言った。確かに、そんなことを言われた覚えはある。
「それにカナちゃんとずっと一緒にいるのも、そのせいなんだね。てっきり私、浩和とカナちゃんが付き合ったりしてるんじゃないかと思っちゃって、それで少し不安になっちゃって。ごめんね:
 ただその誤解は子ども警察官の制度上生まれるべきして生まれたもの。だから恥じるものではない。
「いや、端から見たら俺だってそう思うよ。だからミキの謝ることじゃない」
 そうフォローするとミキは俯き、
「うん、そっか」
 聞こえるか聞こえないかの大きさで呟くと、少し微笑んだ気がする。それからは無言で歩き、そのうちに、俺の家の前まで来てしまった。
「じゃあね、浩和」
 ミキはそう言って、返事を返す間を与えることもなく走り去る。まさかミキは俺のことを? と一瞬考えたが、すぐに打ち消す。世の中は、そんなに上手くは回っている訳がないのだから。

* * *

 翌日、俺はカナと一緒に神奈川県警察本部へ向かった。研修は警察学校だったから、任命の日に行って以来二度目。当然「ここが職場だ」というイメージはまだ付かない。主に学校で動いているのだからずっとこのままかもしれないが、「(大人の)警察」という固定概念が抜け切れていないのも事実だ。
 本日、俺達は「地域部」の各課が集まる階にある「子ども課準備室」で「内勤」をすることになっている、のだが。
「よく来てくれたね。では中に入って資料を渡そうか」
 昨日の約束通り、俺達は準備室に荷物を置いてから「刑事部」の「捜査第一課」の部屋に向かった。部屋の前では既に田崎管理官が俺達を待っており、カードキーで扉を開け中へと入れてくれた。
 刑事部捜査第一課、一般に「捜査一課」、警察内部では「いっか」「そういち」とも呼ばれる部署に割り当てられた部屋はとても広く、学校の職員室を倍にしたくらいの面積だ。ただ机が並んでいるにも関わらず、それに見合うような刑事の人数は中にいない。目視で七、八人が確認出来る程度。机が五十くらい並んでいるのに、これは異常としか思えなかった。
「一課っていうのはいつもこんな感じだよ。大概は皆外に出ていて、所轄署で事件の捜査をしている。課長ですら特捜本部回りで忙しく、一日二回顔を出すくらいさ」
 軽く笑いながら、田崎管理官が教えてくれた。その顔も一瞬で真剣な表情になる。その変化は俺でもすぐに感じ取ることが出来た。
「で、本題だ。昨日の件だが、公安からもらった断片的な情報を基に、交通部の免許証データベースで顔写真等を引き出したので渡しておく。あと夕方頃になるらしいが、愛知県警からこの事件の担当捜査員が来るそうだ。こちらの用事が済み次第子ども課へも向かわせるから、詳しいことは彼らに聞くといい」
「了解、です」
 「重要参考人情報」と表紙が付けられ、㊙の印が印刷されて綴じられた書類を受け取る。カナと俺用、わざわざ二部も作ってくれていた。こうした機転が効くのは管理官まで上り詰めたからか。
「あと安江子ども警官の方かな? 確か愛知県警の捜査情報端末を持ち込んでいるはずだね。このたび神奈川県警でもそのベースとなる『捜査情報共有システム』を導入することになったので、代わりにこれを」
 そう言って田崎管理官が渡したのは、携帯電話のようなもの。カナが前操作していたそれと瓜二つ。多分同型だろう。
「仕様は、変わっていないですか?」
「ああ、愛知県警のものに準拠させてある」
「解りました」
 カナはポケットから「愛知県警の」捜査情報端末を取り出す。
「こちらは、どうすれば?」
「愛知県警の捜査員に渡せばいい。まあ、そのまま持っているように言われるかもしれないが」
 カナは了解、と返し二つともスカートのポケットに入れた。
「ありがとうございました」
 そして丁寧にお辞儀をする。俺もカナに倣い、遅れながらも頭を下げた。
「協力してもらうんだから、お礼を言うのはこちらの方だよ」
 田崎管理官は少しだけ、笑みを浮かべる。それに釣られて、カナも微笑んだ。
「では」
 カナは俺の腕を引っ張り、二人で部屋を出ることに。子ども課準備室に戻ると今度はカナが鍵を開ける番。ドア近くの機械にカードをかざすと自動で開く。カナは部屋の中央に置かれた事務机の一つに座ったので、俺もその対面の座席へ腰掛けた。そして先ほどもらった書類を見始める。そこには顔写真や名前・本籍などが書かれているが、交通違反歴も会わせて記載されていることからこれが交通関係のデータベースの情報だと解る。業務妨害事件に免許証のデータとか、全く情報とは意外な所から手に入るものだ。
 さて、そんなデータを見ていく。一人目は八木 健太郎、二十五歳。本籍地は愛知県稲沢市。口元と顎の髭が特徴的で、交通違反歴はなし。手書きで「リーダー」とメモされていることから、この犯行グループの中心的存在だと推測されているらしい。二人目は吹雪 茂、二十四歳。本籍地は岐阜県海津市。交通違反は駐車違反が二件ほど。いかにも理系とでもいうような眼鏡で、髪も結構長い。三人目が近藤 恭助、二十九歳。本籍地は神奈川県横浜市青葉区となっていて、三人の中では一番神奈川との馴染みが深い。酒気帯び運転で一度免許停止になっている。顔つきはふっくらとした感じに見えるので、きっと体つきも太り気味であろう。
 それらに加え、「四人目」水島副校長のデータもある。本籍地が神奈川県横浜市港区というのは解らないでもないが、スピード違反を三回もしていた。まあ、関係ないが。
「判っているだけでこれだけの関係者がいるってことは、実際の犯行に及ぶことの出来る実力を持っている可能性も高い。それにきっと、メンバーはもっといるはずよ。今までは身代金を要求するだけだったけど、それがいつ、実力を伴う手段に打って出るか判らない」
 カナは早速分析をし始めた。
「もしもう一度犯行予告を仕掛けてくるとしたら、ターゲットは……。犯人達が仕事をしているとすると……」
 色々な条件を次々に分析材料へと加えたせいか、ついには
「あーもう解らない!!」
 頭がパンクしてしまったようだ。俺も考えてはみるが、全く見当がつかない。
「それより、昨日の事件の報告書!」
 どうにもならないことを、どうにかしようとせず気分転換に別のことを先に済ますのはカナらしい。早速、別の机へ大量に積まれていた書類の処理へと取りかかった。

* * *

「はー、終わったー」
 カナが書類の処理を終わらせたのは正午を少し過ぎた頃のこと。その間俺が何をしていたかというと、犯行予告してくる日の予想や今度の文化祭で何をやるか、など。しかも結論は出なかったので全くカナの役には立っていなかった。本当、申し訳ない。
「これは置いておけばいいから……お昼食べよ?」
 カナに右腕をつかまれ、半ば強引に連れて行かれるパターン。おおむね平常運転である。
 庁舎二階にある食堂に入り、俺とカナはサンドイッチを注文して席に座る。
「まあとりあえず犯人の目論見に嵌らないよう、油断だけはしないようにしないとね。大体一週間ぐらいは神経尖らせておかないと」
「一週間先といえば、文化祭か……。結局、何やるんだろう」
 未だに俺達のクラスでは文化祭に何をやるか決まっていない有り様。本当に間に合うのか心配でならない。
「そうね、映画なんか、当日必要な人員が少なくて──「え!?」」
 俺とカナはほぼ同時に気付く。そう、来週といえば、土曜日の文化祭。しかも一般に公開されるから、誰でも入れることになっている。それが意味するのは、犯人が入ってきても保護者達に紛れ、判らなくなってしまうということだ。
「そうね、一番危ないのが、判ってるとは思うけど土曜日ね。これは教諭が主犯でないと仮定してだけど。一番いいのは文化祭を中止することだけど、公安絡みだし保護者に理解を求めさせるのも難しいわ。予定通り実施される前提で考えるのが得策よ」
「例えば、制服警官を校門に配置したら?」
 俺の思いつきにも、カナは首を横に振る。
「確かに抑止力にはなりそうだけど、そういったことは警備部が中心となって行うの。その警備部の中に公安部門があるから、多分無理だと思うわ。しかもこれはわたし達が直接決められることでもない」
「確かにな」
 注文したサンドイッチが来たので、俺達は食べ始める。
「愛知県警、か……」
 時々、カナが呟きながら。
 部屋に戻ると、宇都宮地域部長が来ていた。
「警察庁警備局長が、君達に用事らしい。呼んでくるから待機していてくれ」
 そう言うとすぐに走って行く。カナは驚いた様子を隠せない。
「警察庁《サッチョウ》の、警備局長? 何でそんなキャリア官僚が……」
 呟きながらもとりあえず、椅子へと座る。
「何がおかしいんだ?」
「警察庁内のCP業務の管轄は実務の都合上長官官房だし、わたし達が積極的に関わってる刑事警察のトップ、刑事局長が来るのはまだ解るわ。でも、警備局長よ? 公安警察のトップがわざわざCPに会いに来るなんて、前代未聞どころか歴史に残るわ」
 驚愕しかない、と言った様子でカナは答える。
「この前の事件で何か問題があったとか?」
 そんな俺の問いにもカナは首を横に振った。
「あり得ない。さっき言った通り、それなら警備局じゃなくて刑事局よ。対応自体も浜浦署刑事課長と捜査一課管理官指揮の下で動いたし、初動もマニュアル通りよ。唯一問題なのは、愛知県警のマニュアルで動いたことかしら。けど、それは大問題になる規模のことではないわ」
 しばらく沈黙が流れ、俺も口を開くことが出来ない。その状態が続いているうちに地域部長が戻ってきた。連れてきたのは黒の背広に身を固め、金属フレームの眼鏡を掛けた、いかにもエリートというオーラを出す男。
「君達、」
 その男、警備局長が口を開く。
「あそこまで警察官を動員しておいて、何も起こらなかったとはどういうことだ?」
「わたし達に権限はありませんが。それにあの切羽詰まった状況では、事実関係の洗い出しより生徒の保護を優先させるべきで、最善の措置だったと思われます」
 カナはため息をつき答えた。しかし警備局長はなおも突っ掛かってくる。まるでCPに八つ当たりするような感じで。
「大体、刑事部の人間を出すのはいいんだ。問題はそれを超え、警備部の機動隊や公安も使ったことだ」
「だから、わたし達にそのような権限はありません!」
 当然、カナは強い口調で返した。普通に考えてみたら当然で、階級的に巡査と同等とされている「子ども警官」が「警視」相当の管理官を飛び越えて現場を指揮することはないのだ。
「お二人さん、やめようよ」
 そう言ってカナと警備局長の間に割って入ったのは、地域部長でも、もちろん俺でもなく。
「──藤枝先輩!」
 学生服を着たその人物を見て、カナは驚いた様子を表し、
「フジエダ? 何か聞いたことのある気が……」
 警備局長でさえ小声で呟く、その正体は。
「愛知県警地域部子ども課準備室の藤枝です」
「同じく森岡です。──お久し振り、香奈ちゃん」
 後ろから白襟のセーラー服を着た少女も顔を出した。「愛知県警」そして「カナと彼らはお互いのことを知っている」つまり彼らはカナが前に話していた、
「伝説の、子ども警察官!?」
 そう推測した俺の呟きに、二人は反応する。
「ああそうだよ。──その呼ばれ方はあまり好きじゃないけど」
「伝説伝説って言われても、当たり前のことしてるだけだしね」
 いや、一年足らずで「警察官として」当たり前のことをしてきたのなら、それは「伝説」と呼ばれても仕方がないのではないか。
 先ほどまでカナに八つ当たりのような苦言をぶつけていた警備局長は二人の正体を聞いてしばらく沈黙した後、
「宇都宮地域部長、私は帰る」
 自分が不利な立場になったのを感じ取ったか、ぷいと顔を背け足早に部屋を出て行く。追い掛けたのは指名された地域部長だけ。
「藤枝先輩、翔子先輩、何でここに?」
 部屋の中へ入ってきて俺達が使っていない事務机へと腰掛けた二人に、カナは尋ねた。
「あれ、聞いてなかった? 愛知県警の捜査員が来るって」
 少女の方が、笑みを見せながら言う。
「それは聞いてましたけど……。てことは先輩達が、その」
「うん、昨日の事件担当になった愛知県警捜査員ってことよ」
「まあ元々来る予定だったんだけどね。その業務はついで」
「そうだったんですか!」
 カナは相づちを打つ。直後、何かに気付いた様子。
「そうだ、自己紹介してあげて下さい」
 すると二人は俺の方を向く。
「愛知県警の子ども警察官、藤枝 勝です。本来は中学生までの子ども警察官ですがまあ、特別措置として続けさせてもらってます」
 標準型、ただしボタンは金色の学生服を着た少年が先に口を開いた。髪が少し長い印象もあるがそれはまあ、現代風と言ったら通じるだろう。カナが補足するように言う。
「初めて拳銃を撃って、唯一撃たれた先輩よ」
 確かにそんな話をカナから聞いた覚えがある。ただ少年、藤枝先輩は
「そんなこと、教えなくてもいいのに」
 困ったような口調で苦笑い。あまり出してほしくない実績でもあるのだろう。
「私は、森岡 翔子。勝くんと同じ愛知県警のCP。中三からペア組んで、これで二年目ね」
 白襟セーラー服の上着に、体の横のラインに合わせ白線が入ったスカートという制服を着ているのが、森岡先輩。髪先が首に掛かるか掛からないかのところで外側に少しカールさせているのが特徴で、その顔立ちは少し幼くも見える。
「そして藤枝先輩とバカップル」
 カナのからかうような言葉に二人は
「「へ!?」」
 同時に驚く。確かに相性はピッタリのようで、その相性の良さが子ども警察官の活動にもいい方向へ働いているようだ。
「で、本題ね。現在愛知県警でも今回の件と関係がある人物を追っているんだけど、彼らは全国各地で事件を起こしている可能性がある。判明している手口は、まず内部の人間を取り込んで架空の犯行手口を送りつける。その後改めて身代金を要求し警察に気付かれないまま犯行を終わらせるのが彼らの手口よ。最初の、架空の犯行予告で警察に通報した例はない。最初の反応を見て、警察に通報されなければ本命を行うということじゃないかしら。詳しいことはまだ判っていないけど、普通に考えると今回のケースでは『二度目はない』と推測するのが筋よ」
 愛知県警側の情報について、森岡先輩が最初に話してくれた。付け足すように藤枝先輩が言う。
「内部犯と思われる教諭は皆、事件後三、四日に失踪している。当然無関係ではないと僕達は考えている。グループへ取り込んでいる可能性が高い」
「警察庁では広域事件に指定してはいないんですよね?」
 カナの問いに、森岡先輩が頷く。
「ええ、関連性が断定出来ていないからね。今回の事件で逮捕出来るとしても、水島副校長止まりになると思うわ。新たな事件が起こらない限り、神奈川でグループを一網打尽、ってなことは立証上困難よ」
「そうですか……」
「一部では警察関係者にも手がかかっている情報もあって、秘密保持のため神奈川県警では田崎管理官だけが刑事部側の捜査担当になっているわ。神奈川の捜査情報端末の本格導入はまだ先だから、管理官との連絡は捜査センター無線を使えば大丈夫よ」
「解りました。あ、愛知県警の端末返さないと」
 カナはスカートのポケットから三台の携帯電話を取り出し、しばらく観察した後一台を森岡先輩に差し出した。
「ありがとうございました」
「いえ、まだ持っていて」
 しかし森岡先輩はそれを押し戻す。それにはカナも、おちろん俺も驚いた。
「何でですか?」
 反射的に聞くと森岡先輩は少し困ったような顔をする。
「現在、愛知と神奈川の情報は直接共有出来る状態ではないからよ」
「え?」
「ネットワーク上の問題さ」
 そういう切り出し方で説明を始めたのは藤枝先輩だった。
「仕様では、全国の更新データを警察庁の専用サーバに集め、一日三回、従来から使用されてきた通信方式『WIDE』に乗せて同期させるようになっているんだ。けど肝心の警察庁でまだ導入されていないし、捜査協力モードを使用して愛知・神奈川間で同期させようにも隣の静岡県警でシステム未対応、不正な信号として遮断してしまう。もちろん犯歴情報などのデータは既に全国共通だけど、捜査中データなどの『生きた情報』は独自に持っているという、システムを生かし切れていない状況なんだ」
「てことは、わたしだけが神奈川と愛知、両方の情報を持つことになるのか。愛知県警のは一般回線でつながるし」
 カナが納得したように言うと、二人は真剣な表情で頷いた。
「まあとりあえずわたしが直接捜査出来る立場でもないし、管理官の指示を仰ぎながら双方に随時情報を提供していけばいいのよね」
「ええ、大変だとは思うけどよろしくね」
 森岡先輩の言葉にカナは
「大丈夫です!」
 満面の笑みで応えた。

* * *

 しばらく二人の体験談などを聞いているとチャイムが鳴った。カナいわく午後六時、終業の合図となっているらしい。
「あ、この後二人はどうするんですか?」
「まあ明日も神奈川にいる予定だから、公費に少しプラスしてシティホテルに泊まる方向で考えているけど」
 カナの問いに、藤枝先輩が親切に答えてくれる。さらにカナは少しニヤッとした笑みを浮かべ聞いた。
「ホテルでは何するんですか?」
「まあ捜査情報の整理とか、ね」
 答えたのは森岡先輩、だがカナの追及は続く。
「他には?」
「他には、ってねぇ?」
「因みにホテルはツインですか?」
「まあシングル二つ取るよりは安く済むし……」
「てことは、もしかして……」
 カナは最後まで言わなかったが二人には解ったようで、途端に顔を真っ赤にする。
「ま、まあ気がむいたら、ね……」
「うん、一応仕事で来たんだから……」
 二人が二人とも言葉を濁した。それでもカナは
「ふーん、やっぱり」
 納得出来る答えだったらしく、頬杖をついて呟く。ただ、俺には何のことか解らなかった。
「で、何のことです?」
「「「へ!?」」」
 三人が同時に、驚きの声をあげた。
「え、えっとそれはね、その……私が勝くんと:」
「いやいや教えなくていいから、翔子さん!」
「そうそう浩和はまだ知らなくていいから! ところで先輩、名前で呼び合うことにしたんですね!」
「うん、翔子さんからの提案なんだけど」
「いつまでも『藤枝くん』って呼んでるのもおかしいなって」
 そして何となく、話を誤魔化された気がした。でも話は続かず、沈黙の間が流れる。
「じゃあ帰ろっか。また明日来るね」
 森岡先輩がそう言ったのを機に、俺にカナ、先輩二人は部屋を出ることにした。
「あ、鈴木くんだっけ? ちょっといい?」
 廊下をエレベータの方向へと歩き始めようとした時、森岡先輩が声を掛けてくる。
「あ、勝くん達は先に下に降りてて」
「うん、解った」
 藤枝先輩は、何の用事かと気になっている様子のカナを連れ、廊下を先に歩いていく。その姿が見えなくなったのを確認してから、森岡先輩は口を開いた。
「実は、香奈ちゃんのことだけど」
「はい」
 やはり、カナのことか。
「CPの資質が十二分にあることは私達も確信を持って言える。けど、香奈ちゃんは多分、本来の性格を隠している感じがするの」
 桜町駅で見せた、あの寂しそうな顔。カナが抱えている、もう一つの性格。
「『女の子らしい』とでもいうのかな? 香奈ちゃんはそんな側面を意図せず隠しているわ。通常のCP業務に支障はない、けれどパートナーのあなたにだからこそ、忠告しておくわ」
 一呼吸置いて、森岡先輩は言う。
「あなたが危険な状況に陥った時、あの子は自分の命を投げ出してでもあなたを助けようとするかもしれない」
「それは、藤枝先輩みたいに?」
「ええ、私を守ってくれた彼みたいに」
 少し照れてしまったのを誤魔化すように前髪を搔き上げ、森岡先輩は続けた。
「その逸話を知っている香奈ちゃんだからこそ、と言ってもいいわ。あの時は通りを挟んでいて、しかも被弾は一発だけ。命中した腹部に私のあげたお守りがあったりしたという好条件が重なっていたの。でもそんな奇跡が二度も起こるとは言えない」
「次は殉職、ってことですか」
「そこまでは行かないかもしれないけど、重傷を出してもCPという組織は大きな制約を受けることになる。それはCPという組織の成り立ちが副次的なもの、八白に警察署を建てるための手段の一つだったことがあるから。今はそれほど注目されてないから問題なく活動出来ている。でも何らかの事故が起きて、これが大きく報道されてしまったら世間の反発も十分予想される。殉職という事態だけは、絶対に避けてほしいわ」
「ええ、もちろんです」
「そしてもし香奈ちゃんが暴走してしまいそうな時は、軽く抱きしめてあげて。それだけで、理性を取り戻すはずだから」
「はい、解りまし──はい?」
「冗談よ? じゃあ、二人の許へ行きましょうか」
 笑みを浮かべながらも足早に、森岡先輩は歩き出したのだった。

* * *

 県警本部の最寄りである日本大通り駅から地下鉄に乗り、JRなど多数が乗り入れるターミナル駅・横浜駅で先輩達とは別れた。その後二人で乗った電車の中で、カナは呟く。
「まさか先輩達が来るなんて、思っても見なかったな……」
「そんなに珍しいことなのか?」
 俺が尋ねるとカナは頷いた。
「そもそも、隣り合ってない県警間で情報をやり取りすること自体がね。捜査協力の要請も普通警察庁を通じて行われているから、今回は特例中の特例よ。でもあの二人は愛知県警ので唯一、警察庁の特別捜査員にも指定されているから、そういった権利を使って来てくれたのかも」
「……カナのためにか?」
 カナは少し考えて、首を横に振る。
「ううん、わたしと浩和、両方のためだと思う。実際にCPとの捜査経験があるのは田崎管理官だけだし、その辺りのバックアップも兼ねてくれてるのかも」
「……不安か?」
「正直ね」
 カナは苦笑いしながら、頷く。
「でも最初の一年はどこでも同じだから。愛知県警でその一年を担ってくれたのはあの先輩達で、神奈川ではわたし達。それだけのこと」
「そうか……」
「うん、そういうこと」
『間もなく、さくらやま、さくらやま。武蔵野鉄道蛯尾浜線をご利用の方はお乗り換えとなります──』
 そんなアナウンスが聞こえ、俺とカナは席を立ったのだった。